後編

 幼少から体が弱くきちんと学校にも通えなかった私に初めて友人が出来た。私よりもずっと年上で物知りな小父様だった。

 私は虚弱な体のせいで手術や投薬を繰り返し体はとてもではないが綺麗では無い。体を壊すたびに増える跡を見るのが嫌で私はいつも長袖を着ていた。

 天気も季節も関係なく私は常に長袖で過ごす。学校の人たちは滅多に来ない私をよく思っていないのか服装のことで私をからかい、袖を捲り上げて笑い者にした。

 私は腕に包帯を巻いて、袖口から跡が覗かないようにした。だが、周りはそれを許さなかった。私をしつこく追い回して包帯を剥ごうとする人が後を絶たない。ある時限界だった私は学校を飛び出して近くの河川敷まで逃げた。人並みにも走れない体をあの時ほど憎いと思ったことはない。

 河川敷には一人の男性が立っていた。私は彼に気付かれないように静かに背後を陣取って逃げて来た道を振りかえると、私を追って来た者たちの背中が見えた。大人の居る場所で私に手をあげるのが憚れたのだろう。これが私が最初に小父様に助けられた日のことである。

 私はそれ以来、度を超えたことをされそうになった時は河川敷まで逃げるようになった。河川敷にはいつも小父様がいて、その度に私は影なから彼にお世話になっていた。

 学校に行けなくても、具合が良い時は運動を兼ねて軽く外を歩かなくてはいけない。私はそれが何よりも嫌だった。学校の人に見つかって、さぼりだと吹聴されたことがあるからである。それでも少しでも健康でいる為に私は外に出る必要があったので、この頃から私は河川敷を歩くようにした。日中であればまず誰にも合わずに済んだし、小父様は夕方に来ることが多いのでその前に帰れば邪魔にもならない。

 こうして河川敷に通うようになって初めての夏、私はその日いつになく体の具合が良く夕方頃まで河川敷を歩いた。

 靴を脱いで川に足首まで浸り、長いスカートの裾を摘んで回ってみる。体育で皆が楽しそうに踊っているのを思い出して同じように動いてみた。

 水を蹴り上げ、スカートを翻す。飛沫が火照った体を冷やしてくれた。

 息が苦しくなっても私は回り続けた。もうこんなに体の具合が良い日は来ないと思っていたから、今のうちに動いておこうと思った。いつ終わるか分からないこの命が、今ここで尽きたら、それでも良いとさえ思った。だから足がもつれても服が濡れて寒くなっても、私はずっと回っていた。

 次の日私は重い風邪を引いたが後悔はなかった。けれどもうあの日ほど体の具合が良くなることはなく、私は外に出るときは必ず河川敷に行ったがもうあの時のように動くことは出来なかった。

 

 小父様はこの頃から見なくなってしまった。

 叶わないと分かっていても私はいつか彼にお礼がしたかった。彼は何も知らないけれど、私は彼に何度も助けられたのだからきちんとお礼をするべきだろうと思ったのだ。しかし言葉を交わす依然に小父様は私のことを知らない。いきなり声をかける迷惑を考えて私は諦めることにした。私は昔から諦めるのだけは上手いのだ。

 諦めた後も河川敷に行ったのはただの惰性だった。学校に行かない日が長く続いたせいで周りは私のことを気にしなくなり、街中を歩くことも出来るようになったが私の中でもう散歩道が出来てしまっていたので今更変えるのは面倒だった。

 河川敷の砂利につま先を突っ込んで蹴り上げた。宙に飛び上がった石は重力のままに叩きつけられて転がった。この程度の衝撃では欠けもしない石に悋気を感じて踏み躙ったところで背後から小さな足音が聞こえた。音の主は小父様だった。振り返った勢いで小父様と目があってしまった私は慌てて、思わず少し近づいて挨拶をした。私の可笑しな勢いに彼も微かに驚いた顔をして、それでも愛想の良い笑顔で挨拶を返してくれた。

