逆暗殺者クトゥガ

@nov16

第1話 1985 その一


(1)


 あれは1985年の4月のことだった。


「はい昨日の試合は10-2で阪神の勝ち。ダーティーペアのユリのピンナップはいただくよ」

 僕がそう勝利宣言すると

「ぬぬぬアホな、名手・河埜が落球やなんて」

 幸二は机に顔を伏せ唸った。

「それじゃ僕は帰るね……言い忘れてたけど今日はバース、掛布、岡田のバックスクリーン三連発でまた阪神が勝つよ」

「巨人のピッチャーは槙原やでえ! そんなこと出来るかいな!」

 幸二は絶叫し、

「泰(やす)! 俺は信じてないからなー阪神が日本一になるなんて!」

 教室を出ていく僕の背にそう怒声を浴びせた。

 阪神の日本一を一番信じていないのは阪神ファン。「よぐ」さんの言ってたとおりだよ。サンクス。僕は年上の友人に心の中で礼を言った


 中学校の校門を出ると、てかてかにワックスがかけられた黒塗りの高級車が鎮座してい

た。

 いつ見ても、うちの母親の成金趣味には辟易する。

「坊っちゃん、どうぞ」

 運転手の渡辺さんが僕を見つけて声をかけた。

 いいよ、一人で帰るからと、見栄を切りたいところだけど、家までの山道を徒歩で登るのは苦痛極まりない、僕は渋々、渡辺さんの隣の助手席に乗った。後部座席じゃないのはせめてもの意地だ。

 僕が乗り込むと車は走り出し、しばらく町中を走った後、急な坂道に差し掛かったところで未舗装の脇道に入っていく。うちの家――こういう言い方はしたくないが「うちの屋敷に続く」山道だ。

 しばしの間、山中を走り、ガタガタと揺れる車内で何気なく前に視線を向けた僕の目が

遠くの人影を捉えた。

「渡辺さん」

 数十メートル先で茶色の大型犬を連れた背の高い女性が手を上げている。

 ヒッチハイクをしているのだろうか? 僕は思わず渡辺さんに言った。

「止まってあげて」

「犬が居ますが」

「構わない止めて」

 どうせこの山道は僕の家まで一本道だ。女性の足腰で屋敷まで歩かせるのは酷なこと。僕は見かねて助け舟を出す。

 やがて女性の前で車が止まり後部ドアが開くと、大型犬と一緒に若い女の人が後部座席に身をすべらせてきた。

「ありがとうございます」

 バタンとドアが閉まって鍵がロックされた後、人心地ついたのか女の人が渡辺さんに礼を述べた。

「礼なら、坊ちゃんに言ってください」

 渡辺さんは主人への忠誠の証からか僕に対して礼を言うよう促した。

「えーと君」

「泰青(やす せい)と言います」

「セイ君ね、どうもありがとう」

 渡辺さんに言われたからではなかろうが改めて僕の方に向き直った女の人は微笑みながら、ゆっくり頭を下げた。

 黒髪の清楚な雰囲気の綺麗な女の人だ。彼女が汗に濡れた髪をかきあげると、フワッと良い匂いが車中に漂い僕の鼻孔を刺激した、

 面差しがダーティーペアのユリに少し似てるかな? 僕が3次元の女性に少しでもときめくのは久しぶりのことだった。

 車が走り出し、彼女がお行儀よく座っている大型犬を撫でている姿を見て僕はふと脳裏に浮かんだ疑問を投げかけた。

「あのー、うちに御用なんですか?」

「あ、泰くんってことは泰恵さんのご血筋ね?」

「そうです」

「ごめんなさい気が付かなくて……私、監督のオーディションを受けに来たの」

 そう言って彼女は破顔する。と同時に

(なーんだ……)

