第11話

「のう、十鬼よ、そなたは実際は十鬼銀虎というようだが、我には十鬼としか告げなんだ。名を知られると何か不味いことでもあるのか?我がそなたの真の名を知って何かをするなどと恐れていたのか?」


「今日はきらりんの十五周年記念配信があるから忙しいんだ。じゃあまったねーん」


 嵐のように碧が去って行ってから、ビビアーナは少し不機嫌そうに十鬼にそう問いかけてきた。


「いや、別に何も問題ねーし、まじーことなんて一個もねぇけどよ、ただめんどくさかっただけで、そもそもフルネームを知っただけで一体何が出来るってんだよ、はっ、呪いか?」


 冗談のつもりで放った軽口に、ビビアーナはなぜか顔をこわばらせる。


「呪い、呪い、我はそんなことをしたことはない、いや、ないであろう…記憶にはないが、我は人を呪うことなど絶対にせぬ…」

「いや、冗談、ただの冗談だって!何をそんなに神妙な顔してんだよ。確かにお前は何つーかちょっと、いやかなり変わったヤツだけどさ、そういう呪いだ何だ、効果のほどとか知んねーけどよ、人を傷つけようとする行為はしないヤツだってわかってからさ、まぁ俺の判断じゃ当てになんねーかもしんねーけど、ほら、ゴンスケがお前の横で腹見せて転がってんじゃん、コイツって家族以外ではこれぞと思ったヤツしかこんなことしねーんだぜ、怪しいヤツにも敏感でさ、散歩中に隣の爺さんちのピンポン連打してた特殊詐欺の連中のズボンに噛みついて離れなかったんだぜ、爺さんは金を取られずに済んで事件を未然に防いだってんで警察署から表彰されたこともあんだぜ、人間の俺らですらそんなこと一度もねぇのによ、だからゴンスケが腹見せてる時点でお前は怪しくねーんだ、ゴンスケのお墨付きだ」

「わふんっ」

「ほら、ゴンスケもその通りって言ってんだろ、さぁ撫でてやれよ」

「そうか、我はゴンスケのお墨付き、怪しきものではないのか…」


 ビビアーナはほっとしたように小さな吐息を吐き、お待ちかねでスタンバイしていたゴンスケの腹を撫でる。


「しかし、ゴンスケは変わった様相をした犬であるな、長い毛にくるくるとした短い毛、体は長くあるのに脚は短く尾っぽはくるりとしておる。どのような犬なのじゃ」

「あー、ゴンスケな、雑種、ミックス犬つーんだけど、混じり過ぎてて全部が全部は俺も親も全然わかんねーんだ」


 ゴンスケの母方の遠い先祖は血統書付きのマルチーズだったらしい。そこを十鬼のひい爺さんが拾ってきた元野良犬があちこち胤をまき散らし、マルチーズが産んだ子は十鬼家で引き取ることとなった。その子も同じことを繰り返し、謝りながら毎回引き取った七代目のゴンスケは顔はポメラニアンとマメシバ風、体はサモエドとダックスフント、尻尾は秋田犬、そして毛は何だかわからない、と言った不思議な風体になっている。

 代々続くうちに薄まったのか先祖のまき散らしの癖はどうやらゴンスケには遺伝していないようであり、そこは一安心といったところではあるが。


「そうか、様々な命がゴンスケの中には宿っておるのだな、だからこんなに命の強さを感じるのだ」

「あー、そんな大したことでもねぇけど、まぁな確かにゴンスケは丈夫ではあるけどな」


 命についてのビビアーナの言葉、そこに彼女自身もまだ気づいていない心の底からの思いが込められていることに、十鬼は全く思いもよらなかった。


「ところで十鬼よ、そなたは先ほど我が名を知っても問題はないと言っておったが、我はこれからそなたをどう呼べばよいのだ?アオチャンのようにギンチャンと呼べばよいのか?」

「い、いっ、いや…銀ちゃんなんておっちゃんか母ちゃんぐれぇしか呼ばねぇし、あーいや、別にいやってワケでもいいけど、呼びたいように呼びゃあいいんだけどさ、別に…銀虎でもいいし…」

