第9話

 オタ元ヤンである叔父の碧と同じように、十鬼銀虎の両親もゴリゴリのヤンキーだった。

 そんな元ヤン二人のお気に入りの映画が、「デコトラの銀」流しのトラックドライバーである主人公の銀が、行く先々で土地の人々と接し、やくざ者と大立ち回りをしてまで助け、時には密かに恋した女性の恋愛を手助けし、傷ついた心を胸の中に秘めつつひょいと右手を窓から出して去っていくという昭和の人気シリーズ映画である。

 両親の学生時代にも既にほこりをかぶった過去の遺物扱いであったが、二人はそれぞれに親の所有していた年代物のビデオデッキやレンタル店でそれに出会い、夢中になっていった。

 両親の通っていた高校同士は昔から仲が悪く、女であっても木刀を振り回してむくつけき男たちの乱闘に割って入って暴れまわるような有様であった。

 しかし、銀虎の両親、十鬼翼と青池まどかが対峙した時、翼の放った一言にまどかは度肝を抜かれ、そして胸を射抜かれる。


「嬢ちゃん、女だてらに大立ち回り、ホレるねぇ、惚れちまいそうだねぇ、けどな、女は未来を生み出す希望だ大地だ、こんなくだらねぇ諍いで花を散らしちまったらいけねぇよ、いや、女は暴れるななんてみみっちい古くせぇことを言いてぇわけじゃねぇ、女ってのは強ぇからな。ただなその義侠心はここぞってところで使ってくれよ」


 デコトラの銀第二作、『花よ咲け、咲け、俺の隣で』のセリフだった。


「あたいはねぇ、地べたに這いつくばっているようなそんなチンケな花じゃねぇんだ、やりたいように気が向くままに、そう、蝶のように飛び回るのさ!」


 まどかもまた二作目のマドンナである蝶子のセリフで返す。

 ここで翼のハートにも矢が刺さる。

 まぁ、その前に両手に木刀で突っ走ってくる決死の形相のまどかに一目ぼれしていたということもあるが。


 こうして出会った二人は、ひそかに愛を育みあい、翼が十八、まどかが十六の年にまどかの妊娠が発覚する。

 翼は卒業間際だった高校を中退し、まどかもそれに続き、二人は結婚し翌年長男が誕生した。

 そして、二人の結ばれるきっかけとなったデコトラの銀から銀の字を取り、十鬼銀虎がこの世に誕生したのである。

 デコトラの銀の名前は銀次郎、演じた役者は菅井太郎、どこにも虎は見当たらない。

 では何故銀虎は銀虎になったのか、それは翼とまどかというおよそヤンキーらしくない普通の名前の両親が、強さの象徴として、というわけでもなく、銀虎が生れたその日にわざわざ関西から病院に見舞いに来た翼の祖母がたまたま虎柄のセーターを着ていたからだった。翼はおばあちゃん子だったのである。


 どこまでが本当なのか、冗談交じりにそんな話を両親から聞かされて育った十鬼銀虎であったが、彼はビビアーナにバレるまで名乗らなかったと言うように元から自分の名を毛嫌いしていたわけではない。

「またひいばあちゃんの虎のセーターのお話ししてぇ」と父親にねだっていたこともあるくらいだ。

 銀の虎、確かに変わった名前ではあるが碧が言っていたようにまるでバトル漫画のヒーローのようだし、そんな強そうな名前をどちらかといえば気に入っていたくらいだ。

「ぎんこって女みたいな名前―へんなの」とからかってくる子もいたが、「僕のこは虎のこだ。強いんだぞ!」と胸を張って言い返していた。


 そんな十鬼銀虎が自分の名を嫌うようになったきっかけは、小学五年時のとある些細なことがきっかけだった。


 その日の朝、母親のまどかが用意したパンツはくまちゃんとハートが飛び交ったいかにもファンシーなぴちぴちのブリーフだった。


「ちょっと、母ちゃん俺こんなパンツ嫌だよ、いつもの普通のにしてよ」

「ごっめーん、銀ちゃん、ママうっかりしてこれ以外のあんたのパンツ全部洗っちゃったのよ」

「だったら濡れたのでもいいよ、出してよ」

「でも濡れたパンツじゃ銀ちゃんお漏らししたと思われるかもしれんでしょ」

「あー、もう、仕方ないなぁ」


 渋々とくまちゃんハートファンシーパンツを履いて学校へ向かった銀虎であるが、その先にお漏らしを疑われるのと同等の、いやそれ以上の困難が待ち受けていることを銀虎は知らなかった。


