第26話

 ビビアーナ・ストラード・三世は宵町市から広い広い海に隔たれた南西の大陸のストラード王国で若き王と歴史は古いが、すっかり勢いを失い領土を削られてすっかり小国となった北の公国から嫁いできた王妃の第一子として二百年以上前に生を受けた。

 政略結婚ではあったが、理知的で美しい王妃と勇猛果敢とは言い難いが心優しき王のもとで可愛がられて育ち、愛に包まれた何不自由のない幼少期を送った。

 女児の一粒種ではあったが、娘に高祖母である王国初の女王であるビビアーナとその孫であり自分の祖母であるビビアーナの名を付けた父王には何の不満も無かった。

 幸せで暖かな日々、ずっと続いていくと思われたそれはある日唐突に終わりを告げる。


 民の間で広まった流行り病、勇気づけようと市中に出向いた王は、病に倒れてしまう。

 その隙を狙って王の座を奪い取ろうとした王の従妹の公爵とビビアーナの母であるアーリーシナ女王は苛烈な戦いを繰り広げ、女王自ら兵を率い戦地へと出向いている間に、王はひっそりと息を引き取った。

 アーリーシナ女王は悲しみに暮れる暇もなく、元々ストラード王家の祖である北の公国の血を引くことから共に戦った王派の兵士に祭り上げられ、女王へと就任した。

 息つく暇もないあわただしい日々、そんな女王を新たな悲しみが襲う。

 亡き王との大事な一粒種であるビビアーナもまた病に倒れたのだ。


「神よ、何故わたくしにこのような試練を次々にお与えになるのです…亡き王の遺児であるビビアーナにこの国を引き継ぐため、わたくしは両の足を踏ん張りなんとか立ってまいりました。けれどこの愛する娘までが神の国へと赴いてしまったら、わたくしはもうとても立っていられない…あぁ、どうか助けて…」


 政務と娘の看病、寝る間もなく駆け回る中毎夜神に祈るアーリーシナ女王。

 その声に、祈りに応えたのは神ではなかった。


「アーリーシナよ、北の海からやって来た娘よ、我の娘の子孫よ、その願いをかなえてやろうか」

 地鳴りのような、地を這うようなびりびりとした低い声、その声にアーリーシナ女王はハッと顔を上げ、目の前にいつの間にか現れた美しい女性のような、はたまたこの世のものとは思われぬような漆黒の髪の光る者に目を奪われた。


「あなたは…あなたは、神であらせられますか」


 その問いかけに地響きのような低音で光る者は嗤う。


「ははははは、我が神とは、娘よ、愉快なことを申すな。我はヴァンパイアの祖、あるいは北の島を産み落としたもの、デニーリオなり」

「ヴァンパイア…」


 北の公国にいた少女のころ、その話は聞いたことがあった。

 遥か昔、公国を治めていたデニーリオ王は数百年もの間まったく老けることなく若々しい姿で国を治めていた。

 その秘術を知ろうと攻めてきた南西の大陸、このストラード王国の初代王に胸を銀の矢で射抜かれ絶命、それから公国の凋落が始まったと。


「あなたは…はるか昔にこの世を去ったのだと…」

「ははは、あのような銀の矢ごときで我は命を落とさぬ、しかしながらいささか力を失いこのような実態を持たぬ体でこの世をさまよっていた。今の我にはぬしの娘の命をわずかの間永らえさせることしかできぬ、しかし北の娘、ぬしが我の頼みを聞き届けるというなら娘を我のように長寿にすることも出来よう」

「お願い、お願いします。なんでもしますから」


 アーリーシナ女王は一も二もなく飛びついた。

 自分が何をさせられるのかも知らずに。


 それから、街の若い娘が次々に城へ小間使いとして呼ばれ、市中で若い娘を目にすることがほとんどなくなった。

 高給を約束された娘たちの両親には大量の金貨が届けられたが、娘自体が戻って来ることはなかった。

 最初はいい職に就けて良かったと喜んでいた娘たちの家族だったが、初めは娘たちの友人や恋人が手紙の返事も来ない、おかしいと騒ぎ始め、ついには街からではなく田舎から連れて来られた娘がほうほうのていで城から抜け出し、民家に逃げ込んだことで女王の悪行がついに発覚する。


