第12話
さて、ビビアーナが十鬼家にやって来てから数日、彼女はやはり数粒のフユイチゴにかけられたコンデンスミルク以外を口にしなかった。
そんなにコンデンスミルクが好きならば、いっそのことチューブのままチューチュー吸えばいいのにと思った十鬼であったが、チューブを丸ごと差し出しても「これはなんぞ」などととぼけた反応が返って来そうで、やめた。
ところでビビアーナが嘗めた後のフユイチゴの行方であるが、きれいに水洗いした後でゴンスケが美味しくいただいている。
与えていいものか迷い銀虎も一応スマホでネット検索してみたが、大量に与えすぎなければ体にいいとわかり、その後は安心して与えている。
あの大吹雪の後、おせち期間が終わって銀虎は忙しいときだけ頼まれる寿司屋のバイトでときどき留守にしていたが、ビビアーナは家でおとなしくしていてふらふらと公園に出て行ったりはしていないようだった。
まぁおとなしくしているというか、ゴンスケと床のカーペットの上でごろ寝しているだけだったが。
「おい、ビビ、お前またゴンスケにしがみついて寝てやがったな、母さんの部屋着が毛だらけになって後で俺が怒られるだろ!」
「いつものようにがむてぇぷとやらで取ればよいではないか」
「それを誰がやるんだよっ!」
「いつものように十鬼がやればよい」
「当たり前のように言ってんじゃねぇ!めんどいんだぞ」
「わふんっ」
「ほれ、ゴンスケもやれと言っておろうが」
こんな二人と一匹の共同生活が当たり前のようになじんだころ、銀虎の冬休みの終わりの日が翌日に迫ってきていた。
【うーん、俺が留守にするのは夕方から数時間だし、別にバイトの時みてぇに留守番してもらっててもいいんだけどさ、学校となると毎日だしな、アオちゃんがゴンスケの様子を見に来たときにビビがなんか変なこと言ったりしてもまずいしな…どうすべ】
銀虎は、冬休み明けにビビアーナをどうすべきか今更ながら悩んでいた。
自分のいない時間は日中ではないため、ビビアーナが燃える燃えると公園に行くことはないだろうと分かってはいるのだが、そうは言っても毎日ここで留守番をさせるというのはなんとなく気がかりだ。
「あのさ、ビビ」
「何ぞ」
「俺さ、明後日から学校に行くんだ」
「がっこう?」
【えっ、学校もわかんねーのか、コイツ⁉西洋の甲冑やら兜とかそんなどうでもよさそうなことには詳しいくせに、それってコイツが歴史の授業とかで習ったんだよな…多分…どこから来たのかわかんねーけど、いくら何でも学校のない国なんてないだろ。外国の金持ちは子供のころ学校に行かずに家庭教師をつけて自宅学習をすることもあるって昔アオちゃんに聞いたことあっけどよ、それにしても学校って存在自体は知ってんだろ、流石に、それとも俺みてぇに学校に苦手意識があって存在自体も記憶から消しちまったとかか…まぁ、いい、説明すりゃいいのか、いつもみてぇに】
「あー、学校ってのはさ、勉強をしに行くところだ。俺が通ってんのは高校ってやつ、普通はっつーか大抵は俺ぐらいの年の連中が行くところだけど、俺が行ってんのは定時制ってやつで年が上のやつが多い、母ちゃんみてぇなおばさんもいる」
「ほう、学びの場所というわけだな、十鬼はこの場所ではなく、わざわざ表に出向いてその学校とやらに行くわけか」
【家で勉強…やはりビビは家庭教師に自宅学習のクチか、ちっ、富豪子女め!平民をなめんなよ!】
「あぁそうだ。授業は夕方の五時から始まる。終わるのは夜になっけど、その間お前、ビビはどうする?」
「学校、恐らくその場所に我は出向いたことが無い、我も行ってみたい、学んでみたい」
「へっ」
本人の希望を聞いてみようと思ったものの、まさかビビアーナからそんな返しが返って来るとは思わなかった銀虎はハッとした。
一見して外国人の中学生のように見える少女、銀虎がこのような少女を連れて行って大丈夫だろうか?
