第8話 帝都

 雨の名残もすっかり払われた昼下がりの帝都は、たくさんの人々で賑わっている。

 古い時代の空気を残す煉瓦造りの建物と、今風に洒落た意匠をこらした石造りの四階建て建築。それらが混在する中心街の大通りはとみに往来が多く、商人や金持ちたちの馬車が石畳の道をさかんに走っていた。


 人口の密集ぶりもさることながら、この街のもっとも大きな特徴といえるのは、人々の中に混じって歩く自律式人形アウトノムの存在だろう。せっせと荷運びをする者、建築現場で石材を積む者、巡視の警吏けいりとともに周囲へ目を光らせている者。さまざまな役割を持った人形たちが働いている。


 その様子を警吏よりも険しい目で睨んでいる男を、傍にいる少女が溜息をついて咎めた。


「だめよ、レムール。そんな怖い顔をしていたら怪しまれるわ」


 道の真ん中で突っ立っている男の手を引き、人混みの奥へと連れていく。ただでさえ身体が大きくて目立つのに、こうも殺気を放っていては逮捕してくれと言っているようなものだ。


「……申し訳ございません。あのブリキ人形どもを見ると、どうにも心がざわついてしまう」

「気持ちは分かるけど、今は情報収集に専念しましょう。そのために変装までしているのだから」


 そう言うルーナは、普段の薄汚れた衣服ではなく、清潔な白のシャツに上下でそろいのジャケットと膝丈のズボン、そして帝都で流行りの鳥打帽とりうちぼうという少年の出で立ちだ。一方のレムールは、無頓着に伸ばしっぱなしだった長い髪を後ろ一つに結び、紳士然とした黒のフロックコートに薄茶色のトラウザーズと革靴を合わせている。


「あの医者と助手も、よくこんな上等の服を調達できましたね。帝都の富裕層にも広く伝手つてがあるとは言っていましたが」

「先生の作る薬は、病にも怪我にもよく効くと評判なのよ。それでも貧しい人々のために格安で医療を提供しているのだから、偉大な人だわ」

 ルーナが手放しでノックスを褒め称えると、レムールは眉根を寄せて「姫様は他人を信じすぎです」と呆れたように嘆息した。


「レムール。その〝姫様〟という呼び方は禁止だと言ったでしょう? せめて名前で呼んでちょうだい。あと、人前で堅苦しい話し方はしないこと」

「うっ……ですが、姫様に対してそのようなことは……」

「ここでは出自や立場など関係ないわ。私も、今はただのルーナとして振る舞うから」


 きっぱりと告げて歩きだしたルーナの後ろを、レムールが複雑そうな顔をしてついてくる。少し意地が悪かったかしら、とルーナは内心で彼に申し訳なく思った。


 レムールは、王国でも特に古い歴史をもつ騎士一族、ハヴィウス侯爵家の養子だ。幼少から王族に仕える者としての教育を受け、十七歳の若さで近衛に抜擢された優秀な騎士である。そんな彼に庶民の小芝居させるのは、なかなか無理のある話かもしれない。

 とはいえ、帝都の中心街を自由に歩けるせっかくの機会だ。〝幽鬼〟に関する情報を可能なかぎり聞き出したい。

 どうにも言動がぎこちないレムールを引き連れて、ルーナは街の住民たちに話を聞きに向かった。


「あのー、すみません。僕たちこのあたりで宿を探してるんですけど……」

「おや、旅行のお客さんかい。どこから来たの、ぼうや?」


 花屋の店先に立っている優しげな風貌の老婆は、近づいてきたルーナを見てにこりと笑った。ルーナは恥ずかしがりやな少年だと相手に思われるよう、少し頬を赤らめて帽子のつばを引く。


