N 光の貴公子③

 空車の中で、エルフのマギーは遠足に来た子供の如くはしゃいでいた。それにつられてかルカの舌も滑らかだ。団長が上機嫌なのは、ただ酒が入っているからだろう。


 ノアは空車に入って早々、寝たふりを決め込んだ。はしゃぐ大人たちには付き合っていられない。


 あの易者のせいで気分が悪かった。あんな女の言うことなど気にする必要はないと思うのに頭から離れない。何も知らないくせに偉そうなことを、適当なことを言って人を惑わす詐欺師のくせに。気付けば、口に出さずともそうして易者を罵っている。


 貰ったカードはさっさと捨ててしまおうと思った。しかしこういうときに限って、屑籠が見当たらない。結局ポケットの中だ。早く捨て去ってしまいたい。


 一夜をかけてドロモス荒野の空を渡り、ディディエ王国の領地へと入った。空車を降りてすぐ目的地であるフラーの町に着けたらいいのだが、そうもいかない。フラーの町はディディエ王国の国境近くにあるのであって、国境沿いにあるわけではない。ドロモス荒野を越えた先には、広大なタピ高原が蓋をするように待ち構えている。そのタピ高原の中央盆地にフラーの町はあるのだ。


 馬に乗って行けば早いが、団長が馬を借りる金をケチったため、徒歩での旅となった。軍資金を稼ぐため、妖魔の落とす贈リ物ギフトを目当てに街道を少し外れた場所を進んだ。貧乏傭兵団の宿命である。


 アルシェ領都フラーに辿り着いたのは、太陽が中天に達するより前だった。白い石造りの建物と街路が並ぶ、清潔感のある街並みが迎えてくれる。この町は花の都という異名を持ち、至る所にしつらえられた花壇では季節の花が町に色を添えている。


「ここがフラーの町かー。花がいっぱいだなー」


 誰にでも言えそうな感想をマギーが口にした。


「やっとお別れだな。寂しいよ」


「お?寂しいって?嬉しいこと言ってくれるじゃないか。お前も可愛くなったな、ノア」


 エルフに嫌味は通じなかった。ノアはそっぽを向いて顔をしかめる。


「でー?これからどうすんだ、団長?」


 いつの間にか、団員でないマギーも団長を団長と呼ぶようになっている。団長は腰に手を当て、花の都の清涼な空気を鼻でいっぱいに吸い込むようにしてから答える。


「宿に寄ってから領主様のお屋敷に伺うよ。依頼主は領主様なんでね」


「そうかー。じゃ、宿まで一緒に行こっかな。アタシは人捜しだー」


 マギーは気合を入れるように空に向かって両腕を掲げた。


 四人で宿に向かって歩き出す。この町に宿は多いが、どうせいつもの所だろう、そんなことを考えていたら、後ろから背中を軽く叩いてくる者があった。


「よかったね。まだマギーとお別れじゃないよ」


 追い抜きざまにそう囁いてきたのはルカだ。ノアは誰にも聞こえない位置で小さく舌打ちした。




 うるさいエルフとようやく別れ、ラザル傭兵団の三人だけで宿を出たのは、色時計もスカーレットに染まった昼過ぎのことだった。


 アルシェ領領主であるアルシェ氏の屋敷に入るのは初めてだった。貴族様のお屋敷とあって、外観も内装も豪華なものだ。白い石造りの館は神殿かと見紛う造りで、獅子でも飼っていそうな広い庭もある。館の内部には凝った模様の絨毯が敷かれ、庶民であれば土足で踏み入るのにも躊躇ちゅうちょしそうだ。


 衛兵に案内された先にアルシェ領領主夫妻が待っていた。意味の分からない形の彫像や、原色を多用した絵画がたくさん飾られた部屋だ。ノアとは芸術の趣味が合いそうにない。


 夫人の膝の上には獅子ではなく、猫が乗っていた。オレンジがかった長毛の種だ。


「よく来てくれました。ラザル傭兵団の方々」


 歓迎のげんを発したアルシェ領主の視線がノアに留まった。夫人もノアを見ているようだ。ノアは軽く下を向いて、そばにある彫像を眺めるフリをして夫妻から顔を逸らした。


「どうですか、この町は。今の時期は少し暑いくらいですかな」


「いえいえ、寒いより暑い方がいいですからね。いやぁ、いつ来ても綺麗な町だ、ここは」


「そうですか、そうですか」


 団長のお世辞に、領主は満足そうに頷いた。


「その彫像が気になりますかな?」


 自分に話しかけてきているのだとはすぐに察した。ノアは領主を視界の隅に捉える。口と顎に長いひげを生やした、でっぷりとした男だ。裕福であることはその体型からもすぐ分かる。


