第9話 探し人

 真夜中の高級住宅街は、風の音すらしないほどに静まり返っていた。

 広い石畳の道を挟んで点々と建つ、洒落た庭や階段つきの豪邸。資産と権威を誇示するかのような門構え。昼間に訪れたならば華やいで見えただろう街並みには街灯以外の明かりがなく、どの家もきっちりと扉やカーテンを閉ざして息をひそめている。


 ときおり、そんな静寂を破る存在があった。住宅街を巡視している自律式人形アウトノムたちの足音だ。くだんの〝幽鬼〟によって数名の警吏が命を落としたこともあり、人形たちが代わりに夜の街で目を光らせているらしい。


「……なかなか厳重な警備体制ですね」

「そうね。でも、話に聞いていたよりも今夜は自律式人形アウトノムの数が多いみたい」


 ルーナとレムールは、住宅街で一番大きな屋敷の屋根の上から周囲を一望していた。家人たちはすっかり寝静まっているようで、二人の侵入者に気づく気配はない。


 ルーナは昼間と同じ服装だが、レムールは黒い鎧を身に着けている。ノックスから借りた服のほうが、もし誰かに見られても怪しまれにくいはずだが、「姫様をお守りするなら、万全の備えでいなくてはなりません」と言って譲らなかった。

 重そうな鎧を着込んでいてもレムールの身体能力は人間離れしており、ルーナを抱えて屋根の上までひとっ飛びだ。


「劇場での騒ぎが警吏に伝わっていたのかも。レムールを疑って血眼で探している可能性もあるわね」

「……申し訳ございません。俺があんな目立つことをしたばかりに」

 ルーナが屋根から落ちないよう片腕で抱き寄せたまま、騎士はしゅんとしてうつむいた。大衆食堂で話して以降、レムールは妙にしおらしい。


(反省すると落ち込んでしまう癖は、昔と変わらないのね)

 場違いを承知の上で、ルーナは少し微笑ましく思う。

 かつてのレムールは、理性的すぎるがゆえに自分の思いや悩みを内に抱え込む性格だった。今は彼の言う〝呪い〟のせいか、感情表現が豊かになっている。それを喜ぶべきかは微妙だが、心を許してくれている証と思えば嬉しくもあった。


「気にすることないわ。ここなら自律式人形アウトノムには見つかりにくいでしょうし、異常があればすぐに気づけるもの」

「しかし、幽鬼が今夜現れるとはかぎりませんよ」


 レムールの言うことはもっともだ。現にここ数日、幽鬼の被害は出ていない。だがルーナは小さくかぶりを振った。


「幽鬼は必ず来る」


 言い切った主人を、レムールが目を丸くして見つめる。 明確な根拠があるわけではなかった。ただの勘といってもいい。

(けれど、私の想像が正しければ……)


 ルーナは心臓の前でぎゅっと両手の指を組む。すると、レムールは真剣な面持ちで抱き寄せる腕に少し力を込めた。籠手越しに触れられている肩が心なしか温かくて、なんだか懐かしい気持ちになる。


「姫様がそうおっしゃるのなら、俺はどこまでもお供します」

「うん。ありがとう、レムール」


 幼い頃にも、彼とこんなやりとりをした。ルーナのつたないわがままを、レムールはいつも我が事のように受け止めてくれた。ならば、自分もありのままの彼を受け入れたい。幼心に抱いた思いは、今でも変わらずルーナの中にある。


 レムールは薄らと頬を染めつつ、きりりとした表情で続けた。

「幽鬼探しの妨げになるようでしたら、あの自律式人形アウトノムどもはすべて俺が壊しますので」

「……それは必要なときだけ頼むわね」

 とはいえ、今の彼を制御できるのも自分だけだ。ルーナは苦笑いしつつ、肩を抱く手に触れ返す。


 ――そのとき。ギィ、と扉の開くような音がした。


 二人はハッとして地上を見下ろす。屋敷の前庭に、小さな人影がふらふらとした動きでおどり出た。暗がりで分かりにくいが、この屋敷に住む子どもだろう。寝間着らしきヒラヒラとした服からして女の子のようだ。


 十歳かそこらの幼い少女は、脇目も振らず敷地の外へ向かう。この家の門扉はかなり大きくて頑丈だ。子ども一人の力ではどうにもできない。しかし驚いたことに、鉄製の重厚な門扉はひとりでに開いて、あっさり少女を外に出してしまった。


(始まった)

 二人は顔を見合わせてうなずき合う。ルーナを軽々と片腕で抱え上げたレムールは、少女を追って音もなく屋根を降りた。


 少女はまだ夢の中にいるかのようにうつろな目をして、覚束おぼつかない足取りで歩いていく。その後を闇に紛れて追尾する二人にも気づく素振そぶりはない。そして不思議なことに、少女は自律式人形アウトノムたちの巡視ルートを見事に避けている。