「おら、家族を助けようと、ちんまい弟妹たちを腹いっぱい食わしてやりたくて城に行く馬車に乗っただ。最初はうまい飯たらふく食わしてもらえて、ふかふかのベッドに寝かしてもらえて、天国に来たみてぇだど思ったべさ、で、でも、あの女王は悪魔だ!おらの血をしぼろうとしだんだ!」


 若さと美貌を保つため、若い娘の血を啜り、その血の風呂に浸かる、王のことを忘れ黒髪の若い男を侍らせている。

 妖婦、毒婦、魔女、民衆の怒りは頂点に達した。


 その怒りをこれ幸いと利用したのは、アーリーシナ女王との戦いに敗れ国境の塔に幽閉された後、隣国に亡命していた公爵だった。

 公爵は隣国の兵を引き連れ、呼応したかつての支持者たちと共に帰還し、一気に城を攻め落とした。

 そこで目にしたのは、若い女性たちが拷問器具で命を落とし、その体から血を一滴も残さず搾り取られた陰惨な光景だった。


 デニーリオに言われるがままに娘たちを集めるように命じ、その血を捧げた。

 その代わりにアーリーシナ女王が得たものは、「おとうちゃま、おかあちゃまだいすきよ」とにこにこ笑っていたブロンドの髪と菫色の瞳、あの愛らしいビビアーナではなく、血の気のない青白い肌に漆黒の髪、よなよな血を欲する何か…

 それでもアーリーシナ女王は娘を見捨てられなかった。

 デニーリオが笑いながら拷問器具で娘たちを絶命させ、余った血をビビアーナに与える。せめて毒針で一瞬のうちに絶命させてやって欲しいと頼んでも味が落ちると一笑にふされる。

 そんな光景を見たくなくて、絶命の叫びを聞きたくなくて、アブサンに溺れた。

 その酔いでふらふらになりながらも、城の隠し通路へとビビアーナを押し込めた。


「ビビアーナよくって、耳を塞ぎなさい、それで100まで数えるの。数え終わるまでに母様が来なかったら通路をずっとまっすぐに通って外に出たら後ろを振り返らずに走りなさい!」

「ううう…」


 ヴァンパイアになりたてで言葉の自由の利かなかったビビアーナ、それでも悲し気に光る母の瞳につられるようにこっくりと頷いた。


 そして、娘を逃がしたアーリーシナ女王は隠し通路の扉に貼り付けられていた銀の剣をもって拷問部屋に赴き、王の執務室から持ち出した玉座で転寝をしていたデニーリオの胸を躊躇なくぐっさりと突き刺した。


「ごはっ、北の娘、何を…」

「娘の命をどんな形であれ永らえさせてくれたあなたへのわずかばかりの温情です。手足を縛られ馬に引きちぎられるのはいくらヴァンパイアのあなたでもお辛いでしょう、けれどこうして力を失った状態で火あぶりになれば、痛みもさほど感じないでしょう。秀は完全に燃えなくても体の自由の利かない状態で陽の光を浴び続ければさすがのあなたも…ね…」

「北の娘、恩をあだで返すか」

「はっ、恩!」


「こんなところにいたか、毒婦アーリーシナとその情夫!」

 公爵と隣国の兵士たちに取り押さえられたアーリーシナとデニーリオは、アーリーシナの言葉通り市中で民衆の見ている中、火あぶりになった。


「とんでもねぇ毒婦だ。北の悪魔、品のねぇ顔してる」

「情夫の優男…はちょっといい男ねぇ」

「何言ってんだてめぇ」

「あはは冗談よ」


 ゲラゲラと嗤う民衆の前で、轟轟と燃える炎は二つの体を黒煙の柱へと変えていった。

 その日は一昼夜の間絶やされず、再生しようとしたデニーリオの体を朝陽がまた焼いていった。


 母がそんなことになっているとは知らず、ビビアーナは逃げ込んだ裏路地で渇きに耐えかねてネズミの血を啜った。

 その血は苦く、甘い娘たちのものとは違っていた。

 そうしてごみ溜めに隠れて日々をやり過ごす中、ビビアーナはごみ溜めに捨てられた新聞で母が処刑されたことを知った。

 自分はこのような体になる前に、はやり病で父王と共に命を落としたこととなっていた。

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