第19話

「えーっと、じゃあ、気を取り直して、超常現象研究クラブの第一回夜間校内探索を始めますっ!教頭先生が鍵を閉めるのは、夜の十時五分、いつもは十時なんだけど、今週と来週はこのクラブのために五分遅らしてくれるそうでーすっ、あっ、もう五十七分しかないねっ、えっと、じゃあ、どこから行こうか?」


 日陰の笑みと表現していいのか分かりきれぬどこか不気味ともいえる笑い顔、見てはいけないものを見てしまったような気がして背筋の寒くなってきたまゆだったが、それを振り払うように会長として明るい声を出す。

 活動日は決めたものの、校内探索というざっくりとした予定以外当日まで何も決めていなかった。

 銀虎と榊、そしてビビアーナ以外は全員昼の仕事を持つ社会人、活動の詳細を決めるミーティングの時間がなかったのだ。

 給食の時間ならとも思ったが、仕事の都合で全員が揃う日も無かった。

 仕事終わりにゆりかママにもあれこれ訊いてはみたのだが、「磯浜高校八不思議?うーん、聞いたことが無いわねぇ、私も高一の夏休みからピーナッツシスターズの一期生として活動し始めちゃったし、あんまり学校の子たちとそういう話したことないのよねぇ、ごめんね」と、参考になりそうな答えは返ってこなかった。

 ならばと、地域コミュニティサイトなども探ってみたのだが、元々まゆが知っていたトイレの用具室の巻貝さんについての話ばかり。甘粕の提言から、それはトリにするということだけが決まっていたため、これも参考にはならない。


「小鹿さん、正確には五十六分四十九秒ですが、確かに時間がありませんね。まずはセオリー通りに一つ目、二つ目の音楽室から始めましょう、まぁ、一つ所に二十分以内で回れば移動時間も含め、三つ目の理科室の人体模型まではクリアできるでしょう!皆さん、この八不思議はまことしやかに語られてはいますが、実際にリアルな体験記を発表したものはまだおりません!なぜならば、夜の学校に残れるのは我々定時制夜間部の生徒のみだからです。これは貴重な体験ですぞ、あっ、つい興奮してしまい二分一秒も時間をロスしてしまいました。残り五十四分四十八分、さぁ参りましょう、音楽室へいざゆかん!」

 ひやりとした夜の廊下の隙間風のせいか、少々曇った眼鏡をくいっくいっと上げながらいつものゆったりした口調とは一転し、三倍速ぐらいのスピードで話し出す甘粕、進行役を乗っ取られてしまった形のまゆではあったが、どうしたらいいか目が泳いでいた矢先のことであったため、内心ほっと一安心していた。


「わお、さすが磯浜高校夜間部の不思議マスター甘粕さん、よしっ、みんな理科室に急ごう!」


 急ぎ足の甘粕を筆頭に、えへへと笑いあうまゆと花田、これといったワクワク感もなく無の状態の銀虎に「おんがくしつなるものは音楽の場所じゃそうだが、りかしつとはなんじゃ」「じんたいもけいというのは何者じゃ」と矢継ぎ早に質問するビビアーナ、そしてノートを開きながら何やらメモしている榊、少し遅れて長い髪に隠れて全く表情の見えない日陰の一年一組超常現象研究クラブの面々は一年一組の教室のある一階の突き当りにある音楽室へとたどり着いた。


「じゃじゃーん、今日は特別にあちこちの教室の鍵を預かってますっ!行く場所が決まってるなら開けておいてくれるって教頭先生は言ってくれたんだけど、こっちの方が特別感あるでしょ、夜のヒミツの探検って感じがしてさ」

「ほんとねー、夜の理科室にこっそり忍び込んでる感じがして面白いわ!ウチの子に言ったら羨ましがるわよー幼稚園ならともかく高校で学校のお泊り会なんてないものね、あら、でも部活の合宿とかならあるのかしら?でもあたし昼間の高校は一月で中退しちゃったからわかんないのよねーうふふふふ」

「花田さん、思い出話は後程にして、早く入室しましょう」

「あら、甘粕君、ごめんなさいねぇ、うふふ、あたしおしゃべりでねぇ、つい、店でもお客さんと話し込んじゃうのよ」

「花田さんっ」

「はいはい」


 自分たち以外に誰もいない夜の学校の音楽室(正確には自分たちの活動が終わるのを待っている教頭と夜間警備員のおじさんが職員室に残ってはいるが)そのムードを存分に味わうため、あえて電気をつけなかった超常現象研究クラブの面々、うっすらとした月明かりにぼんやりと照らされたシーンとした音楽室は、不気味といえば不気味だ。

