第20話

「のう、十鬼よ、この召し物は何じゃ。何やら凝った刺繍が裏にも表にも施されておるが、どこぞの貴人のものだったのか」

 またしても寝床にしている両親の寝室のクローゼットから、ビビアーナはナフタリン臭いとある物を持ち出していた。

 小さな体に羽織りずるずると引き摺るそれは、銀虎の母のまどかがレディース時代に愛用していた特攻服、黒色の裏地には赤々ともゆるような緋牡丹と百花繚乱という文字の刺繍、白色の表地の背中には何故か琵琶の代わりに刀を振り回す弁天と天衣無縫の文字がでかでかと刺繍されている。

 レディース時代のことが忘れられないのか、それとも父の翼との思い出が詰まっているからなのか、まどかは結婚後も制服と共にそれを大事にしまっておいたのだろう。

 銀虎も幼いころにふざけてクローゼットに隠れてその中にくるまって以来、久しぶりに目にしたものだった。

 こっそりクローゼットに入って両親を驚かそうとしていたら、内側から開かなくなってしまい、ぎゃんぎゃんと泣きながらそれにくるまっていると何故か安心したものだ。微かに母の匂いが染みついているのを感じ取っていたのかもしれない。


「銀ちゃん、それはママとパパにとってとっても大事なものだったの。今は必要ないんだけどね。でも、銀ちゃんの涙を拭ってくれたなら取っておいてよかったわ、役に立ってくれたわね」

 泣きつかれた銀虎を抱き上げたまどかは、涙でぐしゃぐしゃになった特攻服については少しも怒らず優しく頭を撫でてくれた。

 しかし、その後もきっちり保存していたところを見ると、やはり今でも大事なものであるには違いないだろう。


「それ、ビビにはでかいみたいだし、一回脱いだら?」


 けれど、よほど気に入ったのかビビアーナはまどかの特攻服をその体から放そうとしない。


「そなたはいつも我が制服だけで学校へ行くために外出すると、薄着で体が冷えるから上に何か羽織れというではないか、この召し物ではいけないのか?それとも十鬼よ、そなたがこれを羽織りたいのか?」

「いや…俺は、着たくねぇけど、それ…」

「ならば良いではないか!たとえ在りし日は貴人のものであったとはいえ、今はそなたの家の所有物であるのであろう」

「いや、貴人とかじゃねーけど…母ちゃんの昔の服…で、今はしまい込んであるだけなんだけどよ」

「なんと!貴人のものではないのか、このような刺しゅうを施した召し物を着用してたとは十鬼の母者はどこぞの姫御か」

「そんなわけねーだろ!普通のその辺の庶民だよ」

「ほう、この辺りは庶民がこのような上等の召し物を…」

「あーもうっ、確かに金はかかってんだろうけどさ、まぁ取り合えずいったんぬげったら」

「いやじゃ!そなたは母者の着物はなんでも好きなように着用してよいと言っていたではないか!その言葉は偽りか!」


 ぷんむくれた表情で反論してくるビビアーナ、しかし母の大事な思い出の品であるという以上に背の高いまどかの特攻服は小柄なビビアーナには大きすぎる。

 ずるずると引き摺ったままバイクに乗ったら絡まってしまって、大事故になりかねない。


「ぬげったら!」

「いやじゃー!!」


 特攻服の裾を両手で持ってリビングを逃げ回るビビアーナと両手を伸ばして追いかける銀虎、ぐるぐる追いかけっこする二人の様子に遊んでいると思ったのか、ゴンスケも舌をはっはっと出し尻尾をふりふりその輪に加わって訳の分からぬ鬼ごっこのようなものが展開される。


「はぁはぁ…疲れた…もう無理」


 十分以上も続いた不毛な追いかけっこにすっかり息の上がってしまった銀虎は、ソファーにとすんとへたり込む。

 相手は小柄な少女、銀虎が本気で抑え込んでひっつかめばその身に着けた特攻服を引きはがすことはたやすいのかもしれない。

 しかし、それをするのは何だか気が引けた。

 下に苺柄のセーターと短パンを身に着けているとはいえ、嫌がる女の子の服を無理やり引っぺがすだなんてまるで変態の所業ではないか、そんな心の迷いが銀虎にはあったのだ。


「むふふ、我の足の速さにはそなたも参ったであろう!ははははは」


 銀虎のそんな心の葛藤を露知らず、ビビアーナは得意げに腰に手を当てて高笑いをしている。


【あー、もう俺にはお手上げだ。しょうがねぇ、ここはひとつアオちゃんに一肌脱いでもらおう、特攻服着ていいのかとかも…母ちゃんには聞けねぇし…】


 銀虎はまだ両親に、この銀髪の珍客について何の説明もしていない。

 どう説明していいのやらさっぱりわからないし、ざっくりと知り合いの少女が滞在することになったなどと説明したら、「おーやっと銀ちゃんにも春が来た!パパとママももうすぐおじいちゃんおばあちゃんね!孫を見るのが楽しみだわー」などと斜め向こうの返事が着そうでとても怖くて話せない。

