アナタの中のアリス

チヌ

アナタの中のアリス

 教室でうつ伏せになって寝ている少女。

 猫(?)がやってきて少女を起こそうとする。


チェシャ猫 起きて!起きてよ!ねえ起きてってば!

   少女 うーん…?

チェシャ猫 やっと起きた。おはよう、アリス!

   少女 …え?

チェシャ猫 どうしたのさ、そんなに驚いた顔をして。何かおかしなものでも見たのかい?

   少女 …あなた、誰?

チェシャ猫 ボク?どこからどう見たって、猫じゃないか。

   少女 猫?

チェシャ猫 そう、猫!もしかして、猫を知らないの?かわいそう!それだけで人生の三割は損してるよ!

   少女 猫くらい、知ってるけど。

チェシャ猫 なぁんだ。だったら何も問題ないね。ボクは猫。チェシャ猫だよ、アリス。

   少女 アリスって、私のこと?

チェシャ猫 そうだよ。君とボクのほかには、誰もいないだろう?

   少女 でも私、アリスって名前じゃないよ。

チェシャ猫 だったら、君は誰?

   少女 私は…。

チェシャ猫 ほらね、答えられないじゃないか。やっぱり君はアリスだよ。

  アリス そうなのかな…?

チェシャ猫 そうだよ、アリス。何も難しいことなんてないだろう?君はアリスで、ボクはチェシャ猫。それだけのことじゃないか。

  アリス でも、だったらどうしてあなたはここにいるの?

チェシャ猫 何で?

  アリス 何でって、ここは教室でしょ?教室に猫がいるのはおかしいよ。

チェシャ猫 そうかなあ?

  アリス そうだよ、おかしいよ。

チェシャ猫 じゃあ君はここにいてもいいのかい?

  アリス 私はいいんだよ、生徒だから。

チェシャ猫 確かにボクは生徒じゃないね。猫だから。でも、ここって本当に教室なのかなあ?

  アリス どういうこと?

チェシャ猫 小学生とかがよくやるじゃないか。公園とかでさ、お母さん役とお父さん役と子供役になって、砂とか石とかを食べ物みたいにして遊ぶやつ。

  アリス おままごとのこと?

チェシャ猫 それそれ。そうやって遊んでる時ってさ、公園にいるけど公園にはいない、本人たちの世界じゃ、そこは家だったり店だったり、会社だったりするわけだろう?そうやって考えると、ここは教室じゃないとも言えるんじゃないかなぁ?

  アリス でも、ここは教室だよ。机と椅子があるし。

チェシャ猫 アリスにとっては教室でも、ボクにとってはただの遊び場で、絶好の昼寝場所だよ。

  アリス あなたにとっては、そうかもしれないけど。

チェシャ猫 場所なんて、不安定なものじゃないか。草原が一瞬で戦場になることもあるし、ゴミ捨て場がある人にとっては宝の山だったりもするだろう?人によっても状況によっても変わるような不安定なものにこだわるなんて、無意味だと思わないかい?

  アリス でも私は、ここが教室だと思う。

チェシャ猫 君がそうだと思うなら、そうなんじゃない?ボクは昼寝が出来ればなんでもいいや。

  アリス ねえ、チェシャ猫さん。

チェシャ猫 何だい、アリス?

  アリス 私はどうしてここにいるの?帰りたいんだけど。

チェシャ猫 忘れちゃったの、アリス?ここにいることを選んだのは君なのに。

  アリス 私が?

チェシャ猫 そうだよ。だから、君が帰りたいんなら帰ればいいんじゃない?帰れないとは思うけどね。

  アリス どういうこと?

チェシャ猫 問題!囚人が牢屋から出られないのはなぜでしょうか?

  アリス え?

チェシャ猫 さあ考えて、アリス。囚人が牢屋から出られないのは、なぜだい?

  アリス そんな急に言われても…。

チェシャ猫 カッチ、カッチ、カッチ、ほらほら、早く!カッチ、カッチ…。

  アリス 待って、急かさないで!えーっと…鍵がかかっているから?

チェシャ猫 ブッブー。残念、不正解!その牢屋には鍵なんてないんだ。

  アリス ええ?わかんないよ。答えは?

チェシャ猫 もうお手上げ?しょうがないなぁ。答えは、そもそも自分が閉じ込められていることに気づいてないからさ!

  アリス え?どうして?

チェシャ猫 例えば、生徒って教室から逃げないだろ、普通は。何で?

  アリス 何でって言われても…。

チェシャ猫 だって閉じ込められてるじゃないか。大勢が一カ所に。それでも逃げないなんて、変だと思わないかい?

  アリス …多分それは、自分の意志でそこにいるから?

チェシャ猫 ピンポンピンポン!やったね、今度は正解だよ、アリス!自分の意志でそこにいる、生徒はそう思い込んでるから、そもそも「逃げる」っていう考えがないのさ!かわいそうだよ、本当。自分で捕まりに行ってるんだからね。

  アリス その話と私と、一体何の関係があるの?

チェシャ猫 何の話をしてたんだっけ?

  アリス 私がここから帰れない理由。

チェシャ猫 …あぁ!そうだったそうだった。つまり、君が生徒で、ここが教室だと思ってる限り、君は自分の意志でここにいるってことなのさ。だから帰れない。「逃げる」っていう考えがないからね。

  アリス でも、私はここから出たい。帰りたいの。

チェシャ猫 帰りたいなら帰ればいいじゃないか。君はアリスなんだから、君が望めば出来ないことなんてないんだよ。

  アリス 帰れないって、さっきあなたが言ったのよ。

チェシャ猫 そういえばそうだったね。

  アリス 意味わかんない。私は帰れるの?帰れないの?

