第10話

 謹慎処分が解けても学校へ行こうとしない銀虎に、両親は何も言わなかった。

 学校に行けとも、行かなくてもいいとも、そのどちらも言おうとはしなかった。

 担任の教師が家を訪れてから、銀虎は全く笑わなくなった。

 ギンバエとからかわれてから、両親に出先で銀ちゃんと呼ばれるのを嫌がるようになっていたのだが、その後は銀ちゃんと呼ばれても、ギンと呼ばれても、何も反応しなくなった。

 外では無反応でも、弟のように可愛がっていたゴンスケには優しい顔を見せていたのにゴンスケが尻尾を振ってじゃれついて来ても、ゴロンと腹を見せて寝転がっても、かまってやろうとはしなかった。

 そんな銀虎を心配して、叔父の碧はバイトをしこたましてやっと買ったバイクにサイドカーをつけて銀虎を海へと連れ出したのだが、以前ははしゃいでいた波打ち際にも浜辺の巻貝にも銀虎は反応せず、ただサイドカーの中でじっとしているだけだった。

 家の中でも銀虎は食事のとき以外は自分の部屋から出ず、好きだったオカルトチャンネルも見なくなり何をするでもなくカーテンを閉め切った部屋のベッドの上で体育すわりをしているだけだった。

 銀虎自身もそんな生活がずっと続くと思っていたわけではない。

 中学を卒業したら、両親の仕事の手伝いでもするのだろうと漠然と思ってはいた。

 父親の翼は高校中退後に運送会社に就職し、大型免許を取得してからはドライバーとしてあくせく働き、銀虎が高学年になるころに運送会社を立ち上げた。

 従業員数名の小さな会社ではあるが、一国一城の主となったのだ。

 母親のまどかも事務員兼ドライバーとして父を手助けしている。

 そんな環境だ。銀虎がいずれはファミリー会社の一員として手伝うことになるだろうと思ってもいたしかたあるまい。

 しかし、銀虎の予想を裏切り、形式的な中学卒業の時期が来ても、両親は銀虎に家業を手伝えとは一言も言わなかった。

 担任の教師が卒業証書を渡すという目的で自宅を再度訪ねてきて、何故か原田が自己推薦で東京の高校に合格したと得意げに話すついでに、「十鬼くんはお家が商売をなされているから安心ですね」と勝手に決めつけてかかったときも、うんともすんとも言わなかった。

 しかし、教師が去った後の玄関に塩を撒いた後、銀虎の部屋にノックもせずにどかどかと立ち入ってきた両親は銀虎に思いもよらない言葉を告げた。


「おいギン、俺もまどかも高校中退だ、お前に学業が大事だやら進学しろだなんて言うつもりは毛頭ねぇ、だからな、テメェのことはテメェで決めろ、でもな。お前が大型免許を取るっていうなら俺らはしばらく猶予をやる。進学なりバイトなり好きなようにしろい」

「銀ちゃん、ママもパパも銀ちゃんにはデコトラの銀のように一本筋の通った男気のある立派な漢になってほしいのよ。それはね、世間に立派だとかそう思われるとか、一流大学に入って一流企業に勤めるとかそういうことじゃないの、不器用でもいい、真っすぐな生き方をして欲しいの!それには大型免許が必要よ!」


 一本筋の通った真っすぐな漢、それになるのになぜ大型免許が必要なのか。

 銀虎にはさっぱり意味が分からなかったが、なんだかんだ言って運送会社で働かせるためにそれが必要なのだろう。

 銀虎はそう理解した。


「そいでな、大型免許を取らねぇってならお前は今日から独立しろい!テメェの食い扶持はテメェで稼ぐんだ」


 後に続く言葉はかなり乱暴ではあったが、それも家業を手伝えと無理に押し付けたくはない親心なのだろうと。

 銀虎は両親の言葉に小さく頷き、将来的に大型免許を取ることを了承した。


 大型免許を取得できるのは本来なら満二十一歳以上、運転歴三年以上だ。

 けれど、特例として現在では十九歳以上から取得できることもある。

 それでも銀虎にとってはまだまだ先の話だ。

 普通免許、いや原付免許ですらとることのできない十五歳なのだから。


 ではこの数年間はどうすればいいのか、中学から進学できる専門学校は限られているし、自主的休学、不登校というのを抜きにしても既卒者に推薦入学なんて無理だ。

 そもそも銀虎に専門的に学びたいことなど何もない。

 ならばバイトをするか?