 僕は彼女への関心が急激に冷めていくのを感じた。

 こればっかりは仕方ない、なんせ僕の周りの女性はみんな……


「おーおかえり、お坊ちゃま」

「何だその顔、筆下ろしでもしてきたの?」

「それならもっとスッキリした顔になんじゃねえの、しらんけど、あ、スリーカードで私の勝ちな」

 プールサイドのパラソルの下でトランプに勤しむ「女優」三人組が屋敷に帰ってきた僕に早速、因縁ををつけてきた。

 そうコイツラが僕から3次元の女性への幻想を無くさせた原因だ。

「お坊ちゃま、言うな」

 僕は憎まれ口で返すとプイと顔を去年の秋から代えられていないプールの水の方に背ける。

 まだプールの季節には早いから緑色に変色した水面の上をアメンボが泳いでいる。水底にはヤゴも居ることだろう。

 それから本題を切り出そうとまたポーカーをやり始めだした三人組に僕は再び目を向ける。

 この三人は時代によってはフーテンやらヒッピーやら遊牧民やら呼称が変わるんだろうけど、言わばそういう類の性質の「女優」達で、うちに常駐し博打を打ちながら、たまに「映画」に出演したりしている。

 そんな自分たちを苦々しく見ている僕の視線にようやく気づいた三人組の一人が、

「なんだまだ居たの? ちんポコでもいじってもらいたいの?」と、とんでもないことを言い出した。

「ちがうわ! 母さんを探してるんだよ!」

「ああ『監督』ならスタジオに居るよ、ん?」

 三人組はそこでようやく僕の背後の一人と一匹に気づき、

「そちらの可愛いワンちゃん連れは?」

 と問うた。

「オーディション受けに来た人」と僕が答えると、

「百合と言います」

 黒髪の清楚な女性――百合さんは三人組に深々と頭を下げた。

「女優志望かあ、偽名使わなくてもやっていけそうな名前じゃん」

「四人だと麻雀打てっから大歓迎だわ」

「今からでも打つか?」

 百合さんにすっかり歓迎姿勢の三人組が全自動麻雀卓を取りに行きそうになったので慌てて僕は

「まずは母さんに会わせてから」と言って百合さんの手を握ってスタジオに向かい駆け出した。

 百合さんは犬の手綱を握りながら必死についてくると

「楽しそうな人たちね」

 と目を細めて笑った。


(2)


「あーようやく来たか、待ってたよ百合くん」

 撮影スタジオに入ると僕の母さん、泰恵(やす めぐみ)が白い壁紙一色のスタジオの真ん中に鎮座する、これまた白いソファーに座って百合さんを歓迎した。

 二年ほど前、泣かず飛ばずの女流監督だったうちの母親がトレーシー・マルティネスという名前の女優を発掘して撮った「ポルノ」ビデオは世界的な大ヒットを記録、その利益で六甲山中に有る、このプール付きの大豪邸を現金一括払いで購入、現在に至っている。

 「洋ピン御殿」など口さがない連中に陰口を叩かせないため、このことは門外不出で、友人の幸二などは僕のことを灘の蔵元のお坊ちゃんだと信じ切っている。

 母さんは百合さんを隣に座らせると、一刻も早く立ち去ろうとする僕の背に向かって

「あ、そうだ青。今晩、将来お父さんになる人と食事するからあなたも来るのよ」

「何人目だよ……」

「今度は本気よ、絶対すっぽかさないでよ」

「じゃ、おやつは食べないで待機しとく」

 そう言って自室に向かう僕の背後を百合さんの連れてきた犬が付いてくる。

 そういや犬の名前を聞いてなかったなと百合さんの方を見ると既にインタビューが始まっており、照明さんとカメラさんと音声さんに囲まれ、母さんが百合さんのプロフィールやスリーサイズや男性経験などを事細やかに訊ねていた。

 つくづく子どもの情操教育に悪い家だ。僕は深くため息を付いた。


 自室に帰ってカバンを置き、今月発売されたばかりの最新機種PC8801mark2SRを立ち上げるとクライアントソフトを起動し、早速、パソコン通信を始めた。

 大手商業ネットに繋ぐと同時接続しているユーザーを検索する。

(他の同接ユーザーは……あ、「よぐ」さんが居る!)