チェシャ猫 帰れるよ。

  アリス どうやって?

チェシャ猫 そうだなあ、思い出せば、帰れると思うよ。…多分ね。

  アリス 思い出すって、何を?

チェシャ猫 君が忘れたことに決まってるだろう?

  アリス 私はその内容が知りたいの。

チェシャ猫 ボクは知らないよ。ボクの仕事じゃないからね。

  アリス 仕事?あなたの仕事って?

チェシャ猫 昼寝と遊ぶこと!猫だからね!

  アリス なら、この話は誰の仕事なの?

チェシャ猫 しーらない。ボクには関係ないもん。

  アリス だったら誰が知ってるの?ねえ起きて!起きてってば、教えてよ!

チェシャ猫 わかった!わかったから!そういうのは、白ウサギとか、ハートの女王の仕事なの!

  アリス 白ウサギと、ハートの女王?

チェシャ猫 どっちだったかは忘れちゃった。両方だったかもしれないし、どっちか片方だったかもしれない。

  アリス その二人はどこにいるの?

チェシャ猫 どこにでもいるよ。ボクほどじゃあないけどね。

  アリス どういうこと?

チェシャ猫 しーっ!ほら、聞こえるだろう?

  アリス 何が?

チェシャ猫 チクタクチクタクチクタクって、なあんにもおもしろくない音がさ。

 白ウサギ (声のみ)チェシャ猫ー!チェシャ猫ー?チェシャ猫!あ、いた!チェシャ猫!

チェシャ猫 ほうらね。うるさいのが来たよ。

 白ウサギ チェシャ猫チェシャ猫!そんなにのんきに昼寝してる場合じゃないんだチェシャ猫!助けてくれ!ほら見て!時計の針がぐるぐるぐるぐる回って止まらない!ああほらもう一日が終わってしまう!ボクはまだ女王様にも会ってないのに!どうしよう?どうすればいい?ねえチェシャ猫!

チェシャ猫 ハイハイハイハイ、大きく息を吸ってー、吐くー。いいかい、白ウサギくん。今ぐるぐるしてるのは秒針だよ。まだまだ一日は終わらないさ。そんなに慌てることなんてないんだよ。

 白ウサギ え?…ああ、なんだ。よかった。

  アリス あの。

 白ウサギ わぁっ!誰?…って、なんだ、アリスか。驚かさないでくれる?

  アリス ごめんなさい。でも、あなたに聞きたいことがあって。

 白ウサギ 聞きたいこと?

  アリス 白ウサギさんは、私が思い出さなきゃいけないことが何か、知ってるの?

 白ウサギ ああそれ?もちろん知ってる。

  アリス 教えてほしいの。

 白ウサギ 嫌だ。お断りだ。

  アリス どうして?

 白ウサギ 帰りたいんだろ、アリスは。

  アリス そうだよ。

 白ウサギ だったらダメだ。帰るなんて。まだ何もしてないのに。

  アリス …どうしたら、教えてくれる?

 白ウサギ え?そうだな…なぞなぞは?

  アリス なぞなぞ?

 白ウサギ 答えられたら、教えてあげてもいい。

  アリス わかった。いいよ。

 白ウサギ 問題。カラスと机が似ているのはなぜ?

  アリス …え?

 白ウサギ カラスと机は似ているんだ。なぜ?

  アリス なぜって、カラスと机なんて、どう考えても似てないよ。

 白ウサギ わからないのは考えが足りないからだ。もっと考えて。

  アリス …ヒントは?

 白ウサギ ない。

  アリス それはひどいよ。いじわる。少しくらい教えてくれたっていいじゃない。ケチ。

 白ウサギ …しょうがないな。どうしてもわからないっていうんなら、チェシャ猫に聞いてみたら?起きれば、だけど。

  アリス チェシャ猫さん、起きて。起きてってば、聞きたいことがあるの。

チェシャ猫 zzz…。

  アリス 猫って踏んじゃったら怒るんだっけ?

チェシャ猫 おいおい、物騒なこと言うなよ!何だい、アリス?

  アリス ヒントがほしいの。カラスと机はどうして似てるのか。

チェシャ猫 そうだなあ、猫がティーカップとどうして似てるのかって考えればいいよ。

  アリス ええ?

チェシャ猫 わかりにくかった?じゃあ、ウサギはスプーンとどうして似てるのか。

  アリス ウサギとスプーン?

 白ウサギ そんなに見つめるな!ボクを見たってしょうがないだろ!

  アリス …ダメ。お手上げ。わかんない。

 白ウサギ そうか。…残念だ。

  アリス 答えは何だったの?

猫&ウサギ 答えはさっぱり見当もつかない!

 白ウサギ 考えてごらん、アリス。カラスと机だ。普通に考えたら似ているはずがない。でも似ている。似ているんならどこかは似ているはずなんだけどみつからない。だから答えはさっぱり見当もつかない。

  アリス そんなのなぞなぞって言えないよ。問題が成り立ってないもん。

チェシャ猫 アリスが言うなぞなぞって、どういうの?教えてよ、アリス。

  アリス 例えば「上は大水、下は大火事、なあんだ」とか。

チェシャ猫 うわあ、そういうのをなぞなぞって言うんだ。

  アリス 違うの?

チェシャ猫 知らない。ボクは何でもいいや。

  アリス ちょっと、すぐに寝ないでよチェシャ猫!…もう。

 白ウサギ アリス。君はどうして帰りたいんだ?

  アリス どうしてって、いつまでもここにいたって仕方ないでしょ。ここには何もないし、何も出来ない。退屈すぎて死んじゃうよ。

 白ウサギ 何もないって、誰が言ったんだ?