 けれど、碧ならうまくことを運んでくれそうだ。

 ビビアーナが十鬼家にやって来てから、疎遠になりかけていた叔父の碧と銀虎の間にも変化が表れ始めていた。

 いくら碧が懇願してもずっと拒否し続けていた叔父と甥のグループチャットも、スマホを預けてされるがままにつくらせていたくらいだ。

(アオちゃんギンちゃん仲好しペア)そんな恥ずかしいグループ名にも反論はしなかった。

 今まで一度も作ったことが無いため、よくわからなかったというのが正しいのだが。


『アオちゃん、ビビが母さんの特攻服を出してきて、学校に着ていきたいとだだをこねています、大事にしているみたいなのに大丈夫ですか、あとながすぎる』


 たどたどしく慣れない手つきで若者にしては珍しく最近覚えたばかりのフリック入力をすると、仕事中のはずの碧から即座に返信が着た。


『おーあれを気に入るとはビビちゃんさすがお目が高い!今、仕事のお茶休憩なの、昼休憩になったら早速お家に行くね、詳しい話はその時に』


「お、アオちゃんの機械馬の音じゃ!」


 音に耳ざといビビアーナはやはり銀虎がそのエンジン音に気づくよりも早く、特攻服の裾をもっていそいそと玄関へ出迎えに行く。

 その後ろをふんふんとゴンスケも追う。

 犬用の骨型ガムなどのおやつをくれ、サイドカーに載せて散歩に連れて行ってくれるアオちゃんに、飼い主家族である銀虎よりもゴンスケは懐いてしまっているのだ。


「けっ、ゴンスケもビビもここにいる俺よりアオちゃん、アオちゃんですか」


 どことなく面白くない銀虎であったが、何故そんな気持ちになるのか自分でもよくわからない。

 その碧を呼んだのは、ほかならぬ銀虎本人であるというのに。


「さーお待ちかね、アオちゃん降臨だよーん!ゴンスケ、よーしよしよし、今日は歯が丈夫になる漫画肉クッキーマンモス肉味だよー、ほーらほら、急がないで噛むんだよ、おっビビちゃん、まどか姉さんの特服良く似合うじゃない、かわいい、かわいい、ずーっと眠ってたからねぇ、特服も日の目を見られてうれしそうだねっ!あー、僕も現役時代の特服着たくなってきちゃった!裏地にキュートで格好いいきらりんの姿が刺繍されたスペシャルな一点ものなんだよ!」

「なんと、アオちゃんもこの召し物を持っておるのか、さすがオシャレさんのアオちゃん」

「うふふー、僕はこの宵待町のおしゃれマスターだからねっ!」

「そうじゃ、そうじゃ、アオちゃんは我慢でおしゃれさんじゃからわかっておるのだ。十鬼なぞは、我にこの召し物を脱げ脱げと先ほどまで追いかけまわしておっちゃのじゃぞ!」

「やだー銀ちゃんったらエッチー!」

「違っ!そんなんじゃねーって!ビビにはそれ大きすぎるだろ、そんなの着て二ケツしたら引っかかってアブねーじゃねーか!それに勝手に着てぼろぼろにしちまったら、母さんだって怒るかもしんねーだろ!」


 笑いながら冗談交じりの碧の言葉に、銀虎は猛烈に反論する。そして、心配事も吐露した。


「ぷぷぷ、銀ちゃんにそんな度胸がないことはこの叔父のアオちゃんがよーく知ってるよ。冗談冗談、ほんのジョーキンー」

「そういう冗談やめてくれよな、ほんと」


 本気でエッチだと思われていなかったことにほっと胸をなでおろす銀虎、思春期の始まりの時期を一人の殻にこもってしまった弊害か、銀虎はその手の話に本当に弱いのだ。


「あー、えっとね、銀ちゃんの心配はこの頼りになるアオちゃんが丸っと全部サクッと解決いたしましょう、まずは姉さんとはさっきツイントークしたけど、特服は自由に使ってとのことです。銀ちゃんのガールフレンドに使ってもらえるならこんなうれしいことはないってさ」

「ちょっ、ガールフレンドって!」

 銀虎の耳がみるみる赤くなる。

「アオちゃん、ガールフレンドとは何ぞ」

「女の子のお友達のことさ」

「ふむ、我は、そなたの友なのか?十鬼よ」

「いや、なんつーか…友とか、がーるふれんどとか…」


 言葉尻が消え入りそうに小さくなる銀虎に、ビビアーナは不服そうだ。


「そなたは我が友では不足か、あぁそうか」

「いや、そういうわけでは」

「もー銀ちゃんったら照れちゃって、女の子の友達でガールフレンド、単純明快じゃない、別に彼女とか言ったんじゃないんだしさ、んーそれとも銀ちゃんは友達でもないその辺の女の子を家に連れ込んじゃったのかな」


 からかうように楽し気に笑う碧とむすっとしたビビアーナに詰められて、銀虎はあわあわとし、「いや…俺らは友達で間違いねー…と…思います…」しどろもどろに返事をした。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る