「あー、くっそ、漏れそう」


 休み時間に猛烈な尿意を覚えた銀虎は、ファンシーパンツを見られるのを避けるため上の階にある六年生の教室前のトイレに向かい、用心のため個室に入った。

 どうにか間に合って用を足してホッとしていたところ、個室の扉の向こうから声変わり途中のかすれた声が響いてくる。


「うわ、くっせ、ウンコしてるヤツがいるぞ」

 その声に付き従うように、「ホントだくっせー、ウンコだうんこ」疳高いガヤの声が騒がしくなってくる。


「おい、学校でウンコなんかするなよな、誰だ、出ろよ、出ろ」

 彼らはトイレのドアを次々にどんどん蹴飛ばす。

【ウンコなんてしてない、家で済ませてきた。だから、そんな匂いなんてするわけがないのに、何なんだよ、こわい、こわいよ】

 銀虎が頭を抱えてぶるぶると震えていると、次の授業の予鈴がリンゴンと鳴り、耳をそばだてて彼らが立ち去るのを確認した後、銀虎はほうほうの体で五年生の教室へと戻った。


「何だよ、十鬼―お前ずいぶん遅かったな、ウンコでもしてたのかよー」

 クラスメイトにもそうからかわれたが、首を振ると少し笑われただけでその場は収まった。

 少し怖い思いはしたけれど、これで終わり、銀虎はそう思って帰宅した後はけろっとそのことについて忘れてしまっていた。


 しかし、翌日からそれは始まった。

 トイレのドアを蹴っていたガヤの一人がクラスメイトの年子の兄で、トイレから慌てて駆け抜けてゆく銀虎の姿を廊下の窓から見ていたのだ。


「六年生のトイレでウンコするなんて生意気だって兄ちゃんがいってたぞ、お前のギンってギンバエのギンなんじゃねー」

 その一言から、銀虎はギンバエとクラスで呼ばれることになった。

 こんなことはすぐ終わる、ただの暇つぶしだ。銀虎はそう思って耐えた。

 けれど、収まるどころか格好のターゲットを見つけたいじめっ子たちはあの日から決して個室に入ることはなかった銀虎を個室に閉じ込め、教室から引き摺ってきた銀虎の椅子を使ってドアの上からバケツで水をかけた。


 次の日、銀虎は学校を休んだ。

 虐めに耐えかねたからではない、冬場に水を掛けられてびしょ濡れの服のまま帰宅して高熱を出してしまったからだ。

 それでも銀虎は熱がひいてから学校に通い続けた。

 はやし立てていたいじめっ子たちも飽きたのか、次第に銀虎をいないもののように扱うようになっていた。

 元々とびぬけて明るかったわけでもない銀虎ではあったが、それなりに活発で友人もいた。

 けれど、ギンバエ騒動から無口になり、人と関わることもなくなった銀虎から皆離れていった。

 それでも銀虎は学校へ通い続けた。

 中二のとある出来事までは。


「おい、ギンバエ、お前中学生になったのか」

 昇降口でふいに声を掛けてきたのは、あの日、銀虎にぬれぎぬを着せそれを吹聴したクラスメイトの兄だった。

 髪を脱色し、イキがった様子の彼はことあるごとに銀虎を見かければギンバエギンバエとからかったが、銀虎はずっと無視をし続けた。

 それが気に入らなかったのだろうか、ある日突発的な持ち物検査で銀虎の学生鞄からトルエンとたばこの吸い殻が発見された。

 銀虎は特別処分の名目で実質的な停学処分を受けることになった。


 他の生徒と関わることのなかった銀虎のことを誰も信じず、親も親なら子も子だなどと保護者からも陰口を言われ、銀虎はますます孤立した。

 それでも学校に通い続けるのをやめようとはしなかった銀虎の足がぱたりと止まったのは、担任の教師が原因だった。


 教師になって三年目、副担任から担任に昇格して一年目の氏木先生は優しかった。

 銀虎にも、そしてそれ以上に銀虎に罪を着せたり陰口を浴びせ続けた彼らにとって。


 銀虎の濡れ衣鞄事件は、怪しんでいたあの先輩自身の仕業ではなかった。

 兄が無視されていることに腹を立てた彼の弟が鞄にそれらを入れ、生活指導の教師に銀虎がトイレでタバコを吸っていたと告げ口したのだ。

 そのことは銀虎の処分が決まった後にすぐに発覚したのだが、教師らは銀虎の処分を取り下げなかった。


「十鬼くん、つらいわよねぇ、すごくつらい、先生その気持ちとってもよくわかるわ。でもね、やってしまった子の方がもっとつらいの、心を広く持ってね、人は許す心が大切なのよ。先生ね。あんなことをしてしまった原田君の力になってあげたいと思ってる。あの子きっといい子よ。わざわざ教室のゴミ捨てをしてくれて先生を助けてくれたわ」


 これは博愛主義のつもりなのだろうか…

 ワケがわからなかった。

 濡れ衣で謹慎させられている自分のところへコレは一体何を言いに来たんだ?

 ゴミ捨てのことなら知っている。

 銀虎がいる前で隠す素振りもしようとせず、原田が堂々とたばこの空き箱を捨てていたからだ。

 それを隠ぺいするためにやったゴミ捨て、けれどなぜかそのことを語りながらはにかんだような笑顔を見せる氏木にあきれ果ててしまった銀虎は、彼女に自分の見た事実を告げることはしなかった。

 そして、十鬼銀虎は学校に通うのをやめた。



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