1 デートの約束
5月らしからぬ夏日を記録した今日は、予想通りソフトドリンクやデザートの注文をする客が大半を占めた。
柊も厨房に居ながら、いつもより頻繁に水分を補給していたように思う。
カフェタイムの片づけを終え、バイトスタッフも帰らせたあと、柊は事務所でPC作業を始めた。
今日は莉子の帰りも遅くなるとのことだから、もう少し残って仕事をしようと思ったのだ。
今日の店の売り上げの計算や、必要な材料の発注作業、店内のメンテナンス、スタッフの給料計算────やること・考えることは たくさんあるが、柊の頭には交換日記の存在があった。
水色の縞模様が特徴の日記帳は、残りのページが少なくなってきており、そろそろ買い替えなければならない。
莉子と交換日記を始めたのが入籍した時と同時だから、もうすぐ1年が経とうとしている。
────そうだ、1年だ。
忙しいのを言い訳に、すっかり忘れていた。
結婚記念日は来週の水曜日。 ちょうど2人とも仕事が休みだ。
初めての記念日だというのに、プレゼントも何も考えていなかった。
もしかしたら莉子は、今日の寄り道で、プレゼントを選んでくるかもしれない。
柊は、突発的な焦りに、全ての動作が止まってしまった。
自分は、料理を作るのが好きだ。 得意だ。
記念日の夜に、何か特別なディナーコース料理を用意しようか……。
……いや、料理は家でも毎日作っている。 どうせだったら、もっと立派なレストランで美味しい料理を食べに行った方が記念に残る。
プレゼントを買うのはどうだろうか?
だがこれに関しては、柊には自信がなかった。
結婚指輪を買った際、柊が選んだデザインの指輪は、ことごとく莉子に却下された経験がある。 莉子いわく「柊は女の子の好みが分かってない」のだという。
ここで柊は、閃いた。
莉子をデートに誘おう。 莉子の行きたい場所に連れて行ってあげよう。
よく考えれば、前回デートに行ったのは かなり前のことになる。
思い立ったが吉日。
柊は、途中になっていた作業をキリ良く終わらせ、帰り支度を整えた。
・ ・ ・ ・ ・ ・
莉子が自宅の玄関を開けると、奥の方からいい匂いが漂ってきた。
いつもならリビングに向かうのだが、匂いの元が気になり、キッチンに通じるドアを開けた。
「うわっ、びっくりした」
目の前に現れたのは、目を丸く見開いた エプロン姿の柊だった。
柊はすぐに普段の柔らかい笑みを浮かべ、「おかえり」と言ってくれた。
「ただいま……」
莉子も自然と小さく微笑みながら返す。
いい匂いの出所が気になり、柊の背後から覗き込むようにして鍋の中身を見た。
野菜や肉などの具材が 透明なスープの中で煮込まれている。 まだ作りかけのようだ。
「今日はビーフシチューだよ」
莉子の考えを察したのか、柊は そう答えた。
ぐつぐつと煮込まれる鍋の中をぼーっと眺めていると、ふと視線を感じた。
柊の方を見上げると、視線が交わった。
ずっと見られていたことが気恥ずかしくなり、莉子はパッと顔を逸らし、リビングの方へと向かった。
その背中越しに、柊が声をかけた。
「日記、書いたから。 テーブルに上がってる」
柊の言う通り、ダイニングテーブルの隅に水色の縞模様の日記帳が置かれていた。
チラリとキッチンの方に視線を向ける。 柊は料理に集中している様子だった。
夕飯までまだ時間がかかりそうだ。 莉子は、その間に日記を読むことにした。
────・────・────・────・────
5月19日(金)
今日は仕事の日だったけど、朝にコーヒーを淹れた。
そしたら莉子が自分から起きてきた。
どうやら莉子は、コーヒーの匂いがすると、自分で起きることができるみたい。
これからは毎朝コーヒーを淹れてあげようと思った。
今日はとても暑かった。
厨房が暑くて、今年初めて冷房をつけたよ。
ドリンクとアイスの注文が多くて、まるで夏の日のようだった。
今日の日替わりランチは、オムハンバーグと季節野菜のプレート。
メニュー名は『大人さまランチ』。
バイトの
ランチタイムが終わる前に完売しちゃって、少しビックリした。
今度、莉子にも食べさせてあげたいな。
今日の夜ごはんは、ビーフシチュー。
この暑さを考えると、今季最後のシチューかな……。
また食べ物の話ばっかりになってしまって、ごめんね。
来週の休み、莉子の予定がなかったら、どこか一緒に出かけたいと思ってるんだけど、どうかな?
ちょうど結婚記念日だし、莉子の行きたい所にいこう。
どこかいい所があれば教えてくれると嬉しいな。
◎連絡事項
・ティッシュ、気をつけます……。
・同僚の方とランチ来るなら、予約がオススメです。 日にち分かったら教えて。
・寝室の時計の電池が切れそうな予感。
・今週の買い出しは、22日(月)に行きたいと思ってます。
────・────・────・────・────
デート……。
柊とデートなんて、一体いつぶりだろうか。
2人で買い物に行ったりは よくするが、デートと言えるものは半年以上行けていないかもしれない。
それに、結婚記念日。
もうそんなに時間が経ってたのかと気づかされる。
莉子は、自分の左手の薬指に視線を向けた。
2人で(主に莉子が)選んだ結婚指輪が きらりと光った。
私は、妻として務めを果たせているだろうか。
柊のことを最大限に支えてあげられているだろうか。
莉子の中で、
僕の妻は交換日記でしか話さない ましろ毛糸 @Nxxxn
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