第13話

「いいかビビ、お前は今日から俺の母方のはとこの青池美々(ビビ)だ。学校で何か聞かれてもずっとこれで押し通せよ!」

「青池、アオちゃんと同じ姓であるな」

「そうだ。俺の母ちゃんとアオちゃんの従妹、同じ爺ちゃんばあちゃんの親戚のおじさんが、どっか外国に古武道を教えに行ってそのままそっちで結婚したんだ。まぁ俺は赤ん坊のころに会ったきりみてぇで全然覚えてねぇけど、そんくらい薄い付き合いだったら学校の連中にはバレるわけねぇしな」

「そうか、それで滞りなく物事が進むというのなら我は十鬼の案に付き従おうではないか」

「ははっ、そうか…」


 実はこれは銀虎の案ではない。

 ビビアーナに学校へ行きたいと言われた銀虎は慌てふためき、仕事終わりの碧に連絡を取った。

「ふんふん、そうかービビちゃんも学生のお年頃だもんね、そりゃ興味があるよね。よし、わかった。僕が外国からホームステイに来ている従妹の娘が見学したいと学校に一報入れておくよ」

「すまん…」

「いいっていいってー、可愛い甥っ子のためだもんね、チュッ」

「…」


 ビビアーナの記憶喪失などの問題について、いつかは誰か理解のありそうな大人…といっても該当するのは一人しかいない碧に相談しなければならないとは思っていた。

 しかし、できればその日が来るのは出来るだけ先延ばしにしたかった。

 出来るだけ自分の力でどうにかしたかったのだ。

 それなのに、何一つ、解決の糸口も見えていないようなこの状況でこんな早く別のことで頼ってしまうとは。

 忸怩たる思いの銀虎であったが、背に腹は代えられなかった。


「あー、学校につくとすぐ給食があるんだけどさ、あっ、給食ってのは学校で出る食事のことな。お前はどうせ食えないから用意してもらえねぇのはいいとして、どうする?フユイチゴとコンデンスミルクをタッパーに入れて持ってくか?」


 あのぺろぺろ嘗めはクラスメイトのどんな反応があるかわからない。

 しかし、皆が給食を食べているのをただ見ているだけだなんて、ビビアーナが寂しい思い、疎外感を感じるかもしれない。十鬼はそう思いフユイチゴコンデンス弁当を提案した。

 もし持っていくならばスプーンを使ってなるべく直に嘗めないように、と告げようと思っていたが…


「いや、我の食事は日に一度でよい。我自身が食わずとも十鬼やゴンスケが遮二無二食事に食らいついている様子を見ておるのはなかなか見ものであるからな、十鬼のクラスメイトとやらの食事風景もとくと拝見させてもらおう」

「ちょ、ゴンスケはともかくとして、俺そんなにがっついてる?」

「ふむ、三度三度、えらい勢いで口にかっ込んでおるな、特にアオちゃんが持ち寄った骨付き肉を喰らうときなぞ口の端が三日月のようにういーと上に上がっておる」


 アオちゃんが時々持って来てくれるのは、銀虎が子供の時から大好物のフライドチキンだ。

 確かに胸中はワクワクしていたが、そんなに顔に出ているとは全き気付いていなかった。


「十鬼、どうした?また耳が赤いぞ、暖房が熱いのだな。しかし、寒がりというのも難儀なものよのう」


 何の気もなしに銀虎の自分でも知らなかったような秘密をズケズケと暴いていき、その都度都度銀虎の顔の赤さを指摘するビビアーナ。

 はじめは悪気のない幼い子供のような率直さゆえだと思っていた銀虎だったが、顔の赤さを指摘するたびにビビアーナの唇の端がにいっと少し上がり、その瞳にいたずらっぽい光が宿っているように見えて、今では【コイツ実は途中から何もかんもわかっててワザと俺をからかってるんじゃねーのか、だとしたら無邪気な顔して底意地の悪いヤロウだぜ】などと密かに思っている。

 まぁそれを指摘したところで、「そのように感じるのは十鬼の心根が曲がっておるからじゃ、我が笑みを浮かべていたとしてそれはそなたらを微笑ましく思っておるからだろう、母のような広い海のような気持ちで幼子らを見守っておるのじゃ、そもそもが我はことを曲げて話したりなどはせん、見たままを口にすることの何が悪いのじゃ」などと言い任されてしまうので、じっと我慢の子に徹しているのだが。


 はたしてビビアーナは、母親が大事にクロゼットにしまっておいた父親と出会ったときに着ていたナフタリン臭のぷんぷんする水色のチェック柄のブレザーの制服を着て、銀虎と共に磯浜高校へといざ出陣することとなった。