  アリス 誰も言ってないけど、どう見たって何もないじゃない。

 白ウサギ アリスの物語には、たくさんのモノがつきものだろ?それはここだって同じだ。君に見えてないだけで、いろんなモノがそこら中に転がってる。

  アリス そんなこと言われたって、見えないものは見えないよ。あるって言うんなら証拠を見せて。

 白ウサギ だってさ、チェシャ猫。ほら起きろ。君の出番だ。

チェシャ猫 えー、ボク?

 白ウサギ こういうのは君の仕事だろ。ボクの仕事じゃない。

チェシャ猫 ハイハイわかったよ。やればいいんだろ、やれば。全く、猫使いが荒いなあ。

 白ウサギ 何か言ったか?

チェシャ猫 べっつにー。さてと、アリスは一体何がお望みだい?楽しいこと?嬉しいこと?それとも悲しいこと?

  アリス じゃあ、楽しいこと。

チェシャ猫 あー、それは今品切れ中かな。

  アリス 嬉しいことは?

チェシャ猫 そんな気分じゃないなー。

  アリス 悲しいこと?

チェシャ猫 あれ、ボクそんなこと言ったっけ?

  アリス 何なの。やっぱり何もないんじゃない。

チェシャ猫 あるある、あるってば。そんなに急がなくたっていいだろう、アリス。時間はたっぷりあるんだからさ。

  アリス 急ぐに決まってるでしょ。私は早く帰りたいの。

チェシャ猫 わかったよ。君のポケットの中を見てみなって。

  アリス ポケット…?


 ポケットを探るアリス。

 小瓶を取り出すアリス。


チェシャ猫 アリスといえば、小さな瓶だよね。それからビスケット。猫はどっちも食べないんだけどさ。

  アリス いつの間にポケットに入れたの?

チェシャ猫 ボクはさっきまで寝てたんだよ?そんな暇があったんなら教えてほしいな。

  アリス これ、毒とかじゃないよね?

チェシャ猫 しーらない。飲んだことないもん。

  アリス 飲んでみてよ。

チェシャ猫 ボクは猫だから飲まないってば。白ウサギに頼めば?

 白ウサギ ボクも嫌だ!お断りだ!


 出て行く白ウサギ。


  アリス 白ウサギさん!

チェシャ猫 行っちゃったね。大人しく飲んでみれば?案外おいしいかもしれないだろう?毒薬こそ甘いってよく言うじゃないか。

  アリス 不安をあおるようなこと言わないでよ。

チェシャ猫 大丈夫だと思うけどなあ。アリスの物語だから、アリスは死なないって。多分。

  アリス 多分って言うのやめて。

チェシャ猫 だって知らないんだもん。それを飲んで君が死んでも、ボクは責任とれないしね。だから、多分、大丈夫だと思うよ?

  アリス 無責任だね、チェシャ猫は。

チェシャ猫 君には言われたくないなあ。

  アリス …え?

チェシャ猫 何?

  アリス どういう意味?

チェシャ猫 何が?

  アリス さっきの言葉。

チェシャ猫 ボク、何か言ったっけ?

  アリス 言った。

チェシャ猫 何て?

  アリス もう忘れたの?

チェシャ猫 忘れたってことは、そんなに重要じゃないってことだからね。

  アリス 私が無責任だって言ったら、あなたは私に言われたくないって言ったのよ。

チェシャ猫 そうだったっけ?

  アリス 本当に忘れたの?

チェシャ猫 ボクは今日のご飯と毎日の昼寝場所のことで頭がいっぱいだからね。それ以外はどうでもいいんだ。

  アリス それ、不安にならない?

チェシャ猫 何で?

  アリス 何でって言われても。

チェシャ猫 考えてごらんよ、アリス。記憶なんて、いつかは必ず忘れるだろう?だったら毎日、必要なこと、楽しいことだけを憶えていればいいじゃないか。誕生日じゃない日を祝うなら、誕生日を覚えてる必要もないだろう?誕生日も忘れちゃえば、それこそ毎日がパーティーだよ!どう?

  アリス どうって言われても…私には学校もあるし、勉強しなきゃいけないし、覚えなきゃいけないことがたくさんあるから。確かに全部忘れられたら、きっと楽なんだと思うけど。

チェシャ猫 だから、君はここにいるんじゃないの?

  アリス え?

チェシャ猫 本当に忘れっぽいのはどっちだろうね、アリス?まあしょうがないか。君はアリスだからね。

  アリス それ、前にも言ってなかった?

チェシャ猫 それをボクに聞いて、答えが得られると思うのかい?

  アリス 思わない。忘れてるんでしょ、どうせ。

チェシャ猫 そうそう、その通り!君もわかってるじゃないか。

  アリス あなたと話してると、すごく疲れる。

チェシャ猫 そりゃどうも。で?結局それ、飲むの?飲まないの?

  アリス そうだった…チェシャ猫、これ本当に大丈夫だよね?

チェシャ猫 しーらない。さっきからそう言ってるだろう?

  アリス せめてポジティブなことを言ってほしいんだけど。

チェシャ猫 ポジティブなことかぁ。あ、そうだ!もし君が死んだら、骨はちゃんと拾ってあげるよ!だから安心して飲んで!

  アリス それ、何のフォローにもなってないんだけど…って寝ないでよチェシャ猫!…わかった、飲むよ、飲めばいいんでしょ!


 小瓶を飲むアリス。

 出てくる三月ウサギ。


三月ウサギ あら、それ飲んだのね、アリス。

  アリス あなたは誰?

三月ウサギ 私はウサギよ。三月ウサギ。ねえアリス、今日はアリスの誕生日じゃない日?