 私は世間話を装って彼との会話を試みた。拒まれればそれまでだが、距離を縮めることができればお礼に繋がると思ったからである。

 私の命はいつ終わってもおかしくない。何もかも遣り残すつもりで生きてきたが、あれほどまでに助けてもらった礼だけは遺していきたくなかった。

 私の思惑など知らない小父様は私と沢山話をしてくれた。小父様は知識のある聡明な人だった。医者か看護師か両親くらいとしかまともに話をしたことがない私はきっと下手な受け答えしか出来なかった筈なのに小父様は私に、私の知らない外の話を色々と聞かせてくれた。

 小父様ばかりに話をさせては良くないと私はなんとも纏まりのない話を繰り返したが小父様は常に丁寧に聞いてくれた。

 小父様は聞き上手な人だった。

 私の話をじっくり聞いてくれる人に初めて出会った感動に乗せられて、小父様を退屈させないようにありとあらゆる嘘に出鱈目を重ねた。小父様の中の私はでっち上げの虚構ばかりで、私は小父様といる度に罪悪感を感じたがそれを最後まで明かす事はしなかった。小父様にとって、私の話す私の話が嘘であるか真であるかはそこまで重要ではないと思ったからである。

 

 私は小父様と二度目の約束をした。

 あの日と同じ夕方の河川敷で私は石を眺めながら小父様を待った。

 生まれてから長く病床を出られなかった私に人を面白くさせる話題などそうある筈も無く、臥している時に読む本の話を振った時に小父様が一瞬顔を顰めたように見えて話題に窮した私は石が好きだと嘯いたのだ。どこにでも転がっている石ころに特別を感じたことなどないが、話をした中で石の話が一番小父様の興味を引いた感じがあった。

 砂利道にしゃがんで一つの石を手に取った。灰色で、小さくて、少し丸いその石は周りのどれとも似たような見た目で差など分からなかった。手にした石を近場に放って、もう一度その石を見つけようとするともう見つからなかった。

 加われば溶け込んで馴染んでしまう、そういう周りと同じで普通な事が羨ましいと思った。きっとそんな目でしか石を見る事ができないからどれも同じに見えたのだろう。私は放り投げた石をもう一度探したが見つからなかったので丁度足元に転がっていた別の石を拾った。川まで持っていて綺麗に洗って眺めてみた。

 普段は石を拾うことも洗うこともしないが、今日はしなくてはならなかった。小父様についた嘘を真実にするためである。石の話の時の小父様が楽しそうだったのを見て私はとんでもないことをしでかしてしまった気持ちになったのだ。

 川辺にしゃがみこんでいるところで小父様が来た。小父様は汗を流す私の顔を見て、私の長袖を見た。私が咄嗟に後ろ手に隠して誤魔化そうと口を開く前に何を聞くでもなく私を近くの木陰に移動させた。その道中、風で捲れた袖口から包帯が見えてしまったがやっぱり小父様は何も言わなかった。

 私は居た堪れなくなって謝罪をした。本来見せるべきでは無いものを目に触れてさせてしまった事が恥ずかしくて謝らずにはいられなかったのだが、小父様はどう受けたのか私の謝罪を聞いてすぐに怪我が痛むなら帰るといいと云った。

 平気だといって帰らない私を小父様は酷く心配した。そういう意味で謝ったのではないと説明したら、今度は小父様が私に頭を下げた。

 木陰に入ってからも私たちはしばらく頭を下げあった。周りから見たら滑稽だっただろうけれど、こうして生産性のないやり取りをだらだらと続けるのは楽しかった。

 気が抜けたのだ。だからとうに諦め忘れたはずの願望が口から滑り落ちてしまった。

 小父様は優しい人だった。


 私の願望を掬った小父様の家にお邪魔したのはそれから一週間程たった夕方だった。

 案内された縁側には既に沢山の画材が広がっていた。共に用意されていた紙には全てに綺麗な絵が描かれていた。小父様はとても絵が上手な人だった。

 私の周りには絵を描ける余裕のある人が居ない。忙しい大人達にこれ以上の迷惑を掛けたくなくて、自分で暇を見つけて練習したが一向に上達しなかった。私の包帯は白いままで、私は時折それを虚しく思いながら生きるつもりであった。それでも構わなかったのだが、唯一小父様だけは私に真摯に向き合って、私の願いを叶えてくれた。