 夜間部には制服はないし、そもそも見学者が着ていく必要はないのだが、十鬼が目を離したすきにアオちゃんからスマホの操作方法を聞きかじったビビアーナは学校について検索し、日本の学校は制服があるという説明と制服姿の楽しそうな画像を見て、自分も着るのだと張り切ってしまったのだ。


「あー、一応消臭スプレーかけといたけど、ナフタリンの匂い残ってんな、本当にそんなん着てくのか?お前鼻がいいくせに気になんねーのか」

「確かに奇妙な匂いがするのじゃ、しかしな、十鬼、知っておるか、オシャレとは我慢じゃ」

「どこで覚えたんだよ、そんな言葉」

「アオちゃんじゃ!アオちゃんは夏場は暑くて蒸れるけれど、きらるるきらりんの登場人物が常に赤いつなぎを着ておって、そやつはきらりんの敵であるが最後には心を通じ合わせる格好のよい敵役じゃもんでリスペクトしておるからオマージュとしてなるべく着ておるといっておった」

「それ…おしゃれじゃないだろ…」


 とにもかくにもいつものフード姿の銀虎とビビはこれから登校する。

 後は野となれ山となれだ。


「ほら、これ被れよ。母さんのお古だけど」


 銀虎がビビアーナにほいっと投げたのは赤いバラのステッカーがついたヘルメット、まどかが現役時代愛用していたものだ。


「チャリの二人乗りは無理だかんな、学校までは原チャでいくぞ」

「げんちゃ」

「アオちゃんのバイクの小さい版だよ、俺がバイトから帰るとふぁーふぁって音がするとか言ってただろ」


 高校入学が決まってから銀虎は原付二種の免許を取得した。

 隣町の学校前へは町が運営するコミュニティバスが出ているが、夜間部の下校時間にはもうないのだ。

 銀虎はもともと一種免許を持っていたため必要ないと思っていたのだが、「俺と母さんみたいに運命のめぐり合いをして、二人乗りしたくなる日が突然来るかもしれないだろう」「そうよ、運命は突然によ。パパとママみたいに」と両親に強く勧められなし崩し的に二種の免許も取ることとなった。

 両親は快く必要経費をぽーんっと出してくれたが、そのすべては銀虎借金帳に記されている。出世払いがいくらになっているのか銀虎には想像もつかない。


「よーし、よし、銀ちゃんもこれでオタバイカーの仲間入りだっ、沼へようこそ」

 碧はわけのわからない大喜びをし、当時通勤用に使っていたトリシティ125を譲ってくれたが「大事にしてね、ムーンライトエリスは悪役だけど最後にはきらりんの最大の理解者になるんだから」と言われたステッカーはすぐに剥がした。


 両親の思惑とは全く違ってしまったが、二種免許はこうして銀虎の役に立つこととなった。

【まさかこの俺が女子とタンデムすることになるとはなぁ、まぁアレを普通に女子と形容していいものか迷うところだが】


 内側にきらりんステッカーの剥がし後のついた黒いヘルメットを被りながら、一生自分にはありえないと思っていた女子との二人乗りについてタンデムなどと普段使わない言葉で銀虎は思いをはせる。

 両親もこの事実を知れば驚き、そして喜ぶだろう。

 我が息子にもやっと本当の春が来たと。

 まぁそれが燃える少女などという真実を知ってしまったら、そうもいかないだろうが。


 五日前にビビアーナのために自転車で通った海辺へと向かう道、雪の残る道を危惧して人力で自転車で行ったときは遠く感じたが、原付バイクならあっという間だ。

 銀虎の背中にぎゅっと薄い体でしがみつき、どんどん近づいてくる潮の香りと海風にビビアーナは目を細める。


「あぁ、陽は暮れてしまうが、この何とも言えない香りは何だか心地よいな。風邪も気持ちが良い、我はこんな早い乗り物に乗ったのは生まれて初めてじゃ」

【覚えてねぇだけで、飛行機に乗ってきたんだろ】そんな茶々の言葉を銀虎は夕陽に染まった潮風と共に飲み込む。

 それはいくら何でもあんまりな言葉だ。

 顔は全く見えないとはいえ、その声の浮き立った響きからビビアーナは恐らく微笑んでいるのだろうと、楽しそうにしているのだろうと想像がつくのだから。


 廃墟の元シーサイドホテル満月の角を曲がって海辺へ直進していくと千花県立磯浜高校が姿を現す。

 大勢の生徒たちの嬌声で賑わう全日制と違って、定時制夜間部の始まる夕方は実に静かなものだ。

 部活の生徒たちもその時間までは誰も残っていない。

 リンゴンカーン


 影の時間の始まりを告げるように、夜間部の始まりを告げるチャイムが海辺へと静かに響く。



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