第2話 眠る男(素の人間はよく眠る)
芥川龍之介「黄粱夢」ではありませんが、当人は2・3分うたた寝をしていたつもりが、実際には半日寝ていた、という話。
1977年(昭和52年)の夏休み、私は高知の同級生の家に遊びに行くために東京の豊洲埠頭から、サンフラワーというフェリー(東京・那智勝浦・高知・九州)に乗りました。
乗船待ちの列に並んでいると、前の老人から、夏休みで東京の祖父のところへ遊びに来ていた連れの子供(小学校3年生くらい)を、次の停泊地那智勝浦まで面倒を見てくれませんか、と頼まれました。子供はデッキの隙間から海へ転落したりすることがあるので心配、ということでした。
私が軽く「いいですよ。」というと、老人は子供に「これでお兄ちゃんとご飯を食べるんだよ」なんて言いながら、お金?を握らせています。
乗船すると、私たちは2等船室(カーペット張りの大広間で、各人好きなところに陣取って寝る)へ行き、カバンを置いて場所を確保すると、船内を散策しました。
少年は一人っ子なのでしょうか、私というお兄ちゃんができて嬉しそうで、金魚のうんちみたいにどこへでもついてくる。私がトイレでおしっこをしていると、後から入って来て、ニコニコしながらとなりでおしっこをする。売店・食堂・お風呂と探検している時も、目をキラキラさせて楽しそうです。素直で仕草も品が良い。育ちのいい子とはこういうものなのでしょう。
船の汽笛が鳴り、いよいよ出帆となったので、私たちは一旦船室へ戻り、ちょっと休憩というつもりで、私はごろんと横になりました。すると、少年も私のマネをしてニコニコしながら脇で横になります。
私たちから1メートルほどの所には、中年の女性2名と、船内で知りあったのか、大学生風の男子3人が話をしています。
やがて、「ジャン・ジャン・ジャン」という銅鑼の音が聞こえてきました。
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フト目覚めると、まだドラの音が鳴っています。
私がむっくり起き上がると、例のおばさんの一人が「うわッ! 生きてる!」なんて叫びます。他の4人も顔を見合わせてビックリしている。
私が「はぁ?」なんて言うと、おばさんは「あなた、昨日から寝返りも打たず・いびきもかかないでずっと寝ているので、死んでるんじゃないかって、みんなで心配していたのよ。」「よかったわぁ-、生きてて。」なんて、おかしなことを言う。
私は頭が混乱して「『昨日』って、・・・いま何時ですか?」と尋ねると、「朝の6時ですよ」と。
腕時計を見ると、確かに針は6時を過ぎている。
そうです。昨晩6時に東京を出港した銅鑼の音とともに寝入った私は、いま那智勝浦から出港する朝6時の銅鑼の音で目が醒めたのです。
私にとってはなんでもないことですが、周囲の人にしてみればホラーだったということでしょう。
しかし、次の瞬間、「待てよ、・・・」。
「私と一緒にいた小学生はどうしました?」と聞くと、おばさんは「あなたがなかなか起きないので、一人で船室を出入りしてたけど。そういえば、しばらく前から姿が見えないわねぇ・・・。」
「!!!」
私は脱兎の如く、サンダルも履かずに裸足で階段を上りデッキへ飛び出しました。
那智勝浦港では、岸壁から直接長い傾斜のステップ(踏み段)で船に乗り降りするのですが、そのステップも船に引き上げられ、ゆっくりと岸壁を離れていくところです。
「定刻通りに出港するということは、ここまでの道中(航路)なんの事故もなかったということか。」なんて考えながら、岸壁に集まっている沢山の乗用車やトラックを眺めていると、かの少年らしき子供が、母親と父親に抱きかかえられるようにして歩いていく後ろ姿が、遠くに見えました。
私は黙って彼らに向かって手を振り(無責任なオレを許してくれ)と、心の中で呟いたのでした。
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あれから40年経った60歳の時、成田からトルコのイスタンブール10時間のフライトでは、食後映画を観ているうちに眠くなり、ぐっすり。気がついたらトルコに着いていました。
私の場合、大学1年生時「素の人間体験をする」ことで、体内の血が一つ(一種類)になり、頭が単細胞化したので、ストーンと眠りに落ちてしまうようになったのではないか、とも思います。まあ、もともと単純なので、寝付きは良い方なのですが。
それについて思い出すのは、高校時代(全寮制)、部屋が一緒の時があった在日韓国人の同級生のことです。彼はしょっちゅう「よく眠れない」「変な夢ばかり見る」と、こぼしていました。
米小説「失われた私」ではありませんが、ユダヤ人や三国人((敗戦国民でも戦勝国民でもないとして)第二次大戦後、日本国内に居住した朝鮮・台湾など旧日本植民地の出身者を指した俗称。)という人たちは、接する人や状況に応じていろいろな人格になれる。器用な性格というか要領の良さがある。つまり、一人の人間のなかに沢山の人格があって、使い分けをしている。その弊害が、「よく眠れない・変な夢ばかり見る」ということなのではないのだろうか、と思ったりします。
大学のクラブのOBである伊澤先輩のように「オレは(100%)韓国人だ」と大きな声で叫ぶ人は、その意味で単細胞なので、要領を使わないのか・使えないのか。
大学時代、日本拳法部の他の部員のなかに要領を使い(手を抜く)練習をするのがいると、コーチであった先輩はボコボコに殴っていました。拳法の技術が拙いとか、前へ出ないで後ろに下がるから叱るのではなく、できるのにやらない、キツい練習をごまかして切り抜けようとする(要領を使う)性根を、先輩は憎んでいらしたようです。
かつて自分の血の中にあった、同じ「要領を使う」性根を見たくなかったのかもしれません。
私も先輩と同じ「真夏の工場で過激な労働体験」によって、素の人間になったらしく、仕事でも・プライベートでも、日本でも外国でも・誰に対しても、一枚板で応対する癖がついたというか、そういうスタイルで生きてきたように思います。
良い場合とそうでない場合とがありますが、生きていく上で「精神的に疲れない」のは確かです。
そのおかげで「よく眠る」ことができるのかもしれません。
2024年8月23日
V.2.1
平栗雅人
現代の「聊斎志異」怪奇譚 V.2.1 @MasatoHiraguri
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