何しろ、銀虎の通う千花県立磯浜高等学校夜間部は、とんでもない個性派ぞろいだ。
昼間の全日制と違って一クラスのみ全く登校しない生徒達も入れて十五名しかいないクラスメイト達であるが、年齢もバラバラ昼の職業もバラバラだ。
一年遅れの高校生となった昨年の春、久しぶりの学生生活、銀虎ははじめが肝心舐められてはいけないととある決意をしていた。
それは、小中学生の時のように馬鹿にされて避けられ、無視をされるのではなく。
自分から周囲をシャットアウトする威圧感を持つということだった。
それにはいかつい外見が必要だ。
元々銀虎は目つきが悪く、痩せぎすではあるが大柄な両親の影響で背だけはにょきにょきと高い。
それなら髪型をどうにかすれば、周囲は怖がってへたに接して来ないだろう。
銀虎はもういたずらに人とかかわりあうのはまっぴらだった。
中傷もいらない、注目もいらない、適当な優しい言葉はもっといらない。
そう決意した銀虎は、お年玉貯金を握りしめて電車を乗り継ぎ予約した原宿の美容院へと向かった。
けれど、同世代の若者の雑踏の中で足がすくんでしまい、結局目的の美容院へはたどり着けなかった。
仕方なく向かった先、それは宵待町で唯一の美容院、サロン・ド・パリス…古ぼけた店構えは髪の毛の先ほどもエスプリを感じさせない、ザ・昭和の趣だ。
母親の同級生が店主のこの店はもともと理容室で、バーバーマンハッタンの文字の上から豪快に赤ペンキで現在の店名が書かれている。
「父さんはね、古いのよ、ダサいのよ」などと店主はことあるごとにくさすが、パリにマンハッタン、命名の仕方に皆は脈々とDNAの息吹を感じる。似た者親子だ。
何故か理容室時代のサインポールが店内に鎮座したサロンに銀虎は渋々入り、何十年前のものかわからないような赤茶けた少年漫画雑誌を広げようとしていると、店主でありこの店唯一の美容師である亜香子が髪を引っ張ってきた。
「いててて、何すんだよ。亜香子おばちゃん」
「ちょっとーあたしまだアラサーよ!お姉ちゃんっていいなさい」
「やだよ…」
「全く、ちょっと見ない間に生意気になっちゃって髪も伸び放題じゃないの、それに毛先がギザギザね、自分でカットしたの?」
「いや、三か月前に母ちゃんが」
「全く、まどかったら相変わらず雑ねーそんで今日はカット?特別に中学生料金でやったげるわ、出血大サービスよ」
「いや、メッシュ…きんの…」
「は⁉聞こえないわよ、め、き?」
「金のメッシュー!」
「えーアンタが?ついにヤンキーデビュー高校デビューなの?遅いじゃない」
「違うから…金はあるからとにかくやって」
「はいはい」
椅子に座った後、早朝に起きて電車に揺られていたせいか雑踏によって気疲れしていたせいか、銀虎はカットをされながら眠ってしまった。
そして、目を覚ました銀虎の前に現れた鏡の中の自分は思いもよらない変わり果てた姿へと変貌していた。
「ちょっと、なにこれ、俺、金メッシュって言ったよね」
「あーでもアンタギンじゃない、だからこっちの方が絶対いいわよ。高校の同級生にもモテモテ間違いなしよっ、宵待町のトレンドリーダーであるこのあたしが保証するわ」
「や、ない、これはない」
銀の髪はサイドを刈り上げた銀髪のツンツンモヒカン頭になっていた。
「えー似合ってるんだから続けなさいよ。気合入っていいじゃない」と言い張る亜香子をなんとか説得してその後ソフトモヒカンへと変更してもらったが、今も毛先には名残の銀色が残っている。
銀虎は当初の目的を封印し、真っ黒なフードを深々と被り、黒マスク姿で学校へと登校した。
これはこれで関わってはいけない雰囲気を醸し出すのではと判断したからだ。
けれど、そんな思惑は見事に打ち砕かれた。
「ね、そこの君、猫背の君っ、何でそんなフード被ってるの?頭うざくない?」
いきなり声を掛けてきたセーラー服姿の女子生徒に、ジャンプしてフードをはぎ取られてしまったのだ。
「うっわーいいね、いいね、銀のモヒカン、いかちーね」
この学校の制服ではないセーラー服姿の女子生徒…
「ねぇ、うちは小鹿まゆ、君の名前は?」
これが、年上の同級生、小鹿まゆとの出会いだった。
「お、れ、は…十鬼銀虎」
中学に入ってから母親と店の人以外に女子と会話したことが無い銀虎にとって、かなり衝撃的な出会いだった。
思わずフルネームを答えてしまうぐらいには。
「ほー、銀虎でギン、ますますいかちー」
小鹿まゆは、の名の通り小鹿のように黒目がちな丸い目を細めてにこにこ笑う。
それ以来銀虎とまゆは友達になった。わけではなく、要件以外に口を利くこともない。
銀虎がそう振舞っているからだ。
まゆだけではない、銀虎は他のクラスメイトにも同じように振舞う。
同じ年で成績優秀真面目な榊君ははなっから話しかけても来ないが、クリーニング店のパートで銀虎と同世代の息子がいるという世話焼きの花田さんにも、火葬場に勤めるおそらく30代の甘粕さんにも。
彼らは銀虎に必要以上に踏み込んでこようとはしない。
そのせいで爪はじきにしようともしない。
それぞれに通ってきた道がある。大人の距離の取り方かもしれない。
けれど、いきなりビビアーナを連れて行ったらそんな彼らが食いつかないはずはないのだ。
銀虎はあえて気づかないふりをしているが、本来は弄り倒したくてしょうがないといった雰囲気を要所要所に醸し出し過ぎているからだ。
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