現代の「聊斎志異」怪奇譚 V.2.1

@MasatoHiraguri

第1話 純粋韓国人のもとで純粋日本人に目覚める

  聊斎志異 :中国の怪奇小説集。清の蒲松齢(ほしょうれい)の作。16巻。神怪や狐に関する民間伝説をもとに現実社会と人間の心情を活写した短編491話から成る。広辞苑 第七版 (C)2018 株式会社岩波書店


  「平栗、オレは日本人じゃない、韓国人なんだ。」と、キッパリ言い切るほどバリバリの在日韓国人のもとで、私は純粋日本人としての素の自分に目覚めました。これはある意味「ホラー」ではないだろうか。


  → 拙著「夏になれば思い出す Part2  私が私になった日」


  在日韓国人とは、私の大学(日本拳法部)の先輩(当時大学一年生の私より10歳年上のOB)で、この方の親御さんの経営する町工場で夏休み中1ヶ月間働かせてもらったのですが、この期間、大学のクラブの先輩・後輩」とか「韓国人・日本人」という枠を取り払った「素の人間」、単なる工場の工員とその部下という関係でした。

  ところが、そこから帰納的というか可逆的に「オレは韓国人であり、お前は日本人」という、互いの民族としての血を認識するに至ったというのは不思議なことです。


 いくら私が、目がうつろでフラフラの状態であっても、決して「大丈夫か ?」とか「頑張れ !」なんて声をかけられたことは、一切一度もなし。茹だるような暑さ(熱さ)のなか、私は幽霊のように、しかし気をしっかり持たねば死ぬ、という本能に動かされて一日一日を、ただただ淡々と生き延びていた。

  そんな私を見て、「自分は韓国人である」というしっかりとした自我を認識し・ご自分の精神的な立脚点を自覚している先輩は「お前は本当に日本人である」と、私に向かって自信を持って仰ることができたわけです。


  つまり先輩も、かつて私と同じようにフラフラの状態になるまで働いた経験から、しっかりとした「韓国人としての」自我を確立されていた。そして、いま目の前で自分とまったく同じ(苦しい)経験をしている私に、かつての御自分の姿を見ることで、人間としてオレもお前も一緒であるという共感と同時に、「お前は日本人・オレは韓国人」と、しっかり区別することができたのでしょう。


  その時の私は、頭も身体もフラフラでしたから、日本人・韓国人なんてことは考えもしませんでしたが、先輩の「素の心から出た言葉」を「私の素の魂」はしっかりと受け止めたので、50年後の今、その真意が解読できた (真の思い出になった)ということなのです。


  カッコよくいえば「50年の孤独な哲学」によって、昔のエピソード(出来事)は真の思い出となった。モノクローム(素)の思い出だけでもいいのですが、そこに色がつくことで、私の人生におけるマイルストーン(次回、私の人生をやる時の目印)として、より目立つ、ということなのです。


○ 翼はあるのに 飛べない人たち


  そして、在日韓国人という、日本人でもない韓国人でもない2つの顔を持つ精神の不安定な人間であっても、先輩や私のように「血の一滴」になるまで、孤独でしんどい肉体的・精神的鍛錬を体験すれば「オレは韓国人なんだ」と宣言できるくらい、煮詰まった魂を見いだせる(真の自分になれる)ということではないのだろうか。 

  それなのに、ほとんどの在日韓国人は、先輩がよく仰った「要領を使って」しまう。


「・・・翼はあるのに 飛べずにいるんだ ひとりになるのが 恐くて つらくて 優しいひだまりに 肩寄せる日々・・・」


「・・・ほんとうの自分を 誰かの台詞(ことば)で繕(つくろ)うことに 逃れて・・・」

→ 「彷徨へる猶太人」芥川龍之介


  もっとも、これは在来種純粋日本人にもいえることです。


  「警察官」のような、本当の自分を警察という権威で取り繕うことに逃れて、「真のわたし」として生き抜くことができない。警察官ばかりでなく、日本中のあらゆる職業や年齢の人たちが「誰かの作った殻・お面」で生きることで、安易な安心感という日だまりに肩を寄せる。


○ 1割の日本人


  そんな、9割の日本人が「要領よくほんとうの自分から逃げてしまう」という風潮のなか、1割の在来種純粋日本人はしかし、しぶとく「コギト・エルゴ・スム 真の自我」で生き抜いています。


  かつて、毒蝮三太夫という毒舌タレントに日本中から非難が殺到した時、NHKのアナウンサーであった鈴木健二という方は、こう仰ったそうです。

  「蝮さん、東京で江戸っ子といっても、1割くらいしか本当の江戸っ子はいない。あとの9割はよそ者(外来種)なんです。本物の江戸っ子(在来種純粋日本人)はあんたの真正・真の心をわかっているんだから、そういう本物の人間だけを相手にしている、という気持ちでやればいいんです。」と。

  街角ワイドというラジオ番組は、毒蝮三太夫さんが夕方、街角へ出て、一般大衆と気さくに話をしながら、人々の本音・社会の真実を引出すという企画で、10数年続きました。

  庶民の本音を引出すために、蝮さんはわざと乱暴な言葉(このクソばばあ・くたばりぞこない)や、ぶっきらぼうな対応(あんた、本気で言ってんのかい)で話をする。すると「蝮を辞めさせろ」という非難の投書が、一時は「馬に食わせるほど」ラジオ局に殺到したそうです。


  しかし、その内、蝮さんの真の優しさがラジオを通じてリスナーに伝わり、長寿番組として続いたのでした。


  私もはやく「神の味噌汁(神のみぞ知る)」という生き方ができるような、精神的境地になりたいものです。


2024年8月22日

V.1.1

平栗雅人

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