第15話

 小鹿まゆは、困惑していた。

 新学期を楽しみにして早起きしてしまった早朝、店のママが息せき切った声で電話してきた。

「ねーまゆまゆ、突然ごめんね、今日の新年会、昼の子は出なくていいって言っていたけど、ターさんがどうしてもまゆまゆの歌が聞きたいっていうのよ。まゆまゆは元プロのアイドルなんだし無理よって言ったんだけどね、じゃあもう夜も店に来ない、アゲハがいるからこの店に通ってたけど、昼は会議があると抜けられずに滅多に来れない、それでも通っていたのはわしを一番の上客だと丁寧に扱ってくれたママの顔を立ててだ。アルマンドだって言われるがまま何本も入れてやっただろう、そんなわしの小さな願いすら突っぱねるというのかってお冠でね」


 アゲハというのはまゆの源氏名だ。

 ターさんは地元の名士で、大きな建設会社を親から引き継いで経営している。

 お坊ちゃん育ちのせいかはたまた猫を被っているだけかもしれないが、普段はにこやかで声を荒げることも一度もなく、店の女の子にいやらしく触ることもない。上品に飲んでスッと帰っていく、店にとってのありがたいお客だ。

 そんなターさんが声を荒げてまでまゆの歌を希望しているというのだ。

 ママが困って当然だ。

 正直、まゆにとってターさんはそこまで重要な人物というわけでもない。

 店にとってありがたい客だというのはわかっているし、昼に仕事の合間を縫って顔を出した時はフードメニューで一番高いフルーツ盛を店の女の子皆に注文してくれる。

 贔屓にしなくてはいけないのかもしれない。

 けれど、ご当地アイドル時代からの習慣で、まゆは太客も細客もなるべく平等に接している。

 そしてこれは太客だと思っても、決して自分から高い酒やフルーツ盛をねだったりはしない。

 ねだって買ってもらうと、客が自分に個人的な感情を持っていると勘違いしやすいからだ。

 親しみやすく、けれど薄い線を引く、本来のキャバ嬢の振る舞いからは逸脱しているかもしれないが、これがまゆの信条なのだ。

 親しみやすい、今にも手が届きそうなのに決して手が届かない。近そうでちょっと遠い。

 そんなまゆが夜も昼も人気ナンバー1として君臨できたのは、地元では絶大な人気を集めていた元ご当地アイドルだったということも大きいのだろう。

 あの元人気アイドルが自分の話にうんうんと耳を傾け、お酌をしてくれる。

 金のない客が無理して持ってきた高級なプレゼントはがんとして受け取らず、「栄養のあるものを食べてね、元気がない顔を見るとこっちもかなしくなっちゃう」と返品をすすめる。

 へたしたらお節介や貧乏人扱いしていると逆上されそうだが、そんなときのまゆは本当に親身になってくれているように見えるのだ。

 地元一の高級寿司屋に連れて行ってなどとは決して言わず、ちょっとだけ高い回転寿司屋の折詰を差し入れたら喜んでくれる。

 まゆが自分らしく振舞えば、お客は魅了されていく。


 そんなまゆにとって一人のお客だけの我儘をきくために新年会に行くなんて、普段ならありえないことであったが、まゆは店のママに強い恩義の思いを持っていた。


 ママは元々ピーナッツシスターズの古参メンバーで、一回りほど年の離れたまゆのことを妹のように可愛がってくれた。

 スカウトされて東京に行くときも涙を流して自分のことのように喜び「まゆの歌は全国で通用するよ、チャレンジしてみなよ」と躊躇するまゆの背中を押してくれた。一番人気のまゆが去ってグループは自然消滅してしまったが、ママ、斉和ゆりかはまゆの生活を心配してたびたび連絡をくれ、時には千花から食材をいっぱい持って訪ねてきて手料理を振舞ってくれたりした。

 まゆの稼ぎを当てにして勝手に東京の事務所と契約し、デビューはまだなの、給料はとしか連絡してこない実の母よりよっぽど近しい存在だった。

 高校を中退し、実の親にも頼れず路頭に迷いそうなまゆを救ってくれたのもゆりかママだった。

 グループが解散後、元々副業としてホステスをしていたゆりかは独立して店を持った。

 そこにキャストとして誘ってくれ、寮としてマンションも契約してくれた。

 高校に通いなおしたいと言ったときもやはり「頑張りなさい!まゆまゆならできる!」と応援してくれた。

 頭の上がらない存在だ。

 断れるはずがない。


 請われるがままにゆりかママが保管していた当時の衣装を身にまとい、簡素なステージでくるくると回り、当時の唯一のソロ曲である「シューティングユアハート」を三度も歌い、ターさんのシャンパンタワーに「わーすごい」と嬌声を上げ、ゆりかママの日舞に拍手喝采して、終電間際にやっとまゆは解放された。