 ちょうど「よぐ」さんもログインしていたので早速、ダイレクトメッセージを飛ばしチャットルームに誘う。

「よぐ」さんは未来からアクセスしているという「設定」のユーザーでどんな分析ソフトを持っているのかは知らないけどあらゆるスポーツの結果や株価の上下、競馬の勝馬まで全て、ことごとく予想を的中させていた。

 僕より年上だということ以外、彼のプライベート情報は知らないが財テクや競馬だけでも巨額の利益を得ていることだろう。

「よぐ」さんと知己を得られたのがパソコン通信を初めて一番の収穫だった。

 僕は「よぐ」さんに阪神のスコア予想がズバリ的中したことに礼を言い、それから近況報告をして、そして百合さんの話にまで飛んだ。

セイ「今日、新人さんが家に来たんだ」

よぐ「新人さん? ああ新しい女優さんか」

セイ「そうダーティーペアのユリに似たキレイな人」

よぐ「お、ようやく君にも3次元の女性への興味が芽生えたか」

セイ「そんなんじゃないよ。でも茶色い大型犬を連れた、ちょっと不思議な人だったなあ」

 その当の犬は僕のベッドの上にちょこんと寝そべり昼寝をしている。

よぐ「……」

 何故か、そこで「よぐ」さんの書き込みが止まった。

 回線の具合が悪くなったのか? と僕が心配し始めた時、

よぐ「……驚かないで欲しい君は今夜、暗殺者に会う」

セイ「え!?」

よぐ「千年後の地球を支配する千年王国の暗殺者だ」

セイ「何なの、それ?」

よぐ「だが安心て欲しい。暗殺者を逆暗殺する逆暗殺者クトゥガ。彼女を君の時代に送り込む。だから、君は安心してugikkkgkguukギオ」

 文字化けした文章がズラッ並んだ後、

『「よぐ」さんがログアウトされました』

 というメッセージが表示された。


 結局、なにかの悪い冗談だと結論付けて僕もすぐにパソコン通信を終え、88SRのローンチソフトであるゲームアーツ社のテグザーを始めた。

 まごうことなき傑作ロボットシューティングゲームを遊びながらも、数々の予言を細部まで緻密に的中させてきた「よぐ」さんが戯れにでもあんな荒唐無稽なことを言うだろうか? 僕の頭の中は不安がグルグル渦巻いていた。

「青」

 そんな僕の意識は、僕を呼びに来た母さんの声で現実に引き戻された。

 理由のわからない杞憂でかえって時間を浪費したのか、知らぬうちに部屋の中はパソコンのモニター以外、真っ暗に変わっていた。

「母さん……撮影終わったの?」

「百合ちゃん、よく喘いでくれて会心の一作ができたわ」

「そういう報告いらないから」

「じゃさっさと着替えなさい、渡辺さんがもう車を準備してるわよ」

 気乗りしないまま外食用の服装に着替えて車に乗り、神戸の中華街の一角にある高級中華レストランに付いた僕と母さんはは奥の個室に案内された。

 北京ダックを始めとした豪奢な料理が並べられたテーブルに大男が座っていた。

「こちら久我さん」

「セイ君かい、はは、久我だよよろしく」

 母が男を紹介すると、ヒゲをたくわえた熊のような大男が笑った。

 これだから母の恋人に会うのは憂鬱な作業だった。

 根っからのネアカ人間に会うのは好きになれない。

 だが案内されたテーブルには彼の他に小柄な少女が座っていた。

 褐色の肌に銀のペンダンドをぶら下げた、僕と同年代の華奢な少女である。

 燃えるように髪は赤く、瞳は紅いルビーのような紅の輝きを見せていた。

 明らかに久我と呼ばれた男とは血が繋がっていない、アニメから出てきたような美少女である。

 僕の視線に気づき久我さんは

「おっと紹介し忘れた、娘の……」

「おとうはん、うちの口から言う」

 少女はそういって

「久我クトゥガ、どうぞよろしゅう」

 僕の目をじっと見ていった、すると、

(ヨグ様の言いつけ通り来たで)

 と、同時に僕の「頭の中」で声が鳴った。

 僕が思わず後ずさりすると

「どうしたん? お兄はん?」

 と、にぃとクトゥガはチェシャ猫のように笑い、

(そう怖がること無いがな、うちはセイの味方やから)

「また」頭の中で声を響かせた……



(続く)

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