「えっと……北のほうです。帝都に来るのは初めてで。ね、お兄ちゃん」

 斜め後ろを振り向いて話しかける。レムールは一瞬びくりと肩を跳ねさせ、目を泳がせながら咳払いした。

「あ、ああ、そうだな。うん」

「あらまぁ、仲の良いご兄弟ねぇ。どういう宿をお探し?」

「長旅で疲れてるから、静かに休めるところならどこでも。それと、こっちで変な噂を聞いたんですけど……〝幽鬼〟とかいう怖い奴が出るって、本当ですか?」


 ルーナが恐る恐るといった表情で訊ねてみると、老婆は「あらあら」と眉を下げた。

「旅人さんにまで伝わってるのねぇ。身の毛がよだつような事件だけど、中心街のほうならまだ安全よ。あれは高級住宅街に住むお金持ちしか襲わないって話ですもの」

「……どうして裕福な人ばかりを? 金品を奪ってるんでしょうか」

「お金を盗られたとは聞かないわね。これまで亡くなった人たち皆、夜に家からいなくなった子どもを探している最中に襲われたの。行方不明になった子は後で無事に見つかったそうだけど、親を殺されてしまうなんて可哀そうにねぇ」


 老婆は声と表情に憐憫れんびんを滲ませ、小さく首を横に振る。その台詞はどこか他人事のようにルーナには聞こえた。


 親切に宿屋の場所を教えてくれた老婆に礼を言って別れた後も、ルーナとレムールは街中を歩いて聞き込みを続けた。

 旅行客の兄弟という設定は思いのほか便利で、噂好きで気のいい住民たちは警戒せず二人に色々と話してくれる。特にルーナは年配者から可愛がられ、レムールの整った顔立ちと気品のある所作は若い女性たちの関心を集めた。


「レムールって、やっぱり女性に受けがいいのね」

 話を聞いた街娘から茶に誘われ、困惑しきりに断ったレムールを見て、ルーナは少し誇らしい気持ちで笑った。

 王城にいた頃の彼は騎士の仕事と訓練に明け暮れ、異性と親密だった印象は無いが、城仕えの侍女たちからは密かにもてていたのを覚えている。

 

 ルーナがそう話すと、レムールは面白くなさそうに唇を引き結んだ。

「俺は、姫様以外にうつつを抜かすような軽薄な真似はいたしません」

「真面目すぎるのも考えものね」

 ルーナは呆れ混じりに微笑む。誠実な騎士が物言いたげな顔をしていたが、重ねて言及してくることはなかった。


 必要な情報があらかた集まる頃には、早春の太陽が西へ傾き始めていた。二人は夕食を摂りながら話をまとめることに決め、近場の大衆食堂に入って出入口に近い隅の席に座る。店内は酒盛りをする客たちで騒がしく、ルーナたちに意識を向ける者はいない。


 ルーナは、帝都名物だという薄切りの羊肉をパンで挟んだ料理とトマトスープを注文する。レムールは何も頼まず、運ばれてきた料理の毒味だけで済ませた。

 燻した羊肉は癖のある風味で、やたら塩と胡椒がきいている。反対にトマトスープは味が薄く水っぽくて、なんだか食べた気がしなかった。


「幽鬼について、今のところはっきりしていることは三つね。一つは高級住宅街に住む富裕層ばかり狙っていること。二つ目は、必ず夜に現れて子どもをさらい、探しに来た親や警吏を襲うこと」