 少女は住宅街の片隅にある噴水広場のほうへ向かっているようだった。その道中、ルーナたちは信じがたい光景を目にして息を飲んだ。


 追いかけてきた少女以外にも、あちこちの路地や近くの家々から他の子どもたちがふらりと現れて、同じ方向へと向かう人影がどんどん増えていくのだ。どの子も寝間着姿で、寝ぼけたようにぼうっとした顔をしている。


「これは……」

 ルーナの背を冷たい汗が伝う。噂に聞いていた比ではない数だ。レムールも眉根を寄せて子どもたちを注視する。

「もしや、住宅街の外からも引き寄せられているのでしょうか」

「今夜はいつもより幽鬼の力が強まると思っていたけど、想定以上ね」

 

 子どもたちの足音がささめく中、ふいにルーナの耳を異音が掠めた。とぎれとぎれに小さく、しかし明確な音階をもって聞こえてくる。それは、どこかで聞き覚えのある弦楽器の旋律だった。


「この音は――」

「姫様、何か聞こえるのですか?」

 ルーナを抱えたままのレムールが首をかしげる。どうやら彼には分からないらしい。だが、その反応でルーナは自分の想像に確信を持てた。

 そうでなければいいと、心の底ではずっと思っていた。


「子どもたちについていきましょう。――きっと、はそこにいる」


 *

 

 予想したとおり、子どもたちは噴水広場へと吸い込まれるように集まっていった。ざっと見て二十人近くいる。全員が十歳前後とみられ、やや女子の比率が高い。


 昼間は住民たちのいこいの場となっているのだろう噴水広場も、今は冷たい夜気に閉ざされている。広い円形に敷かれた石畳の上に、夜の間も湧き続ける大きな噴水と子どもたちの影が落ちていた。


 その輪の中へ最後の子どもが入っていく様子を、ルーナたちは遠巻きに見つめた。小さな背中を目で追った先に白くぼんやりと浮かび上がる人の姿。

 広場の中央で子どもたちに囲まれているのは、一人の女だった。女に見える、といったほうが正確だろう。


 なにせ、その者には首から上が無い。

 骨が浮きそうなほど細い身体に纏う、すり切れて血にまみれたドレスだけが、生前の外見をかろうじて想起させた。


 女は――〝幽鬼〟は、流麗な所作でヴァイオリンを弾いている。楽器を押さえる頭もないのに、少しも不便そうには見えなかった。


 その高貴な振る舞い。かつては美しかったドレス。懐かしい音色。ルーナはよく知っている。


「母様……」


 レムールの腕から離れたルーナは立ち尽くし、つぶやきを零す。同時に目から熱いものが溢れた。拭うこともできないまま茫然として、頬をしとどに濡らしていく。


 ルーナの母にしてテュフォン王国の王妃、アウローラ。

 八年前の帝国侵攻の折、彼女は生きたまま捕らえられ、敵国の処刑場にて斬首された。そして、おそらくはレムールと同じ〝呪い〟により、幽鬼として蘇った。


「本当に……王妃殿下が幽鬼だったのですね」

 レムールも哀しげに、しかしどこか腑に落ちたような声音で言う。


 首無しのアウローラが奏でている音楽は、幼少の頃にルーナがよく歌っていた曲だ。女神フラーマに捧げる〈十三の聖歌〉の第一番、〈夜明けの歌〉。


 アウローラはひととおりの楽器をたしなむ教養人だった。中でも弦楽器を得意とし、演奏会やパーティーでその腕前を何度も披露した。だが彼女は、「どんなに立派な舞台で弾くよりも、ルーナの歌に合わせて演奏するときが楽しいわ」と笑っていた。


 温かな思い出が、次から次へと記憶の底から湧いてくる。今はもう遠ざかってしまった幸せな日々。取り戻すことはできない時間。優しく、ときに厳しく、包み込むように慈しんでくれた母。


(ごめんなさい、母様……)

 涙声が漏れそうになって、ルーナはぐっと唇を噛みしめる。


 大切な家族を守れなかった。その最期を看取ることすら叶わなかった。やるせなさで心がはちきれそうになる。八年間、数えきれないほどルーナを苛んできた後悔が一気に押し寄せてきた。


「姫様……」

 レムールはうつむくルーナの隣に寄り添い、心配そうに見つめてくる。ルーナは服の袖で乱暴に涙を拭って、「大丈夫」と自分に言い聞かせるように告げると、すくんでいた足を前へと踏み出した。事前に打ち合わせていたとおり、レムールもその後をついてくる。


 ルーナたちが広場に入ろうとしたとき、音楽がぴたりと止んだ。幽鬼アウローラはヴァイオリンを下ろし、集まった子どもたちに近づいていく。そして、楽器を持たない右手で子ども一人一人の頭や顔に触れ始めた。まるで、背の高さや顔の形を手探りで確かめるかのように。


(ああ、やっぱり)

