魔物

@ninomaehajime

魔物

 竹林で潮の香りがした。

 風が吹き抜けると、ずっと頭上で竹がさんざめく。足元には細長い形をした葉が散らばり、土の色が剥き出しになった地面が見えている。濃淡の異なる竹の影に取り巻かれ、日常とは違う異界に迷いこんだ気がした。

 竹のあいだを縫って、友達と駆け回っていた。笑い声が響いては消える。私は一歩遅れて、彼女の後ろをついて回っていた。

 あの子には秘密にしていることがある。

 見えなくていいものが見えた。本来、人の目には映らないものだ。幽霊だとか妖怪と呼ばれる存在なのだろう。人の形をしているかと思えば、まるでかけ離れた姿をしている。千差万別で、一括ひとくくりにして良いのかわからない。ただ共通しているのは、自分にしか認識できないということだ。

 その多くはこちらには関わってはこず、背景の一部にしか過ぎなかった。ただ一度、このことを別の友達に話してその子とは疎遠そえんになった。他人に明かすべき事柄ではないと初めて知った。

 だから、私は普通の子と同じ振る舞いをした。同じ遊びをして、笑い声を重ねた。視界の端に黒々と塗り潰された人影が映っても、努めて無視した。

 後ろめたさはあったのだと思う。積極的に音頭おんどを取る真似はせず、内気な性格として捉えられた。結果として活発な子に振り回されることがよくあったのだけれど、その子がトンネルと同化した大蛇の口に入ろうとしたときは断固として阻止した。普段では考えられない私の行動に、彼女はきょとんとした。

 竹林のさざなみを聞きながら、無邪気に走る友達の背中を見て思った。あれらは私にしか見えないのだから、放っておけば良いのだ。関わらなければ無害なのだから。

 先頭を走っていた友達が不意に足を止めた。どうしたのだろう。私が首を傾げると、竹の葉がこすれる音に混じって粘着質な音が聞こえた。それと、潮の匂い。この近くに海はないのに。

 友達の肩越しに覗き見た。竹林の中央で、何かがうずくまっていた。最初は犬かと思った。四つん這いになり、首らしい部位を上下させている。白い長髪の尾が、尻にかけて垂れている。目を凝らすと、薄気味悪いほど白い肌が垣間見えた。

 あれは犬などではない。少なくとも、人間の子供の形をしていた。

 私は人ではないと悟っていた。人気のない竹林の中に一人で、しかも服を着ていない。瘦せこけた四肢で地を這って、しかもどうやら片方の腕が欠けている。自身の下にあるものを、夢中で食べていた。

 近寄るべきではないと思った。友達の袖を引っ張って、この場を離れようとした。この気持ちの悪い光景は彼女には見えていないだろう。以前と同じく、危険から遠ざけようとした。

 友達は言った。

「ねえ、あの子おかしくない?」

 耳を疑った。この子にも見えているのか。あれが人であるはずがないのに。

「こんなところで服も着てないし、それに何か、食べてる?」

 自信がなさそうに首を傾げた。

 私は混乱した。おそらく彼女には、あの白い子供の下にいるものは見えていない。笑った女の首が生えた鹿が横たわり、長い黒髪を地面に垂らして痙攣けいれんしている。明らかにこの世の生き物ではない。

 ならば、その臓物を喜々としてむさぼっているあの子供は何だ。人がこの世ならざるものを取って食うなど、あってはならないことだ。

 私が立ち尽くしていると、白い子供が身を起こした。こちらの気配を感じたのだろう。細い首を巡らせて、顔を向ける。その表情は笑っていた。

 血で黒々と染まった歯茎を目の当たりにした瞬間、私は友達の腕を引っ張って逃げ出した。彼女が上げる戸惑いの言葉もろくに耳には入らず、無我夢中で竹林のあいだを駆け抜けた。

 人でも化け物でもない。あれは魔物だ。

 竹林がざざめく。友達の手を掴んで走っている最中も、鼻腔びこうに海の匂いが強くこびりついていた。

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