「三つ目は、殺された被害者の死因ですね。全員が火の気のない場所で焼死していた……」


 ルーナは半分ほど食べ進めたパン料理を皿に置き、スプーンを手に取る。

「先生から聞いた噂とだいたい一致してる。怪死事件なんて呼ばれるのも納得だわ。聞けば聞くほど、普通の人間の仕業とは思えない」

「……姫様、いったい何をお考えなのです?」


 レムールが眉をひそめて問うた。ルーナは赤く色づいたトマトスープをひと匙すくい、そこに映る自分をじっと見つめる。


「今日聞いた噂の中で、もう一つ気になることがあったの」

「気になること?」

「さらわれて、翌朝見つかった子どものことよ。『夜中にどこからかヴァイオリンの音色が聞こえてきて、いつの間にか一人で外に出ていた』って」


 被害者本人の談ではないが、複数の住民から同じ話を聞いた。

 子どもたちに夜の街をさまよっている間の記憶はほとんどないそうだ。一方、大人たちは口をそろえて「ヴァイオリンの音など聞こえなかった」と証言している。

 巡視の警吏を増やし、夜間の戸締りを徹底することで、ここ一ヵ月の被害は一件に抑えられているが、犯人は未だに目撃されてすらいない。


「これがただの怪談話ならいいけど、実際にもう何人も亡くなってる。犯人が見つからなければ、街の人々はずっと怯えて暮らすことになるわ」


 三ヵ月間も警吏の目を盗み続ける犯人。子どもにしか聞こえないヴァイオリンの音色。火の気のない場所で焼け死んだ被害者たち。これらの不可解さと不気味さが幽鬼の存在を色濃くし、住民たちを恐怖に陥れている。


 すると、おもむろに対面から伸ばされたレムールの手が、赤い水面と見つめ合うルーナの視界に割り込んだ。剣だこで硬くなった指が左頬に触れ、もう片方の手が鳥打帽のつばをわずかに持ち上げる。

 正面に目を向けたルーナは、思わず息を飲んだ。


 レムールは笑っている。それも心底嬉しそうに。


『――素晴らしいことではございませんか、姫様』


 積年の夢が叶ったことを口々に祝うかのごとく、重なった幾人もの声が感慨深げに言う。ルーナの顔が強張り、スプーンを持つ手がぴくりと跳ねた。


『忌まわしき帝国の人間たちが、怯え、恐れ、苦しんだ末に死んでいく。これはすべて女神の罰。当然の仕打ちなのです』

「……レムール」

『喜びましょう、祈りましょう、姫様。我らが神の裁きと、帝国の滅びを』

「レムール」


 緩く細められた金の目と対峙したルーナは、静かに、しかしはっきりと男の名を呼んだ。スプーンを皿に置き、頬へ添えられた彼の手にそっと自分の手を重ねる。


「私は、他者を害するための祈りは捧げない」


 その言葉に、今度はレムールが固まった。仄暗い笑みは当惑の表情に変わり、瞳が微かに揺れ動く。


『姫様……』

「昔、母様と約束したの。私の祈りは……歌は、誰かを救うために使うと。そしてその救いは、他の何かを犠牲にすることで得てはならないのだと」


 ルーナが物心ついたばかりの頃から、母アウローラは繰り返しそうさとしてきた。

 敬虔なフラーマ教信徒である母は、娘が生まれながらに持つ〝祈りの力〟と、その危うさにいち早く気づいたのだろう。力の使い方を誤ってはならない。祈りの意味をはき違えてはいけない。母の教えは今でもルーナの胸に深く刻まれている。


「その約束があるからこそ、私は心臓の寿命よりも、歌を捧げ続けることを選んだのよ」

「……捧げる?」


 重なっていた響きはレムール一人の声に収束する。やっと現実を映した瞳に、ルーナは微笑みを返した。


「あの劇場の舞台はね、東を向いているの」


 やや遠回しに告げた一言は、確かに彼の心へ届いたようだった。いっぱいに目を見開き呼吸を震わせたレムールは、とんでもないことをしてしまったとばかりにルーナから手を離す。


 ――〈幽霊姫〉の歌は、故郷の人々に捧ぐ鎮魂の祈りだ。

 生まれ育った国から引き離され、家族と仲間を失い、すべてに置いていかれたルーナにとって、歌うことだけが生きる理由だった。

 本当に〝祈りの力〟があるのなら――魔導機構の心臓マギクス・コアの魔力を消耗してでも、愛おしい故郷を想って歌いたかった。限界が訪れるまで歌い続け、祈りを抱いたまま死ぬことが、自分にできる唯一の贖罪だと。


 八年前、何もできずに皆を死なせてしまった愚かな王女の、最後の悪足掻きだ。


「この命が続くかぎり、私は故郷の人々のために歌う。皆の魂が安らかでいてくれることが、私の願い」


 ルーナは言葉を区切り、レムールをまっすぐに見据えた。


「だからこそ私は、〝幽鬼〟を止めなくてはいけない」

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