 シーンとしている。

 そう、シーンとしていて、自分たちの足音しか聞こえない。

 シーンとし過ぎているのだ。


「あー、ピアノ、鳴らないねぇ」

 小学生の子供ではない。流石にあの八不思議(一つ欠番)が本当にあるなんて、まゆも信じてはいなかった。

 けれど、「鳴るわけないよね、ホテルの自動演奏してくれる幽霊ピアノじゃないんだからさ、学校のピアノにそんな仕掛けしてあるわけないよねー」なんて言えるわけもないの。

 じゃあ何故こんな同好会を作ったんだという話になってしまうではないか。


「うーむ、残念ですねぇ、実際のところ半信半疑ではありましたが、経験していない以上ないこととは言い切れない、しかし、実際に鳴らないピアノを経験してしまうと八不思議の一つ目は無かったと言わざるを得ない、パンドラの箱を、いや、シュレーディンガーの猫の箱を開けてしまったかのような気分でありますが」


 暗がりの中曇ったままの眼鏡の奥の甘粕のつぶらな瞳が、少し残念そうに見えてくる気がする。

 しかし、これは仕方のないことなのだ。

【盛り上げるために音声データ流すとかはちょっと違うもんなーでも盛り下がっちゃったな】

 ため息をつきたい気分のまゆであったが、まだ探索は残っている。

【目も光るわけないよねーベートヴェンって別に日本とも磯浜高校とも縁もゆかりもないだろうし、つーか磯浜高校できたときもうこの世にいないよね、自分の絵の目を光らせるような思い入れあるわけないじゃん】

 どうやって二つ目の不思議のことを切り出そうかとぼんやり窓の外の小さな星を見上げていたまゆの耳に、きりきりした金切り声が飛び込んできた。


「やだ、やだ、光ったわよ!今ベートーヴェンの目がこっち見てぎらっと光ったぁぁぁ」

 声の主は花田よりえだった。


「やだよりえちゃん、びっくりさせないでよ、そんなことあるわけ、ええっ!」

「こちら、こちらを見ましたな」


 昏い音楽室、たまたま月明かりに照らされたのか、はたまた音楽室の裏手の道を通り過ぎた車のヘッドライトの光か、確かにベートーヴェンの目は一瞬ぴかりと光り、こちらをじっと見たように見えた。

 光によって感じた錯視かもしれないが。確かに目は光ったのだ。


「まぁ、外の明かりで光ったように見えただけだろうね、人間の目はわりと錯覚を起こしがちだし、動いたように見えるのはあの光のせいだろう」

 榊は冷静ではあったが、光ったことは認めた。


「のう十鬼よ、あの目の光ったうねうね頭は誰ぞ」

「ベートヴェンっていう昔の作曲家だよ」

「さっきょく、あぁ音楽をつくるものか」

「そこは知ってるんだな」

「我を馬鹿にするでない」

「してねーし」

「何を、そなた今笑っておったであろう」

「笑ってねーよ、マスクしてんのにわかんのかよ」

「ますくがにいっと動いた!」

 銀虎とビビアーナは、全く違うことで言い争っている。

 ビビアーナの出会いから不思議なことを経験し過ぎた銀虎は感覚が麻痺しており、今更肖像画の目が光ったくらいで皆のようにビックリできない体質になってしまっていた。

 ビビアーナにいたっては…彼女自体が不思議現象そのものだ。


 そして、甘粕は無表情のままであるが興奮したように小指がぴくぴくと小刻みに震え、まゆと花田は口をあんぐりと開けて、もはや光りも動きもしないベートーヴェンの目を凝視したまま固まっている。

 残る日陰は、あの授業の後から一言もどころか一音も声を発さず、分厚い前髪で隠れているせいでどこを見ているのか、ベートーヴェンの目の光に気づいたのかもわからない。

 しかし、どことなく楽し気に薄い体が揺れていた。


「はっ、私としたことが、実際に目にした不思議現象にすっかり目を奪われてしまい時間配分をミスしてしまいました。もう三十五分もこちらにいます!残念ですが、理科室は来週に持ち越しとなりますね。しかし、大収穫です。一つ目のピアノの不思議は今回は確定ならずでしたが、確かに二つ目の謎はここにあったのです!」

 興奮した甘粕の口調は五倍速くらいに早回っている。

 あの動きの遅い舌が、こんな時にはくるくるくるくるよく回るものだ。

 ベートーヴェンの目の動きと光には全く動じなかった銀虎が、こんなところで驚き少し感心していた。


「えっと、当初の予定よりは少し早いですが、甘粕さんの言う通り二階の理科室まで回る時間は無くなっちゃったので、これでお開きにしましょう。教頭先生にずっと待ってもらうのも悪いしね。ではまた来週の活動で」


 まゆの締めの言葉でバラバラに廊下に出た七名、その背後から不思議な音が鳴り始めた。


 このピアノ音は…ベートヴェンのピアノソナタ…ではなく…

「レド ファファ レド ファファ レド ファファ ミミレド…♪」


 葵が十鬼宅に持ってきた幼児向けのミニピアノでビビアーナに教え込んでいたちょっと調子っぱずれな猫ふんじゃっただった。


 廊下に差し込む微かな星明り、隣を歩くビビアーナの二つ目の瞳孔がまたきらりと光ったことに銀虎は此度も気付かない。


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