 日が暮れて暗くなり始めた頃、私の腕には大輪のひまわりが咲いた。

 家に帰ったら両親と幼い弟が揃って楽しげにお茶をしていた。弟は私と違って健康で活発な子供だった。まだ小さいので怪我が尽きず、両親は弟をずっと気にかけていた。

 弟が生まれる前は治療費を稼ぐ為に両親は殆ど家におらず、弟が生まれてからは仕事を減らして弟の側にいる時間が増えた。健康な弟の前で両親はいつも嬉しそうな顔をする。絵に描いたような幸せな家庭というのはああいうのをいうのだろう。弟が生まれてからも病院の寝台から動けなかった私はそこに入れなかった。

 多分、愛されていないのではない。私がもっと健康で元気だったら問題はなかった。

 両親が家にいるようになってから私は外出を増やした。外で学校の人に会う事よりも、家で顔を合わせる度に不安そうな、それでいて安心したような顔で笑いかけられる事のほうが嫌だった。気を遣わせるくらいなら、外出する事で自分の体調の良さを知らせた方がいいと思った。

 私は早々に部屋に篭り、長袖をたくし上げて腕を見た。私が想定していたよりも数段素晴らしいものを描いてくれた小父様に私はお代を払うと言ったが、小父様はそれを頑なに拒んだ。小父様はお代を取るようなものではないと繰り返したが、私は私が小父様に払いたいだけなのだと懇願した。

 事実、小父様の絵は外に売り出せるくらいに素敵なものだった。私は彼がそれを描けるようになるまでに掛けた時間や培った技術に対して正当な対価を払いたいと主張して、話し合いの結果彼は私に石を持ってくることを提案した。

 石に対する知識など無い私は小父様の元を訪れる度に何の変哲も無い普通の石を持っていった。ただ目に付いた石を拾って洗っただけのものを彼は随分大事そうに受け取って観察した。渡す時に必ず言い様のない惨めさに襲われた。なるべく良い石を渡したかったが、私には石の良し悪しなど分からなかったから歯痒くなりながら下を向いて道を歩くのだった。

 私の見る輝く石に興味があると言っていたが、彼に渡した石はどれも私の目に輝いて映ったことはない。なんとなく気を引かれてなんとなく拾っただけの石に、いったい彼は何を見たのだろう。彼の目に、石は輝いて映ったのだろうか。

 

 度重なる外出が祟って私は不調の日が多くなった。

 病院にお世話になる回数も増え、病状が改善するまでに時間がかかるようになって、小父様のところへあまり行けなくなってしまった。

 小父様は私に猫を描く時、真剣な顔から少し柔らかい顔になる。

 私は小父様に、長く来られなくなる前は必ず猫を描いてもらうことにしていた。小父様の好きな猫と共であれば無機質な病室でも腐らずにいられたのだ。今まで小父様に描いてもらった包帯はきちんと保管してあるがそれらを病室に持ち込むことは出来なかったから入院中の拠り所はこの二本の包帯のみだった。

 じきに私は病院から出られないようになった。

 私の命はいつ終わってもおかしくない。覚悟はしていたが、ふと小父様に絵のお礼を伝えていないことを思い出した。

 小父様は毎回私に描かせてくれた礼を言う。繊細で素敵な絵を描く彼はずっと卑屈でいるものだから、私は彼のお礼にはいかに私が嬉しく思っているか、小父様の絵を好いているかを論じることで応じていた。私はきちんと礼をした記憶が無いので、死ぬ前に一度彼の家に行きたかった。

 私の状態はもう良くなることはないらしい。だが何度かもう駄目だというところで奇跡的な回復を繰り返した。けれど、どんなに回復してもそれは僅かで一時的なもので病院から出られる程のものではなく、私は毎回ぬか喜びで終わった。

 私はどんなに奇跡が起きてももうここを出られない。小父様に会いに行くことは叶わない。

 だから手紙を書くことにした。私の最も愛する小説の作者近影を添えて、私の願いを叶えてくれた唯一の小説家に、感謝と、最大限の敬愛を込めて。

 

 私の棺にあの包帯を、手紙を先生に送って下さい。


 (ある女学生の手記より 全文)

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延命 海崎しのぎ @shinogi0sosaku

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