 ルーナは胸の内でひとりごち、また少し泣きそうになった。


 彼女は子どもたちを害するために攫ったのではない。我が子を探しているのだ。十歳で死に別れてしまった、一人娘のルーナを。


 幽鬼アウローラは、顔や声で他者を判別することができない。口がないから娘の名前も呼べない。だが、ヴァイオリンなら音が聞こえなくても弾ける。だからその音色で子どもたちをおびき寄せ、手で触って確認していた。


 気配で居場所は分かるのか、アウローラは十人以上いる子どもを丁寧に調べていく。そこに悪意や害意は感じられない。

 最後の一人にぺたぺたと触れて、幽鬼は少し肩を落とした。また違った、この子でもない。そんな落胆の言葉が聞こえてきそうだ。


 思いのほか時間はかかったが、彼女の〝確認〟はようやく終わった。遠くから静かに見ていたルーナたちにはまだ気がついていない。ルーナとレムールは視線を交わし、幽鬼アウローラに近づこうとした。


 だがそのとき、聞き覚えのある声が広場の静寂を破った。


「――おい、そこの化け物! ぼくの妹を返せ!」


 二人がぎょっとして振り向くと、息を切らし、肩を上下させている質素な身なりの少年がそこにいた。特徴的な亜麻色の巻き毛と、そばかすの浮いた顔。突然現れた予想外の人物に、ルーナは思わず声を上げる。


「セウェルさん……⁉」

「……おまえ、まさか〈幽霊姫〉か?」


 ルーナを見たセウェルも大きく目を開く。驚愕の表情はすぐに憎々しげなものに変わった。


「あんたが化け物と一緒に劇場をめちゃくちゃにしたって話、本当だったんだな。帝都の人攫いや殺人事件も、あんたらが全部……」


 セウェルは侮蔑と怒りに濁った目でルーナを睨み、じりじりと迫ってくる。彼は先ほど「妹を返せ」と言った。幽鬼アウローラの力が貧民街までおよび、彼の妹まで引き寄せてしまったのか。


 それは違うとルーナが潔白を訴えようとした直前、いきなり後ろから身体を抱え上げられ、漆黒のマントが視界を覆い隠した。ほぼ同時にすさまじい熱気がルーナを襲い、夜闇がパッと明るくなる。ごう、と唸るような音とともに火柱が上がった。


「レムール!」

「お怪我はありませんか、姫様」

「私は平気……あなたは?」

「同じ〝呪い〟だからか、ある程度は相殺できるようです」


 レムールは再びマントをひるがえし、炎の塊を軽く払う。その火の粉が足元に飛んだセウェルは、「ひっ」とたたらを踏んで尻もちをついた。そこでやっと幽鬼アウローラの存在に気づいたらしく、青ざめてガタガタと震えだす。


「な、なんなんだ、あれは!」

「……あなたの妹さんは無事よ。あの幽鬼は幼い子どもを傷つけたりしない」


 けど、とルーナが言葉を続けようとした瞬間、再び炎が襲いかかった。レムールが防ぐものの、初撃よりも威力が増しているのか押され気味だ。二発目を打ち払った騎士は腰の剣を抜いて飛び退き、幽鬼から距離をとる。


 アウローラは子どもたちを背に庇うようにゆらりと立っていた。本来は頭があった場所に炎が渦巻き、巨大な熱の塊と化していく。あれを放たれたら、ルーナたちどころか周囲の建物まで燃やしかねない。


「やめて、母様!」

 ルーナは咄嗟に声を張り上げたが、耳のないアウローラにはやはり聞こえていないようだった。むしろ、乱入してきた不届き者の気配が消えないことに苛立っているのか、炎はどんどん膨らんでいく。


「ここは一旦退きましょう、姫様」

 おもむろにレムールが言い、幽鬼を見据えたまま後退る。「でも」と反論しかけたルーナは、彼のこめかみを伝う汗を見て声を詰まらせた。

 彼女の怒りに触れたばかりか邪魔が入ってしまった以上、当初の目的は果たせそうにない。ルーナたちがいなくなれば、アウローラも矛を収めてくれるだろう。


「分かったわ。行きましょう」

 迷いを飲み込んでルーナはうなずく。忠実なレムールはその判断に従い踵を返した。その足にセウェルが必死の形相でしがみつく。

「ま、待って! ぼくを置いていかないで!」

 すっかり腰を抜かしてしまったらしい少年は、泣きながら地面にへたりこんでいる。レムールはそれを眼光鋭く睨みつけ、冷たく言い放った。

「一昨日の無礼は見逃してやった。二度目はない」

 にべもない言葉にセウェルは愕然とする。その腕を振り払おうとするレムールを止めたのはルーナだった。


「彼も連れていくわ、レムール。安全なところで下ろしてあげましょう」

「ですが姫様、こいつは……」

「いいから急いで」


 毅然として命じた主人にレムールはやや不服そうな顔をしつつ、剣を収めてセウェルを乱暴に担ぎ上げた。

 

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