神様はどうやら私達を死なせてくれないらしい
沙羅音(さらね)
序章:舞台はここから始まった
第1話:絡繰少女と彼の出会い
目を覚ますと、目の前に広がるのは未知の世界だった。
(ここは、何処だろう)
緑色の光が淡く灯る薄暗い部屋。壁や床には無数のプラグが張り巡らされ、その周囲には作りかけのガラクタのような物が乱雑に散らばっている。
そんな不気味な場所にいるのは、長い銀髪に碧い目をした少女ただ一人。
(知らない物ばかり)
彼女は身に覚えのない状況の中、唯一自由な目を動かし部屋の隅々を観察し始めた。客観的に見て、常人であればパニックになっていてもおかしくはない状況だ。しかし、彼女は違った。彼女は、自分が何故このような場所にいるのかなどといった考えには至らず、ただ自分がここにいるという事実だけを受け止めている。
(…………そういえば、私は誰なんだろう)
そんな彼女が次に思ったのは、実に抽象的事だった。
今の彼女には記憶がなかった。自分が何者か分からない。目を瞑り思い出そうとしても、何も思い浮かばない。そして、そんな自分はどうやらどこかが欠けてしまっているようだ。知識として意味は分かる。しかし、理解が出来ない。曖昧で不確かで不安定な『感情』という物を今の彼女は分からない。彼女が分かるのは、知識から導き出せるものだけだ。
そしてそんな中で、"自分は既に死んだ身である"という事だけが何故か事実として頭に残っている。これを記憶と言っていいのかは分からない。しかし、そんな不可解な事を考えても何も始まらないような気がして、彼女はすぐに考える事を止めた。そんな矢先だった。ふと、目の前の扉が開く。
「……あ、れ。もしかして、起きてる?」
そして、扉が開くと同時に彼女以外の何がが現れる。身体的特徴を見るにその生き物は『人間』で性別は『男』のようだ。そして彼女が持つ知識の中で、その風貌を表す単語は『研究者』もしくは『技術者』。黒髪の少しフワッとした髪に厚めの眼鏡、真っ白な白衣を羽織った青年は彼女を見ると目を大きく開いた。
「……ッ目が動いてる。やっぱり起きてるね!!良かったぁ、成功したみたいだ。あ、いや、まだ成功したとは限らないのか。そうだ、早とちりはいけない。この間それで
そして、自分が起きていると分かると彼は一喜一憂し、その後ブツブツと呟きながら目の前を行ったり来たりし始めた。何やら不可解な行動が多いが、彼女がこの状況を打破するには目の前のこの青年に話しかける以外の道はない。
「あの……」
「え、う、うわぁ!?」
「あ……」
ただ呼びかけただけ。にも関わらずその青年はその場で派手に転んだ。
「いてて……!ハッ!き、君!」
「……?」
「意識がある。……やっぱり、今度こそ成功だ!」
「成功?」
「あいや、気にしないで良い……訳ないか。うん、それはゆっくり説明するよ。だから少し待って。ここ片付けるから。……あー普段からあれほど片付けろと言われていたのに、こんな時に後悔するなんて。……あ」
派手な音を立てながら、そこらに散らばる物を青年は片付ける。よく見るとそのガラクタはただのガラクタではなさそうだった。それは何かのパーツに見える。それがパーツだと分かったのは、随分と見覚えのあるものだったからだろうか。
「そうだ、繋いだままだった。動けなくて辛いだろうからすぐ外すね」
そう言われ初めて気が付いた。身体が動かないとは思っていたが、まさか自分があのプラグに繋がれていたとは。
青年は持っていた"腕の様な"パーツを机に置き彼女に近寄ると次々とプラグを解いていった。彼は、随分警戒心の薄い人間のようだ。拘束を解いた彼女が反抗するなど考えてもいない。まあ、彼女自身特に何もするつもりはないので杞憂な事だが。
「はい、全部外れたよ。どう?何か動かしにくいとか、変な所はない?」
「ない」
「そっか。良かった」
彼女は朗らかな青年を見て、とりあえず何か言わなければと思った。恐らくこういう時は感謝の意を示すのが正しかったはずだ。だから彼女は、意味もよく分からないまま知っている単語を口にする。
「……ありがとう」
「うん。どういたしまして」
ああ、恐らく合っていたのだろう。それは目の前の青年の顔を見て何となく分かった。先程まではどうも引き攣ったような顔だったが、少しは緩んだように見えたから。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「よし、とりあえず挨拶から始めようか。と、その前にまずは深呼吸だ」
「……」
「スーッ……ハーッ……」
「……」
「うう、どうしよう。何故か緊張する」
「……挨拶しないの?」
「ごめんなさい!!」
彼女が思わず指摘すれば、青年はそれは大きな声で叫ぶかのように謝罪した。この目の前の青年はどうやら少々抜けているというか、緊張感にかける部分がある。
「ゴホンッ……とりあえず、えっと、こんにちは」
「……こんにちは」
「うん。聞きたい事は山程あるだろうけど、まずは僕の質問に答えてほしい」
「……分かった」
「よし!それじゃあ、まずは覚えている事を教えて」
「覚えている事は、ない。自分が死んだって事くらい。それも事実だと思い込んでるだけなのか、それとも事実なのか分からない。現に私はこうして生きているように話してるから。……それだけ」
その言葉に青年の顔がほんの一瞬歪んだ、ような気がした。