「申し訳なかったわね、でも私もまゆまゆの歌が久しぶりに聞けて嬉しかった。まゆまゆカラオケにも全然行かないものね」

「アハハ、そもそもうち等のピーナッツシスターズの持ち歌カラオケに入ってないじゃん」

「ふふふ、それもそうね、千花限定カラオケなんてないものね。明日はゆっくり休んでね、タクシー呼んどいたわ」


 昼キャバ嬢になってからとんと御縁のなくなっていたタクシーの中で、まゆは衝撃を受ける。

 グループチャットに着ていた花田からのメッセージに『銀虎君がかわいい女の子を連れて来た。これから聴講生としてクラスメイトになるらしい。銀虎君は照れて頬を赤くしていた』などと書かれていたからだ。

 それだけではない、入学当初に「あの、あたしのこと覚えてる?」と話しかけられて「ごめんね、中学の同級生かな、私あの頃仕事でめっちゃ忙しくってあんま学校行けてなくてクラスメイトの顔も曖昧なんだ、ホントゴメン」と正直に伝えてから一度も話しかけてこなかった日陰まどいからも『あ、あの、まゆさんの仲のいい男子が連れて来たハーフの子、仲良さそう、まゆさんの居場所取られるかも…』などど、グループチャットに入ってから初めてのメッセージが入っている。


 あの十鬼銀虎が、かわいい転入生と同伴登校!?

 まゆの頭の中ではクエスチョンマークがくんずほぐれつひしめきあっていた。


 磯浜高校に入学した初日、クラスに入って真っ先に目についたのは居心地の悪そうに長い体を丸めて、黒いフードに黒マスク姿の少年だった。

 周りが全部敵に思えて武装しているかのようにまゆには見えた。

 その話しかけんなオーラは痛々しいまでにまゆにも届いていたが、まゆはその武装を解いてみたくなった。

 フードから出てきたのは、その猫背やおどおどしてたどたどしい口調とは似ても似つかぬ派手な銀髪のモヒカン、恥ずかしそうにしているのに見られたくないと隠しているのに、どこへの忠義なのか、きちんとセットされているのも彼の真面目さ、実直さを表しているようでますます気になった。

 まゆは折々に銀虎に話しかけたが、ガードは固く緩まなかった。

 全く日に当たってなさそうな雪のように白い肌が赤く染まったのを見たのも、フードを外した時が最初で最後だった。

 銀虎が自分から話しかけてきたことは一度もない、けれど、まゆがプリント運びを頼まれれば何も言わずに半分以上を持ってくれる。

 仕事が押して給食の時間に間に合わないと、まゆの好物の苺ババロアを自分の分を食べずにとっておいて、げた箱の中にそっと入れておいてくれる。けれど自分からだというメモなどは絶対に入れない。

 そんなちょっと年下の銀虎のさり気ない、どこか不器用な優しさをまゆは気に入っていた。

 話しかけんなオーラを全身にまとって、ハリネズミのように周りを威嚇している銀虎が自分に見せる優しさ、それは銀虎にとってもどこか自分は特別なんじゃないかとまゆに思わせた。


【今は自分からグイグイいかない、女慣れしていないアイツのことだもん、自分から氷を溶かそうと思ってくれるまで待とう、うち等の学年は一クラスしかない、これから四年間もクラスメイトなんだよ。時間はいっぱいある】


 そう思っていたのに、可愛い女の子と同伴登校⁉

 何なの、その女の子何者なの?


 タクシーの窓から見える暗い海は波もたたずにひっそりと静かだったが、まゆの心の中は大荒れ模様だった。


【あー、よりえちゃんからメッセ着たの九時半かぁ、明日パートだろうしもう寝てるだろうなぁ、うーん、どうしよ、日陰さんとは全然交流ないのに…あーでも気になるぅ】


『日蔭さん夜分にごめんなさい、銀虎君がかわいい女の子を連れて来たそうですね、その子は銀虎君と…』

 どんな関係なのか…と打ちそうになって指を止める。

 花田ならともかく関係性の薄い日陰まどいには突っ込み過ぎだ。

『銀虎君と知り合いなのかな』と打ち直す。これならおかしくはないはずだ。


 日陰からはすぐに返信が来た。

『はとこだそうです。ハーフのかわいい子、言い辛いですがご当地ではなく全国並みのアイドルのようにかわいいです』


 若干の嫌味混じりだったが、今のまゆにはそんなことはどうでもいい。


「なーんだーただの親戚の子か」


 ほおっと大きな安どのため息を吐き、まゆはうーんと大きく腕を伸ばした。



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