  アリス え?誕生日じゃ、ないけど。

三月ウサギ おめでとう!誕生日は一年に一度っきりだけど、誕生日じゃない日は残りの三六四日もあるのよ!それを毎日お祝いしたら、毎日がパーティー、毎日がハッピーになるよね!誕生日じゃない日おめでとう、アリス!

  アリス 無意味だよ。誕生日じゃない日を祝うなんて。

三月ウサギ 毎日楽しく過ごせれば、それでいいじゃない。アリスもそう思うでしょ?庭のお花がしゃべったり、森の動物たちが服を着たり、誕生日じゃない日をお祝いしたり!無意味なことって楽しいでしょ?でも一番楽しいのはやっぱり、誰かを自分の下に見ることかしらね。

  アリス …何それ。そんなの楽しくないよ。

三月ウサギ ふうん、そんなこと言うんだね。ねえ聞いた?チェシャ猫さん。ううん、聞いていなくてもいいわ。アリス、いいこと教えてあげる。そんなことが言えるのは、あなたがアリスだからだよ。何も知らない、何も憶えてない、真っ白なアリスだからそう言えるの。

  アリス どういうこと?あなたは私が思い出さなきゃいけないことが何か、知ってるの?

三月ウサギ 私が知ってるのは、アリスが忘れてしまったこと。思い出さなきゃいけないかどうかなんて知らないわ。

  アリス 同じことじゃない。教えてよ。

三月ウサギ ダーメ。でも、そうね、ハートの女王から話を聞き出せたら、私も話してあげる。

  アリス ハートの女王…。

三月ウサギ ハートの女王はチェシャ猫が嫌いなの。話を聞き出すなら、今のうちにやらないとね。呼んできてあげようか?

   女王 その必要はないわよ、ウサギさん。


 出てくるハートの女王。


   女王 ごきげんよう、ウサギさん。ごきげんよう、アリス。何かお困りのようね。

  アリス あなたが、ハートの女王?

   女王 常に敬意を忘れないことよ、アリス。はい、もう一度。

  アリス …あなた様が、ハートの女王様ですか?

   女王 よく出来ました。ええ、私がハートの女王よ。

  アリス お聞きしたいことがあるんです。

   女王 いいわよ。何でもお聞きなさい。

  アリス 女王様は、私が思い出さなければならないことをご存じですか?

   女王 とてもよく知っているわ。それがどうかしたの?

  アリス 教えていただきたいんです。それが何なのか。

   女王 代償は?

  アリス …え?

   女王 自分だけ何かを得ようとするのは不公平よ、アリス。あなたが私から情報を望むのなら、あなたも私に何かをくれないと。

  アリス でも私、あげられるようなものは何も持ってないんです。

   女王 それなら、ゲームに付き合ってちょうだい。クリケットをしましょう。

  アリス クリケット、ですか?

   女王 あなたが勝ったら、教えてあげる。私が勝ったら、そうね…あなたをもらうわ。これでどう?

  アリス 私をもらうって、どういう意味ですか?

   女王 深い意味はないのよ。少しだけ、私に従ってくれればいいの。

  アリス 女王様、私、クリケットのルールを知らないんです。

   女王 簡単よ。ボールをバットで打って、ゲートにくぐせばいいの。ゲートは椅子で、バットはほうきね。ボールは、ウサギさん。あなたがやって。

三月ウサギ はーい、女王様!

  アリス 待ってください!三月ウサギを、ほうきで打つんですか?

   女王 そうよ。クリケットだもの。ボールをバットで打つのは当然でしょう?

  アリス でもそれじゃ、三月ウサギがかわいそうです。

   女王 そうかしら?ウサギさんは嬉しそうよ?

  アリス それは、女王様の命令だからです。三月ウサギ、正直に言って。あなたは本当にこれでいいの?

三月ウサギ 逆に聞かせて、アリス。どうしてこれじゃダメなの?

  アリス どうしてって、こんなのいじめじゃない!

三月ウサギ アリスは女王様に逆らうの?

  アリス それは…。

三月ウサギ アリスだってわかってるんでしょ?女王様には逆らえない、命令は絶対だって。女王様が命じれば、私はボールにだって、ゴミ箱にだって、ペットにだってなるんだよ。逆らったら打ち首になってしまうもの。誰だって、死ぬのは嫌でしょ、アリス。そうまでして、私を助けようとは思わないでしょ?

   女王 お話は終わったかしら?

三月ウサギ はい、女王様。

   女王 なら、始めましょう。ウサギさん、そこに丸くなって。先攻と後攻はコイントスで決めるのよ。表が出たなら私から。裏が出たならアリスから。いいわよね、アリス?

  アリス …はい。


 女王のコイントス。(どちらが出ても)


女王 表ね。私からよ。


 バットを構える女王。

 見ることが出来ないアリス。


チェシャ猫 女王を止めないの、アリス?


 動きを止める女王。


  アリス チェシャ猫…!

チェシャ猫 そんな顔するなよ。ボクが悪いみたいじゃないか。

   女王 …起きたのね、チェシャ猫。

チェシャ猫 ごきげんよう、女王様。今日もウサギでクリケットかい? 君は毎日楽しそうで何よりだよ。

   女王 ええ、楽しい時間になるはずだったわ。あなたさえ起きなければね。

チェシャ猫 ボクがいつ寝て、いつ起きるのかはボクの勝手だろう?ボクのせいにしないでよ。

   女王 あなただけよ、私の思うとおりに動かないのは。いっそのこと、ずっと寝ていればいいのに。本当に厄介な相手よ。

チェシャ猫 猫だからね。従わせようとするのが間違ってるよ。で?クリケットはしないのかい?三月ウサギはずっと待ってるみたいだけど?

