第24話

 ぶるぶると震え、立っていられなくなった日陰、それを支える花田、日陰に飛び掛かろうとしてよろけてつまづいた土井を押さえつけた甘粕と銀虎、腕を組んで難しい顔をしている榊、何が起こったのかわからず呆然と立ちすくすまゆ、怒号を聞きつけてわらわらと集まってきた上級生たち、月の出ない昏い夜、磯浜高校はまさに阿鼻叫喚の有様だった。


「何をしているのです!当事者以外はもう帰りなさい!」


 教頭が上級生たちを学校から出した後、周囲にはウゥゥーウゥゥーとパトカーのサイレン音が鳴り響き、へべれけの土井は連行されて行こうとしていた。

 その際、よろめいた土井は、今にもビビアーナに触れそうになる。


「ビビちゃん、ちょっとこっち来て、危ないわ、コイツはとんでもないヤツだもの。襲われでもしたら大変よっ!」

 さっとビビアーナを引き寄せた花田に、ふんっと土井は酒臭い鼻息を吹きかける。


「何だ何だ、花田のババア、誰に話しかけてるんだ。三学期になってからビビだなんだってドイツもコイツも私をバカにしやがって、はーっ、イマジナリーフレンドってヤツですかぁ、私をおかしくさせようとする罠だろう、ふざけやがって、ふざけやがって。全部全部お前らのせいだー!私がこんな目に合うのは」


 悪態をつきながら連行された土井に、花田は眉をしかめてはぁーっとため息をつく。


「全く聴講生だってビビちゃんはもう一年一組の大事な仲間なのよ、それも認めないであんなこと言うなんて本当に土井って最低ね、ビビちゃん、気にしなくていいのよ。あれは屑よ、人間のクズ!」


 ぎゅっと花田に抱きしめられながら、ビビアーナは何も答えずにじっと自分の足元を見つめていた。


 土井がいなくなり、一応の静寂を取り戻した校門前で、権田教頭は一年一組の生徒一人一人に深々と頭を下げる。


「みんなには本当に済まないことをした。日陰さんにスマートフォンとスパイカメラというものの提出を受けてからすぐに警察には届け出たのだが、消されている部分などもあったようで、刑事さんも少々捜査に時間がかかってしまったようでね、結果的にこうして皆を危険にさらすこととなってしまった。学年主任として、そして教頭として私には皆を守る責務があるというのに」

「やだ、教頭先生ったら、頭を上げてください。教頭先生は全日制も夜間部も兼任で一日中懸命に働いてらっしゃるのはあた、いや私たちも存じておりますのよ。校長先生はなんだかんだ忙しいのかもしれませんが、滅多にお見掛けしないけど教頭先生は毎日残ってらっしゃって、まー頑張ってらっしゃるなんていうとおこがましいかもしれませんが、よくやってくださっていると感謝してますのよ」

「いや、花田さん、暖かな言葉にこちらこそ感謝する。しかし…」

「いいですよ、いいんです、これは全部土井のやったことなんですから、けどねぇ、あたしどうしても腑に落ちないことがあって…あの時の土井の言葉…そして教頭先生のさっきの…」


 ちらりと日陰の方へ目線をやる花田、前髪で隠れて顔は見えないが、日陰はその視線から目を逸らすことなくじっとこちらを見据えているように見受けられる。


「わ、私から、みんなにお話ししたいことがあります…こんな時間ですけど…家に来てもらえないでしょうか…こ、国道沿いのファミレスだと…上級生の人が…たまにいることがあるから…」


 たどたどしく、けれど声を必死で絞り出すように日陰まどいは一年一組の皆に自分の言葉を伝えようとする。

 その言葉に花田は頷き、日陰の家に行くことを了承した。


 翌日早朝勤務だという甘粕、そして勉強があるという榊以外の花田、まゆ、そして銀虎とビビアーナの四人は日陰まどいの自宅へと向かう。

 近くも近く、日陰の家は磯浜高校のすぐ真裏の古ぼけたアパートの一室だった。


「あらやだまどいちゃん、あなた自分もバス通学だからっていつもあたしらと一緒にバスに乗ってたじゃないの!こんな近くに住んでたなんて!いつもあたしより後まで乗ってたのに」

 花田の驚きに、日陰は猫背をますます丸める。

「あなたバスに乗っていつもどこに行ってたの?」

「じゅ、循環バスだから…」

「ぐるぐる回って戻ってきてたの?夜も遅いって言うのに…」

「み、みんなとしゃべりたくて…」


 喋りたいと言ってもバスの中でも日陰はまゆと花田のお喋りをただじっと聞いているだけで、まゆが二つ先の停留所で降りてからは花田のお喋りにこくりこくりと頷くだけだ。

 首をひねりたくなる花田であったが、それ以上の追及は何だかしてはいけないような気がして、口をつぐんだ。


「こ、ここ…私の部屋…」

 真っ暗な締め切った部屋、電気をつけてもどこか薄暗く、日中でも日当たりが悪そうなのがありありとわかる一階の六畳間、それが日陰まどいの居室だった。

「お母さんはよ、夜はいないから、ここなら他の人には誰にも聞かれずには、話ができるから…」


「これしかないけど…」おずおずと差し出されたインスタントコーヒーの湯気の向こうに見える日陰まどいの部屋は殺風景だった。

 天井を除いては。

 見上げた天井に見えるのは、中央に小鹿まゆの笑顔が鎮座したポスター、ポスター、ポスターで埋め尽くされている。

 ピーナッツシスターズのものだった。


 ピーナッツシスターズの全盛期にずっと自室にこもっていてテレビも見ていなかった銀虎にとっては今一ピンと来なかったが、口さがないチャラけ上級生があれほど話題にするくらい、一時期のピーナッツシスターズは押しも押されぬ地元のスターだったらしい。