 けれど、十五歳のできるバイトなど限られている。

 近所にある商店はばあさん一人で事足りているし、スーパーも募集していない。

 コンビニは…ファミレスは…宵待町には一つもない…

 ならば見習として家の会社、十鬼運送にと思っても、両親から誘いを受けそうな気配はない。

 自分から持ち掛けるのも未来の社長になる気満々、跡取りとしてやる気満々のようで何となく気が引ける。

 消去法として銀虎は進学を選んだ。

 しかし、毎日学校に通っていながら通知表にアヒルの行列、たまに3の銀虎にとって一年半のブランクは長すぎた。

 進学すると告げたら母親が弟の碧から貰ってきてくれた高校受験の参考書をパラパラめくってもちんぷんかんぷんなのだ。

 高校受験は一応乗り越えた両親も、やはりちんぷんかんぷんで教えられない。

 そこに助け舟を出してくれたのが、国立大学の看護科に通っている叔父の碧だった。


「僕はね、銀ちゃんがやる気になってくれて嬉しいんだ。あんなに表情豊かだった子が、いいっつもスーンとした無表情になっちゃってさ、ぐすん、ほらっきらりんも応援しているよっ!きらるるん。越えられない山はないっ、だって私は魔法少女、世界の味方よっ」


 きらりんの指人形を使ったアニメのセリフ交じりの授業は正直暑苦しくうざったかったが、ヤンキー気質の両親の家計の中で唯一の高学歴者でありバイトで家庭教師もやっていた碧の教え方はわかりやすく、銀虎はできないなりにめきめきと成果を出していった。

 勉強が遅れ過ぎていて一時は通信制も考えたのだが、銀虎は通信制に籍を置いても結局何もやらないであろうという自分の性格を熟知していた。

 そして、隣町にある県立高校の定時制、いわゆる夜間部に銀虎は合格した。

 一年遅れの高校生になることが決まったのだ。


 碧は万歳三唱で涙を流して喜んでくれた。

 そんな時でもきらりんの指人形は両手にはまっていたが。


 そして、両親も喜んでくれ高校に入学したら授業が始まる前の日中には家業を手伝いなさいと言われると思い心の準備をしていた銀虎であったが、両親から告げられたのはまたしても銀虎の予想を大きく裏切るものであった。


「ギン、お前もめでたく高校進学が決まったことだしな、父さんと母さんはデコトラ日本一周の旅に出ようと思う」

「パパとママね、知り合ってからずっと将来結婚したらデコトラの銀の聖地巡りをしよう。それが新婚旅行だって約束していたの。でもね、結局結婚前に銀ちゃんがお腹の中にデキちゃってそれにパパが会社を立ち上げたりして、子育てに仕事に目が回るほど忙しくてずっとそれどころじゃなかったでしょう。それはそれで後悔してないしずっと楽しかったわ、でもねー、ずっとどっか心残りで、銀ちゃんの名前呼ぶたびにあー行ってみたかったなって思うようになっちゃったの」

「俺らには決まった定年がねぇが、自分でえいやって決めちまうことも出来る。お前の進路も決まったことだしな、これで一安心、母さんと相談して春から旅立とうってことになったわけだ。やっぱり体がきびきび動くうちに行っときてぇからな!」

「そ、それは俺がデキちゃったせいで新婚旅行に行けなかったのは悪かったけど、でも、でも、会社はどうするの?社員の人たちは」


 数名とはいえ社員がいるのだ。

 いくら将来の跡継ぎとは言えど、十五歳、一年遅れの高校生になるときでもまだ十六の自分に会社をまとめるなんて無理だ。

 ハラハラする銀虎の心配を父親の翼はガハハと豪快に笑い飛ばす。


「そこんとこは心配いらねぇ、お前の従妹の恭平、アレが前から仕事を手伝ってるだろ」

「ううん。恭兄ちゃん」

 父方の伯父の長男である恭平は関西で長距離ドライバーを経験した後、父が会社を立ち上げるときにこちらに来てそれ以来ずっと働いている。

 銀虎が家の中で貝の子になってからは一度も会っていないが。


「アイツに会社を任せようと思ってる、まぁ俺らも旅先からリモートであれやこれやしばらく手伝うつもりではあるがな。まー会社のことはギンは気にするな、お前はお前の道を行けばいい」


 銀虎はあっけにとられた。

 会社は恭兄ちゃんに継がせる。

 なら何故両親は自分に大型免許を取らせようなどと思ったのだろう。


「俺たちは一から会社を立ち上げた。その時に大型免許が役に立ったんだ。一本筋の通った男にはなってほしいが、進む道は今から一本に絞らなくていい。親の俺たちが息子の道を狭めちゃいけねぇやな、進学してあれこれ経験して、それから大型を取ってたくさんの選択肢ん中からお前はお前の道を選べ」


 何だかいいことを言っている風だが、銀虎はぴくりとも感動しなかった。

 何故なら自分の両親が、これから始まる遅れてきた新興旅行にうきうきしすぎて息子の目の前でお互いの頬や髪を触りあったり、いちゃいちゃし始めてしまったからだ。


【いちゃつくならとっとと部屋から出てけよ。こちとら一応思春期なんだぞ】

 そんな心の声をぐっと飲み込み、銀虎ははぁっとため息を吐く。


 かくして 三十三歳と三十五歳の若きセミリタイア夫婦の遅れてきた新婚旅行と、十六歳一年遅れの高校入学が同時にスタートしたのであった。



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