  アリス チェシャ猫、ダメ!お願い、女王様を止めて。

チェシャ猫 どうしてさ?

  アリス だって…!

チェシャ猫 そんなに止めたいなら君がやればいいだろう、アリス。これはボクの仕事じゃない。君の仕事だよ、アリス。

  アリス 私の…。

   女王 私に逆らうの、アリス?あなた、情報がほしいんじゃなかったかしら?私は言わなくても構わないのよ?困るのはあなただけなのだから。

  アリス …クリケットのボールを、別のものにすることはできませんか?私、探してきますから。

   女王 嫌よ。ここであなたが戻るのを待っているなんて。チェシャ猫もいるし、何より退屈すぎて死んでしまうわ。

  アリス なら、クリケットではなく、違うゲームにしませんか?鬼ごっことか、かくれんぼとか、他にもたくさんあると思うんです。

   女王 嫌よ。私はクリケットの気分なの。ねえ、アリス。そんなにウサギさんを打つのが嫌なの?

  アリス はい。

   女王 いいことを思いついたわ。聞いてちょうだい。

  アリス 何ですか?

   女王 あなたがボールになればいいのよ。

  アリス …え?

   女王 そうよ、そうね!考えれば考えるほどいいわ!ウサギさんを打たなくて済むし、クリケットも出来るもの!そうと決まったらアリス、早くやりましょう!ウサギさん、立って。今度はあなたがほうきを持つのよ!

三月ウサギ 女王様、私はボール以外の役はできません。

   女王 ボールは二つもいらないのよ、ウサギさん。あなたはクリケットをやったことがあるでしょう?…それとも、逆らうの?

三月ウサギ まさか。そんなつもりはありません。

   女王 ならいいじゃない。一体何の問題があるというの?ここでは私が法律で、私の言うことが全てなのよ。逆らえば打ち首よ。わかっているでしょう?

チェシャ猫 打ち首って久しぶりに聞いたなぁ。でもボクは打ち首にされたことがない気がする。やらないの、女王様?

   女王 話に入ってこないで。面倒なことは嫌いなの。あなたは殺しても死なないでしょうしね。無駄なことはしないのよ。

チェシャ猫 よく言うよ。見栄っ張りの女王様。打ち首だって脅して、君がほしいのはトランプの兵士だろう?それはウサギの仕事でも、アリスの仕事でも、もちろんボクの仕事でもない。トランプの兵士がいないのは自業自得だろう?ボクらに仕事を押しつけないでくれよ。

   女王 黙りなさい!もういいわ。お望み通り、あなたも打ち首よ、チェシャ猫。

チェシャ猫 捕まえてごらん!女王様!

   女王 三月ウサギ、捕まえなさい。

三月ウサギ はーい!待ってよ、チェシャ猫!


 出て行くチェシャ猫。

 追いかける三月ウサギ。


アリス 女王様。

 女王 何、アリス?

アリス 女王様は追いかけないんですか?

 女王 走り回るのは好きじゃないの。せっかくの服が台無しになってしまうから。

アリス 女王様。

 女王 何?

アリス 女王様の仕事って何ですか?

 女王 仕事?

アリス チェシャ猫が言ってたんです。「それはボクの仕事じゃない」って。だから、女王様にも何か仕事があるんじゃないかと思って。

 女王 そんなものないわ。私は私がやりたいことをするの。誰にも口出しなんてさせないわ。だからアリス、あなたも気をつけないと打ち首よ。

アリス 肝に銘じておきます。女王様、もう一つ、いいですか?

 女王 何?

アリス トランプの兵士って何ですか?

 女王 そのままよ。ハートのトランプは女王を守る兵士なの。

アリス どこにいるんですか?

 女王 …。

アリス 女王様?

 女王 いないわ。

アリス え?

 女王 もういないのよ。トランプの兵士たちは。

アリス どうしてですか?

 女王 ねえ、アリス。あなた、バラは好き?

アリス え?はい、好きです。

 女王 バラって、いいわよね。私が一番好きな花なの。あなたは何色が好き?赤?白?それとも黄色?

アリス 赤が好きです。

 女王 私と一緒だわ!私も赤いバラが一番好きなの。だからね、ここをバラでいっぱいにするために、植えるように命じたのよ。トランプの兵士たちに。

アリス それで、どうなったんですか?

 女王 私が好きなのは赤いバラ。でも彼らが植えたのは白いバラ。バラは私の好きな花だけど、白いバラは大嫌いなの。だから私は、白いバラを赤くするように命じたわ。

アリス そんなこと、出来るんですか?

 女王 もちろん。私に出来ないことなんてないもの。白いバラを赤く染める方法、アリスにわかるかしら?

アリス 赤いペンキで色を塗る?

 女王 ちゃんとわかっているじゃない。でも、使ったのはペンキじゃないわ。美しくないもの。ペンキを塗ったバラなんて。

アリス ペンキじゃないなら、何を使ったんですか?

 女王 彼ら自身を。

アリス …え?

 女王 間違えて私の嫌いな白いバラを植えた兵士たちは、この後どうなったと思う?

アリス …どうなったんですか?

白ウサギ 打ち首になったんだ。


 出てくる白ウサギ。


 アリス 白ウサギ!

  女王 一体どこに行っていたの、白ウサギ。あなたのその時計はただのお飾りなのかしら?

白ウサギ これはこれは女王様。今日もお美しいですね。

  女王 無駄な口は叩かないで。あなたは黙っていれば優秀なのだから。

白ウサギ もちろん。女王様の仰せのままに。

 アリス 白ウサギ、さっき言っていたことの続きを聞かせて。

白ウサギ さっき?何の話だ?