【ただの距離感近すぎる明るいクラスメイトにしか思えなかったけどな】

 ちょっと感心する銀虎と、「小鹿は何故天井にたくさんおるのじゃ…」と久しぶりにぼそりと口を開いたビビアーナをよそに、花田はコーヒーをぐびりと一口飲んだ後、日陰に対峙する。


「さて、話してもらうわよ」

 その鋭い視線に日陰はこくりと静かに頷き、ぎゅっと髪を一本にくくった。

 初めて皆の前にさらされた素顔は、化粧っ気がなく思いのほかあどけない顔だった。


「みんなが想像している通り、土井をはめたのは私です」

「どういうことなの?」

「土井がまゆさんを盗撮しているのは前から知ってた。でも、見ないふりをしてたの。いい気味だと思って」

「ちょっと、それどういうことなのよ!まゆちゃんがあんたに何をしたっていうの!」

 思わず声を荒らげる花田の横で、まゆは少し驚いた顔をして、すぐに俯いてしまった。


「そうだよ、まゆさんは何もしなかった!何もしてくれなかったんだ!わ、私のこと知らない、覚えてないって言った!小六の時一緒に帰ったこと一回あるのに!私、私っ、ピーナッツシスターズの研修生だったんだよ。まゆさんと一緒に帰ったときにアイドルになりたいなって言ってたから、私もって言ったら一緒にがんばろうねってそう言ってくれたから、研修生の時にも練習の前にがんばってね、一緒のステージに立とうねって…それなのにさっさとやめちゃって…でも一緒の高校に入って、やっと再会できたと思ったのに!私のこと知らないって!」

「ご、ごめんなさい…あの頃はすごく忙しくて…毎日の記憶もぼんやりしてて…」


 俯きながら絞りだすように、弱弱しい声を出すまゆ、しかしいつもの日陰からはおよそ想像もつかないような大きな声がその声を吹き飛ばす。


「そうやっていい子ちゃんぶってさ、コンカフェで頑張ってるって情報みたから私もバイトに行ったんだよ。そのときも知らんぷりでさ、ほら、ここにも、ここにも、私一緒にいるでしょ」

 机からがさがさと撮りだした数枚の写真、小鹿まゆが中央でにっこりと笑うその後列には確かに目の前の日陰の顔が小さく隅の方に映っていた。


「ちょ、あなたこれじゃわからなくても…」

 フォローを入れようとする花田の声はもう日陰には届かない。


「あの土井だって研修ステージのときに私に花を送ってきたの!薔薇を一本、次のセンターだよって、よりえさんだって最初は私によろしくって挨拶してたの!でも全部全部まゆさんが取っちゃう、いつもいつも人が話そうとすると会話取っちゃってあははって笑ってさ!この会話泥棒!お喋りビッチ!忘れん坊!バカッバカッ!」

 ひとしきり荒ぶった言葉をまゆに一方的に投げつけた日陰は、放心したようにその場にへたり込んだ。


 まゆは呆然とし、花田に寄りかかっている。

 一転として静寂が狭い部屋を包む。


「日陰よ。一通り話は聞かせてもろうたが、そちは小鹿まゆになりたいのか」

 その静寂を切り裂いたのはビビアーナの一言だった。


「なりたいよ、なりたかったよ、でもどんなに頑張ってもダメなんだ。私はジェネリックまゆにもなれないんだ。ピーナッツシスターズの正式メンバーにもなれずに解散しちゃうし、忘れられてる、覚えられてもいないし、うわーん」


 赤子のような、獣のような咆哮、誰が見てもまゆは悪くないだろう。

 あえて言うなら日陰の存在を認識できていなかった。その一点だけ。

 けれど、彼女もいっぱいいっぱいだったのだ。懸命に日々を生きていて、出会う人一人一人にまで気をまわす余裕がなかった。

 はたから見れば、まゆに味方するのが正解なのだろう。

 日陰を表立って責めずとも、まゆに寄り添う花田のように。

 けれど、銀虎にはそれができなかった。


 必死で体の震えを抑え、唇を噛み締める目の前の痩せこけた女の子が、何も信じられずに自分の殻に閉じこもっていた時の自分と重なって見えてしまったから。


「おい、日陰、日陰まどい、お前は小鹿まゆにはなれない。それが真実だ。お前はお前でしかないんだ。日陰まどい、自分を持て、もっと自分自身を信じてやれよ!」


 銀虎自身、外界と接点を持つようになった今でも自分をきちんと信じられているのか、未だ半信半疑だ。

 それでも言うしかなかった。

 目の前の日陰まどいに、そして自分自身に言い聞かせるように。



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