「これは、アシャールの品ですか?」


「おお、若いのにお詳しい。アシャールをご存知ですか」


 領主は嬉しそうな笑みを見せた。ノアは愛想笑いを浮かべる。知っているには知っているが決して好きではない。ノアには抽象的な作品の価値は分からない。


「アシャールは不運な彫刻家だ。生前はまったく評価されなかった。しかし彼の生き様が私は好きでね。誰がなんと言おうとも、自分の作風を曲げなかった。そして、作品を作って作って、最後には燃え尽きるように死んでしまう。美しいとは思わないかい?」


 身勝手な感想だとノアは思った。アシャールは売れない彫刻を掘り続け、最後には借金に塗れ、酒に溺れて、世を恨んで死んだ。その後、債権者が彼の作品を売り捌いたおかげで、名が売れたのは皮肉としか言いようがない。不運だったことに異論はないが、彼の生き様に美しさを覚えるのは、彼の苦労を知らないから出来ることだろう。彼だって貧困の中で死にたくはなかったろうし、没後に評価を得たのは不本意だったに違いない。


 とはいえ、反感を表情に乗せるようなことをノアはしなかった。相手が羽振りの良い依頼人であることは事実だから、不興ふきょうを被るわけにはいかない。


「その、アシャール、の話も素敵ですが、そろそろ依頼内容をお教えいただけないですかね?」


 団長が笑顔を作りながら言う。今にも揉み手でも始めそうな表情だ。それほどに今回の仕事の報酬は大きいのだ。


「おお、これは失敬。そうでしたな。そのために来られたのだから。いやぁ、芸術品の話となると時を忘れてしまいます」


 領主は肉付きの良い顔に笑みを浮かべ、たっぷりした顎髭を撫でた。


「実を言うと、今回お頼みしたい仕事に我こそはと立候補してきたのは貴方がたが初めてではないのです。しかしなんというか、誰も私たちのお眼鏡にかからなかった、とでも言いましょうか。それほど私たちにとって、今回の案件は大切で、適当な相手には任せられないのです」


 だから貴方たちにも任せられないとでも言うつもりか。ノアは隣にいる団長の緊張を感じ取った。団長は人柄が単純なのか、口に出さずとも感情が読み取りやすい。


「しかし」


 領主はぴんと立てた人差し指を傾けてノアに向けた。


「君なら大丈夫だ。私はそう確信した」


 領主は確かめるように妻を見た。膝に猫を乗せた夫人が、ノアに眼差しを向けたままで頷いた。


「こいつをお気に入りで?いやぁ、私たちにとっても自慢の団員で」


 団長がノアの肩に手を置いた。まったく調子のいいことを言う。


「ところで、依頼内容とはいったい何なのですか?」


 ノアは急かすように話題を戻す。先ほどから気になってしょうがない。正直なところ、勿体ぶらずに早く言えと思っている。


 領主は表情を引き締めた。何度も何度もひげを撫で、傭兵団員の顔を眺め回し、充分な間を取り、満を持して、声を低めて、発表する。


「娘を、誘拐してほしいのです」


「……は?」


 団長が間の抜けた声を発する。報酬がいい分、面倒そうな依頼だとノアは察した。


「しかし、娘は霊印持ちの術士です。無理矢理連れ出そうとすれば、双方怪我をしてしまう。娘が怪我をするなど、考えたくもない」


「ちょっと待ってください。娘さんの、誘拐?護衛とかではなく?」


 団長が混乱しながらも問う。


「護衛と言えば、護衛とも言えますでしょう」


 領主は緊張しているのか、ひげをずっと撫で続けている。


「当家におりましては、娘が危険なのです」


 何故危険なのか、領主は詳しい説明をしなかった。予想外の依頼内容に当惑している様子の団長も尋ねようとはしなかった。


「娘を連れ出すには、それ相応の作戦が必要だ。案が浮かばなければ、無理矢理連れ出すのもやむを得ないと思っておりましたが……」


 領主はノアを見た。その瞳はきらきらと輝いているように見えた。待ちに待った英雄を迎えるかのように。


「君がいれば、その必要はない。娘を頼みましたよ」


 存分に嫌な予感がするが、この場で露骨なため息をつくわけにもいかず、ノアは領主夫妻の視線と期待を一身に受け止めるほかなかった。

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ハート クロニクル ー英霊の導ー 三日月 @mikaduki24

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