 アリス トランプの兵士の話よ。打ち首になったって。

白ウサギ 悪いけど、身に覚えのない話だ。他を当たってくれ。

 アリス あなたもそうやって、忘れたふりをするの?

白ウサギ わからないものはわからないとしか言えないだろ、アリス?だってわからないんだから。

 アリス どうして…。

  女王 そうだわ、白ウサギ。あなたに仕事を頼もうと思っていたのよ。

白ウサギ 何なりとお申し付けください、女王様。

  女王 チェシャ猫を捕まえてきてちょうだい。

白ウサギ 捕まえる…チェシャ猫を、ですか?

  女王 そうよ。

白ウサギ それはまたどうして?随分と急ですが。

  女王 いい加減、打ち首にするのよ。私に逆らってばかりいるから。

白ウサギ ついに打ち首ですか。わかりました。この白ウサギ、必ずや女王様のご希望を叶えて参ります。

 アリス 待って、白ウサギ!

白ウサギ さっきから何なんだ、アリス?

 アリス あなた、チェシャ猫と友達なんじゃないの?

白ウサギ どうして?

 アリス だって、さっきまであんなに親しく話してたじゃない!

白ウサギ 友達の定義って何だろうな、アリス。そしてその定義に当てはまる人がみんな友達だって、君は胸を張って言えるのか?

 アリス それは…。

白ウサギ 答えはノーだ。考えなくてもわかるだろ?このことは君が一番よく知ってるんだから。

 アリス そんなの知らない!

白ウサギ そうか。なら、君のためにもう一度、なぞなぞを出そう。カラスと机はどうして似てるのか。

 アリス カラスと、机…。

白ウサギ さっきも言っただろ。カラスと机は似てるんだ。今度はヒントなし。でも答えは知ってるだろ、アリス?

 アリス 答えは…。

チェシャ猫 答えはさっぱり見当もつかない。そうだろう、アリス?


 出てくるチェシャ猫。


   女王 あら、チェシャ猫。わざわざ自分から首を差し出しに来てくれたのかしら?

チェシャ猫 まさか。ボクがそんな面倒なこと、するわけないだろう?ボクはなぞなぞを解きに来ただけさ。

 白ウサギ チェシャ猫、せっかく来てくれたところ悪いんだけど、大人しく捕まってくれないか?女王様のご命令なんだ。

チェシャ猫 それは大変そうだね。でもボクは今、昼寝の場所を探すので忙しい。他を当たってくれない?

 白ウサギ チェシャ猫がもう一匹いればそうするけど、あいにく君は一匹しかいないだろ?

チェシャ猫 そうとも言うかもしれないね。でもボクは今、昼寝をするので忙しい。これでも忙しいんだよ?君がボクを捕まえたいんなら、そうすればいいんじゃない? でも、昼寝の邪魔はしないでほしいなぁ。


 寝るチェシャ猫。

 チェシャ猫に近づく白ウサギ。

 白ウサギを止めるアリス。


白ウサギ どいて、アリス。君にはボクを止める権利はない。可哀想なアリス。何も憶えていないから、君はそうやってチェシャ猫を庇うんだ。

 アリス …どういう意味?

白ウサギ まだ何も、思い出さないのか。

 アリス 教えてよ、白ウサギ!あなたは全部知ってるんでしょ?どうして私はここにいるの?どうして私は何も憶えてないの?どうして私のことを、あなたたちが知ってるの?

白ウサギ アリスは鏡に、どうして自分と同じ動きをするんだって聞くのか?聞かないだろ。だって鏡に映っているのは他でもない、自分自身だから。それと同じことだ。

 アリス そんなこと言われても、わからないものはわからないよ。

白ウサギ 君もボクらと同じだ、アリス。わからないものはわからない。だってわからないんだから。でも君のそれはわからないんじゃなくて、思い出せないだけだ。忘れているだけだ。

 アリス だからあなたたちに聞いてるんじゃない!

白ウサギ それもそうか。アリス、君は女王様が今まで何人を打ち首にしてきたか、知ってる?

 アリス 知らないよ、そんなこと。

白ウサギ 女王様はすごい。全員の名前を言えるんだ。その罪状も含めて。それが上にたつ者の務めであり、命を握る者の責任の重さだから。君に足りないのはそれだ、アリス。

 アリス そんなのウソに決まってる! 死んだ人のことなんて、そんなに憶えていられるわけないじゃない!

  女王 私を疑っているの、アリス?

 アリス だって女王様、生きている人のことだって、関わりがなければ忘れてしまうんですよ?それなのに、死んだ人のことを憶えているなんて、信じられません。

  女王 あなたの言う通りよ。あなたは正しいわ、アリス。でも、本当よ。信じてもらえるには、証拠を見せればいいのかしら?

 アリス 証拠なんて、あるんですか?

  女王 あるわよ。見たい?

 アリス 見せてください。

  女王 イカレた帽子屋、眠りネズミ、ハンプティ・ダンプティ、哲学者のイモムシ、ドードー鳥、トゥイードル・ダムとトゥイードル・ディー、トカゲのビル、ハートのキング、トランプの兵士、ジャック、マックス、ルイ、ジョージ、ロナルド、ウィリアム、エドワード、ダニエル、アレックス、トーマス。これで満足かしら?

 アリス そんなにたくさん…どうして打ち首にしたんですか?その人たちは一体何をしたんですか?

  女王 私に逆らったから。打ち首の理由はそれだけよ。

 アリス たったそれだけの理由で、そんなにたくさんの人が…。

  女王 あなたに私を非難する権利はないわよ、アリス。だってもう一人、打ち首になった人がいるから。これは私の命令じゃないけど、私はちゃんと憶えているの。すごいでしょう?