「何を耳を赤くしておるのだ」

「いや、これはエアコンの暖房が効きすぎて耳があちぃだけだし!」

「そうか、熱いだけか、ふむ、そうだな、我はそなたの家族ではない、それならやはり我はそなたがはじめに我に名乗った十鬼と呼ぶことにしよう」

「そ、そっか…」


 銀虎は少々拍子抜けした。

 これからビビアーナに銀ちゃん呼びされることについて、短い間に心の準備をし始めたところだったからだ。

 ギンバエと呼ばれてから嫌だった自分の銀虎という名前、けれどビビアーナがそう呼んでもなぜか嫌な気持ちはしなかった。

 けれど、あのビビアーナの薄い唇から呼ばれる自分の名は、やはり十鬼の方がしっくりくる。そうも思っていた。


「それとな、十鬼は我の名を知ってからビビアーナ三世は長くて呼びにくいからビビと呼ぶと言っておったが、一度もそうは呼ばずに、お前やら言うばかりだな。我はお前という名ではないはずだがな」


 何となく気恥ずかしくて避けていたが碧によって蒸し返されてしまったこの問題、たかだか名前で呼ぶだけだが、銀虎は自主的不登校になる前から女子のことを名前呼びしたことはなかった。

 おい、や、なぁ、それで通じないときは名字で済ませていたのだ。

 思春期に女っ気のない少年でも幼児のころには身近な女の子を名前にちゃん呼びしていたことはありそうなものだが、年寄りばかりのご近所さんには幼馴染の女の子などという存在も皆無だった。


 しかし、ビビアーナには名字がない。

 いや、あるのかもしれないが、肝心の本人がそのことを覚えていないのだ。

 ビビアーナとフレンドリーに呼び捨て、これは銀虎にとってハードルがあまりに高すぎる。

 ビビちゃん、これは碧に先を越されたから何となく嫌だし、なんとなく響きが恥ずかしく思える。

 ならば残すは三世かビビしかないのだが、一番ハードルの低そうなというかへこんでいそうな三世は既にビビアーナが却下済みだ。


【あーあ、こんなことになんなら本人にお伺いなんてたてずに三世呼びを定着させちまえばよかったぜ、でも仕方ねぇ、あぁ言われちゃぁこれ以上お前呼びを続けるわけにもいかねぇしな、ビビ、ビビ、ただの短縮形ニックネーム、ゴンスケをゴンって呼ぶようなモンだ。ちっせぇころは実際ゴンって呼んでたこともあるしな、ゴンスケは気に入らねぇのか返事しなかったけど】


「あービビ、ビビ。これでいーだろうが!」

「我はビビビビではないぞ、また耳が赤いな、今度は首まで赤くなっている。そんなにえあこんが熱いのか、少し冷ましてみたらどうじゃ」

「うー、ビビっ!いいんだよ。温度はこれで、俺は少し熱い位の方がいいの!寒がりだからなっ!」


 暖房の設定温度は20℃、決して熱すぎるというようなことはない。

 けれど銀虎の顔は火照っていた。


「そうか、十鬼は寒いのがことのほか苦手なのだな、我は寒さも熱さもようわからぬ、けれど、はように夏が来て欲しいと願っておる。さすれば陽の光が我の元までとどくでな、そなたも冷えの来る苦手な寒さが過ぎ去って、夏が来ればよいとこいねがっておるだろう。我らの思いは合致しておるな、のう、十鬼よ」

 じりじりと火照っていた十鬼の顔は一瞬でその熱さを失った。

 そう、軽口をたたきあってこうしてともにくつろいでついつい忘れがちになってしまうが、ビビアーナの目的は太陽の光によって燃え尽きること。それのみなのだ。

 こうして十鬼とともに当たり前のようにしてくつろいでいる時間は、彼女にとって十鬼が進路を考えるために与えられたモラトリアムとは全く違う、燃え尽きるまでのただの待ち時間なのだ。

 何をしていても、むくれていても、しょげていても、笑っていても、彼女の中ではそれは燃え尽きるまでのカウントダウンの時間でしかないのかもしれない。


【実際にビビが太陽の光に言ったようにあたって燃え尽きるかどうかの真偽はさておき、ビビがそんなことを思うようになった事情を探るには、記憶を取り戻すほかはない、けれどこの状態で病院にかかるなんて無理だ…こんなことを相談できるの…詳しそうなの…アオちゃん、やっぱりアオちゃんしかいないのか…でも…】


 理解のある大人、それはビビがここにいることについて銀虎に何も訊こうとしなかった叔父の碧、それしかいないのだと思ってはいても、なかなか打ち明ける踏ん切りがつかない。

 あの冷たい炎のことを話しても、いくら碧でも銀虎が白昼夢を見たと思うかもしれない。

 銀虎だって実際経験していなければ信じられない、いや経験した今ですら半信半疑の出来事なのだから。


【夏まではかなり猶予がある。今はそれよりもビビに燃える以外の興味を持たせることを考えてみよう。俺にそれができるかはわからないけれど】

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