「ああ、やっぱりエピソード記憶のインプットは叶わなかったか」
先程のは見間違いだったのだろうか。彼の表情は最初からずっとコロコロ変わり続けているとはいえ、それは笑顔であったり困惑であったりそういった分かりやすいものだった。ただ、さっきのあの顔は当て嵌まらない。彼女が知っている『表情』にはどれにも当て嵌まらない。それは自分が感情がないからなのか分からないのか。それとも知らないだけなのか。その答えすら今の彼女には導き出す力がなかった。
「ん?もしかして感情記憶も?いや、エピソード記憶が抜ける事で感情も消えてしまったのか」
そして、抜けていると思っていた青年は洞察力には優れているらしい。彼女の変わらない表情と状況から基づいた推測で、彼女の感情の無さを見抜いく。
「そっか。そうなると、何にも思わないのも無理はないな。記憶がない事に怯える事がない。……うん、良かったのかな。いや、でも……」
(この人、もしかして)
「貴方、もしかして死ぬ前の私を知ってるの?」
この目の前の青年は言動から見るにどうも自分の事を知っているように感じる。"自分が何故こうなっているか"という早々考える事を止めてしまったこの疑問も青年は知っているはずだ。
「あ……いや、その……」
「知っているのね」
「……うん。そうだよ。って言っても、詳しくは知らない。君の素性とか出身とかそういう事を僕は知らない。君は僕に教えてくれなかったしね。僕が知っているのは君がとても優しい女の子である事くらいだ」
「そう」
優しい、か。
今の彼女は生前の自分が分からなかった。優しいという曖昧な物は、理解出来ない。ただ、悪い人物ではなかったのだろう。現に目の前の青年の顔は、とても穏やかだ。
「……あ、でも名前だけ!名前は知ってる!ごめん!!」
「何故謝るの」
「え」
「悪い事なの?」
「ううん、そうじゃないんだ。ただね、名前ってとっても大事なんだよ」
「大事……」
「そう。名前はその人を表すと言っても過言ではないんだ。だから、オレが忘れたくないだけ」
なるほど、これはこの青年のこだわりなのだろう。それを特に咎める必要などない。
「君の名前はユリア」
「ユリア……」
「そう、ユリアだ。素敵な君にピッタリの名前だよ」
「……私はユリア」
「うん。そして僕の名前はベルだ。これからよろしくね、ユリア」
青年ベル。彼は、先程の笑顔を消して言う。
「とりあえず簡単に言おう。……ちょっと信じれないかもだけど、君は1度死んだ」
「……」
「そして……僕が君を蘇らせた。ちょっと語弊はあるけどね」
「なんで?」
ああ、やはり死んでいたのか。自分の唯一の記憶が間違いではなかった事に妙な焦燥感を感じるが、それ以外は特に何もない。それよりも、ベルの様子が気になった。
「分かってる。死んだはずの君をこんな形で蘇らせるなんて、駄目な事くらい分かってたんだ。だけど、どうしても」
いつの間にか、ベルの目から透明な雫が流れていた。ああ、何故だ。何故この青年は泣いているのか。分からない。自分には分からない。だから、彼に聞くしかない。分かる為には、理解する為には、問いかけるしかないのだ。
「私、貴方がなんで泣いているのか分からないの。泣くのは悲しい時だと私の知識が言ってるけど……貴方は今悲しいの?」
すると、ベルは俯いていた顔を上げてユリアを見た。
「そうだね、悲しい……とは違うかも。どっちかというと嬉しいんだ。それなのに悔しくって、それで自分のどうしようもなさに呆れてる」
「つまり?」
「まとめると、うーん……難しいな。でも嬉しいが強いね。やっぱり君に会えて嬉しいよ」
ベルは笑う。涙を流しながら、それでも笑う。ユリアの目を見て。
「ねぇ、ユリア。とりあえず君の身体の事とかはまた教える。それよりまずは僕と一緒に色んな事を経験していこう。ちょっと君の
(どうして、そこまでするのだろう)
ユリアは彼の言葉が理解出来ずにいた。聞く限り自分とベルの仲は、深くはないように感じる。素性も分からないような自分。上っ面だけに感じる優しさ。そのどれもが彼の熱意と釣り合わない。
「ベルは、何故そこまでするの?」
「ん?」
「貴方、私に何でそこまでするの?……私がどんな存在なのか、何となく理解しているわ。記憶はないけど知識は残っているの。恐らく
4つの大国と1つの孤島から成り立つ世界コーデリア。そんな世界の各地にある魔力の源
「知っている事、多いんだね」
「どうかな。何を失くしたのか曖昧だから、分からない」
「はは、それもすり合わせしていこう。なんせまだ時間はある」
「……やっぱり分からない。私にそこまでの価値が?」
「価値なんて関係ないんだ」
ベルは言う。ユリアの疑問に答えるように、だけど期待には答えないように。彼女はまだ彼を理解出来ないだろう。でも、それで良いと思うのだ。これは自分の独り善がりだから。だから、君はまだ理解なんてしなくて良い。ああ、でもそうだな。もし記憶を思い出す事があるなら、その時はまた一緒に笑ってほしいと思う。
「僕は、君をずっと待っていたんだから」
そんなベルの想いをまだ知る事はなく、ユリアは彼を理解出来ずに。それでも青年の顔にどこか親近感を覚えて。
そうして、今日が過ぎていくのだった。
神様はどうやら私達を死なせてくれないらしい 沙羅音(さらね) @rao-horn
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