チェシャ猫 ねえねえ女王様、ボクは打ち首にしないの? 待って寝てるのも飽きたんだけど。

   女王 あら?私はどうしてあなたを打ち首にしようとしたのかしら?忘れてしまったからもういいわ。今回は許してあげる。

チェシャ猫 それはご親切にどうも。というわけだからさ、いい加減ボクのことをそんな顔で見つめてるのはやめたら?そんなにボクが魅力的だっていうんなら、悪い気はしないけど。

 白ウサギ …悪運の強いやつだ。

チェシャ猫 お互い様だね。そっちだって、首の皮一枚でやっと繋がってるだけのくせに。君もボクみたいに生きれば、楽だと思うんだけどなぁ。

 白ウサギ 大きなお世話だ。

  アリス 女王様、話の続きをしてもよろしいですか?

   女王 何の話だったかしら?

  アリス 打ち首になったもう一人の話です。女王様の命令でないのなら、一体誰が命じたんですか?

   女王 ここで私と同じくらいの影響力がある人は限られているわ。アリス、あなたは誰だと思う?

  アリス また、なぞなぞですか?

   女王 そんなにいじわるな問題じゃないわ。白ウサギとは違って、答えはちゃんとあるもの。考えてみて。

  アリス …まさか、チェシャ猫?

チェシャ猫 意外な展開だなぁ。どうしてそう思うんだい?

  アリス あなたは女王様に従っていないし、さっき私のポケットから小瓶を出して見せたから。

チェシャ猫 なかなか面白いことを言うね。でも、ボクはそんな面倒なことはしないよ。猫だからね。

  アリス あなたじゃないなら、他に誰がやるの?

チェシャ猫 登場人物はみんなここにいるよ。この中の誰か一人だということに変わりはないさ。

  アリス そうしたらあとは白ウサギしかいないじゃない。

 白ウサギ ボクの仕事は女王様の命令に従うことだ。それ以外のことは何もしない。

チェシャ猫 そうそう。女王に忠実な白ウサギが、わざわざそんなことするわけないだろう?

  アリス じゃあ一体誰がやったっていうの?女王様でも、チェシャ猫でも、白ウサギでもないなら、他に誰がいるの?

チェシャ猫 君はいつもそうやって、目に見えてるものばかりに頼るからいけないんだ。君の目に見えてないだけで、ボクにはちゃんと見えてるよ。もちろん女王も、白ウサギもね。

  アリス あなたたちには、見えてるの?

チェシャ猫 いいかい、アリス。ここは不思議の国なんだよ。君は知っているはずだ。この物語の主人公を、誰よりもね。

  アリス 物語の、主人公。

 白ウサギ ヒントだ、アリス。白ウサギを追いかけたのは?

  アリス やめて。

チェシャ猫 小瓶の中身を飲んだのは?

  アリス やめて。

   女王 誕生日じゃない日を祝われたのは?

  アリス やめて!

チェシャ猫 君はそうやって、また逃げるのかい?

  アリス 逃げてなんかない!だって私は…。

 白ウサギ 答えは君自身が見つけるんだ。一体誰が、打ち首を命じたのか。

  アリス 打ち首を、命じたのは…。

チェシャ猫 わからないならもっとヒントをあげるよ、アリス。物語のタイトルは?

 白ウサギ これでもうわかるだろ、アリス。主人公の名前は?

   女王 最後のヒントよ、アリス。あなたはだあれ?

チェシャ猫 答えてよ。

 白ウサギ 答えるんだ。

   女王 答えなさい。

   三人 アリス。

  アリス 私は、私の名前は、アリス…?


  寝ているアリス。

  隣に座る三月ウサギ(?)

  起きるアリス。


三月ウサギ おはよう、アリス!気分はどう?嬉しい?楽しい?悲しい?それとも、怒ってる?

  アリス …最悪。

三月ウサギ いいね! 「最悪」とってもいい答えだと思うよ!

  アリス …あんたの嫌がらせ?

三月ウサギ まさか。私にそんな力はないし、あるとしたら、もっと別のことに使うよ。

  アリス だろうね。本当に最悪。よりによって「不思議の国のアリス」なんて。どうしてこの話だったんだろ。

三月ウサギ アリスが一番好きな物語だからじゃない?

  アリス なるほど。全部夢だったってわけね。今も含めて。

三月ウサギ どうしてそう言い切れるの?

  アリス あんたはもう死んでるから。私が、殺した。

三月ウサギ 思い出したんだね、アリス。

  アリス 忘れさせたのはあんたなの?

三月ウサギ まさか。私はそんなこと出来ないし、出来たとしてもやらないよ。アリスのことが大好きだからね。

  アリス つまり私は、自分で自分の記憶に蓋してたってわけね。自分で忘れようとしたのに、必死に思いだそうとしてたなんて、バカみたい。

三月ウサギ アリスは本当は、忘れたくなかったってことじゃないの?

  アリス 違う。忘れたかった。あんたのことも、私がやったことも、全部。

三月ウサギ でも、思い出したんでしょ?どうして?

  アリス 忘れたふりに、疲れたから。

三月ウサギ そっか。

  アリス どうしてあんたは何も言わないの?私はあんたを、殺したも同然なのに。

三月ウサギ 友達だから。アリスは独りぼっちの私にとって、唯一の光だったから。

  アリス 私はあんたをいじめたのよ?あんたが何でも「いいよ」って言うから、あんたが私の頼みを断らないから、都合のいい駒にしてたのに。

三月ウサギ アリスの頼みを断るはずないよ。私がアリスにしてあげられたのは、それくらいしかなかったから。

  アリス 周りの人間は自分勝手な私から遠ざかって行ったのに、あんただけはずっと側にいた。何をしたって離れていかないのがわかってたから、私はあんたを利用した。

三月ウサギ アリスは私に仕事をくれたんだよ。何の役にも立たない紙屑みたいな存在の私に、役割をくれたんだよ。

  アリス それなのに私は、ただついてくるだけのあんたが邪魔だと思った。黙って私の言うことを聞くだけのあんたを、友達にしておく価値がなくなった。

三月ウサギ 友達の付き合い方は変わるものなのに、変われなかった私が悪いんだよ。アリスが望む友達になれなかったから。

  アリス だから、あんたがクラスでいじめられてるのを知ってて止めなかった。見ないふりなんてかわいいものじゃない。私はクラスメイトに混ざってあんたをいじめた。それでも、あんたは私を「友達」って呼んだ。

三月ウサギ 友達はいつまでも友達だよ、アリス。どんなことがあってもそれは変わらない。そうでしょ?

  アリス 今ならわかる。ハートの女王も、チェシャ猫も私だったんだって。私は私を、私の外から見ていただけなのに、全部が他人事みたいに思えた。私は結局弱虫で、白すぎるあんたを見れなかった、見たくなかっただけだった。

三月ウサギ 大丈夫だよ、アリス。二匹のウサギはアリスのことが大好きだから。アリスと一緒にいられる。それだけで幸せだったんだよ。

  アリス でも落ちていったじゃない!柵を越えて、私の目の前で!あんたはずっと笑ってた。いじめられてる時も、何をされても泣いたり怒ったりしなかった。だから知らなかったの。あんたがそんなに追い詰められていたなんて。今でも信じられないの。だってあんたは最期まで笑ってたから!

三月ウサギ 楽しいときには笑うものでしょ、アリス。私は楽しかったよ。アリスと一緒にいられて、アリスと一緒に遊べて。

  アリス 私は楽しくなかった。あんたとの関わり方を変えるべきだった。いじめてるのに「友達」って呼ばれて、どうしたらいいかわからなくなった。だから閉じ込めた。見ないふりをした。私はハートの女王にはなれなかった。現実と向き合う勇気も、覚悟も、度胸も、私にはなかった。

三月ウサギ そんなの、持たなくていいんだよ。だって君はアリスだから。この物語の主人公はただ一人、君だから。アリスはアリスのままでいい。ハートの女王になんてなる必要ないんだよ。

  アリス 何であんたはそんなに優しいの?私はあんたに怒鳴られたって、罵倒されたって何も言えない立場なのに、どうしてそんな言葉ばかりかけるの? 私のこと、恨んでないの?殺したいとか思わないの?

三月ウサギ 私はアリスを恨んでないし、憎んでもいないよ。物語でだって、ウサギは自分から穴に落ちていったでしょ?落ちるのを選んだのは私。アリスはそれを追いかけただけ。アリスは何も悪くないんだよ。

  アリス あんたは本当にそれでよかったの?あんたは、こんな私を許してくれるの?

三月ウサギ 逆に聞かせて、アリス。どうしてこれじゃダメなの?ウサギは最初から、アリスを許してたよ。だって君はアリスだから。アリスはこの物語の主人公。ウサギを追いかけて、小瓶の中身を飲んで、誕生日じゃない日を祝われた、何も知らない女の子。だから何も悪くない。だって何も知らなかったんだから。そうでしょ、アリス?アリスは何も知らなかったんだよね?

  アリス そう、私は何も知らなかった。本当に何も。ウサギの気持ちも、ハートの女王の存在も、チェシャ猫の警告も、全部、全部知らなかった。私は悪くない。私は何も知らなかったんだから。知らないものはわからない。わからないものはわからない。だって、わからないんだから。いいんだよね?私、間違ってないよね?

三月ウサギ いいんだよ、アリス。だってこれは、アリスの物語だから。

  アリス …そうよ。これは私の、アリスの物語。誰にも口出しなんてさせない。だって主人公は私だから!ハートの女王にも逆らえる、唯一の存在は私だから!こんな簡単なことに、どうして気づけなかったんだろ?最初から何も、難しいことなんてなかったんだ。私はアリス。この物語の主人公。ただそれだけでよかったんだ。

三月ウサギ やっぱり、君はアリスなんだね。

  アリス 私はアリスよ。それ以外の何者でもないわ。そうでしょう?三月ウサギ。あんたもこれを望んだんでしょ?

三月ウサギ それでこそアリス、私の友達。アリス、あなたにプレゼントがあるの。

  アリス プレゼント?

三月ウサギ とってもいいものだよ。アリスがここに来て、一番最初にやること。不思議のきっかけと、その始まりの合図。ポケットの中を見て。


 ポケットを探るアリス。


三月ウサギ 「EAT ME」私を食べて。物語の振り出しから、もう一度二人で冒険しよう?

  アリス もちろん、断る理由なんてないわ。またウサギを追いかけて、誕生日じゃない日を祝われて、ハートの女王とクリケットをするの。アリスの物語は、まだまだ終わらない、終わらせたりしないんだから。

三月ウサギ 次はきっと、もっと楽しいことが待ってるよ、アリス。さあ、食べて。


 食べるアリス。


三月ウサギ でもね、アリス。物語の最後、アリスはハートの女王の裁判にかけられるよね。その後、アリスがどうなったのか、憶えてる?

  アリス …そんなもの、忘れちゃった。


 倒れるアリス。


三月ウサギ かわいそうなアリス。何も知らない君の夢は、もう覚めないんだよ。でも大丈夫。私がいつまでも、一緒にいてあげるからね?


おわり

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アナタの中のアリス チヌ @sassa0726

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