第8話
唐突な訪問者に十鬼は慌てふためき、テーブルの上に放置していたコーラの空き缶を握りしめて振るという意味不明な行動をしながら、ビビアーナの周りをふらふら回る。
そして、彼女がここにいることを知られたらマズい、とやっと気づくのと同時に、訪問者は彼らのいるリビングの扉を勢いよく開けた。
「銀ちゃーんおっひさー、碧ちゃんが来ったよーん!」
明るく大きな声の持ち主、これは十鬼が帰ってくると言っていたゴンスケではない。
「わおん」
その後ろからどたどたと走りだし、勢いよく十鬼に飛びついて顔をぺろぺろ嘗め回す、もふもふの物体…
「ゴ、ゴンスケ、元気だな…」
この犬が、ゴンスケだ。
「あっははは、ゴンちゃん大喜びだねぇ、さっきまでサイドカーで風に吹かれて楽しそうにしてたのに、やっぱりお兄ちゃんの方がいいか」
そしてもふもふ犬ゴンスケのハーネスの端を持っているサーキット帰りでもないというのに赤い皮のつなぎ姿の若い男、青池碧。彼は十鬼の叔父、十鬼の母親の年の離れた弟だ。
「あ、青池のおっちゃん…ゴンスケ連れ帰ってくるの今日だったっけ…」
「えー、銀ちゃん他人行儀だねぇ、ちょっと前まであおちゃんって呼んでくれてたのにぃ」
「や、それいつのことだよ、チビのころだろ」
「えー碧ちゃんから見たら銀ちゃんはまだまだ可愛いお子ちゃまだけどなぁ…」
「うっせ…」
ヘルメットの下からはピンクのメッシュの入ったウェーブがかった栗色の髪、そしてレーシングスーツから現れたのはうさちゃんの刺しゅう入りのスクラブ、派手派手なこの叔父は、小児科の看護師をしている。
「あー本当は明日来るつもりだったんだけどねぇ、先生が年末にインフルで休んでた振替ってことで年明けの予約がパンパンになっちゃってね、最近ちびっ子たちの間でクループ症候群がはやっちゃってね、あっクループってケンケンって犬のような鳴き声の席が出ちゃうことね、アザラシとも言うんだけど、アザラシの鳴き声って聞いたことある?僕はないんだけどさ、ゴンスケの鳴き声と似てるのかな。ゴンスケはけんけんしないけどねっ、あーそれでさっお正月休みが急遽ちょい早まっちゃったんだよねぇ、だから銀ちゃんも寂しがってるだろうし、今日参上したってわけだよん」
「だったら、来る前に電話入れるとかさぁ」
「えー、今までそんなことしたことないでしょう、それとも、何?急に来られちゃ困るようなことでもあったのかな」
碧はちらりとカーテンの方に目をやる。
リビングからひょっこり顔を出したフルフェイスヘルメットに驚いたのか、ビビアーナは十鬼が隠すまでもなく自らカーテンの影に身を隠していた。
しかし、ガタガタと震える小さな足はカーテンの下から丸見えになっている。
「ねー、カーテンに隠れている銀ちゃんのヒミツのお友達さん、おじさん怖い人じゃないから出ておいでーねーお話ししようよー」
その柔らかな声と物腰に安心したのか、ビビアーナはカーテンの影からひょっこりと顔だけを覗かせる。
「そちは、我を捕まえに来たのではないのか?」
「えーっ、僕がこーんな可愛いお友達を?そんなワケないじゃない!そんなことしたら銀ちゃんに怒られちゃう。それに僕は三次元はノンノン、二次元の女の子にしかそういう興味ないしねー」
そう、この叔父、青池碧はオタクである。
「にじげん…?しかし、そちはバシネットを被っておったろう…」
「バシネット、あー西洋の兜だねぇ、わー、君って色々詳しいんだねぇ、その喋り方も戦国のローズ、めくるめく薔薇姫のリリアージュへのオマージュかな?」
碧はオタクの嗅覚でビビアーナをお仲間だと認定したようだ。
しかし、ビビアーナは苺のことや簡単なことすら覚えていないというのに、碧の言っているアニメに登場するらしい西洋兜のことはきちんと覚えているのだ。
【やっぱり記憶をなくす前のコイツって、かなりのオタクだったんだろうなぁ…】
碧とビビアーナのやり取りを傍観しながら、十鬼は一人納得してうんうん頷いた。
「せんご…めくるめ…ばらひめ…そのような者に心当たりはないが…それでは何故、ぬしはバシネットに皮のアーマー姿をしていったのだ…」
「そっかー、バシネットにアーマー、ふむふむ、それは疑問に思うよね」
怪訝そうな顔をしてまだカーテンに半身を隠したままのビビアーナに、碧は仲間のオタク相手のようににノリノリになっていた態度をすぐさま変えた。
ここは体調がすぐれずぐつついて機嫌のよくない子供の相手を日々しているがゆえの機転かもしれない。
「これはねー、ここで僕が口で説明するより、実際に僕の、うーん、愛馬的なものを見てもらった方が話が早いんだよね」
「あ、愛馬…そちはここまで騎乗してきたのか、あのふぁんふぁんというのは馬の鳴き声か…この地域の馬は変わった鳴き声で鳴くのだな…」
「うーん、どうかな、君が知っている馬とはちょっと違っているかもね、気になるかい?」
ビビアーナはこっくりと一度だけ頷き、またカーテンの影に顔を引っ込めてしまった。
「あはっ、かくれんぼが上手だね、でも出て来てくれないと、君の気になるお馬さん見れないよ。さぁ、出ておいでよっ」
手招きする碧の前に、初めは肩、そして膝、少しずつ姿を現したビビアーナはゆっくりと碧の前に歩を進めた。
「本当に、我を捕まえるわけではないのだな?」と念を押すことも忘れずに。
「もちのろんだよっ、僕は約束を守る男なんだ。それは僕の愛する可愛い甥っ子の銀ちゃんが保証してくれるよ。ね、銀ちゃん」
指切りをするように差し出した小指をビビアーナに無視されても、十鬼がぷいっと外方を向いてしまっても碧はにこにこと笑顔を絶やさない。
めげない男なのだ。
「わふっ」
意味を知ってか知らずか、ゴンスケだけは反応していたが。
「さー、ほら、じゃじゃーん、僕の愛馬、ならぬ愛車のきらめきスター号ですっ!ステキでしょ」
カバーの下から姿を現したのは、碧の愛車、ヤマハのドラッグスター400、本来なら輝くシルバーの車体のはずだが、そのボディには天使の羽根にステッキを持ったアニメの女の子の巨大なステッカーが貼り付けられている。
犬用の安全シートがついたサイドカーもまたしかり、その上巨大なぬいぐるみも鎮座している。
いわゆる痛単車というやつだ。
そう、繰り返すが青池碧はオタクである。
それだけではない、学生時代はチェーンのアオと恐れられたヤンキーでもあった。
オタクとヤンキー、世にも珍しい二足の草鞋を履いたオタヤンだったのである。
今はオタ元ヤンであるが。
「これは…馬、なのか…馬車でもないようだが…」
外に出て実際に見ても疑問は解けず、ビビアーナの眉間には深いしわが寄っている。
「あはっ、そうだよね、謎だよね。でもこれは現代の馬みたいな乗り物なんだ、バイクって言うんだよ。ニンジンの代わりにオイルを食べるけどねっ。お腹いっぱい食べれば300キロは走ってくれるよ」
「ほう、それはすごいな…」
興味を持ったのか、しげしげとドラッグスターを眺めるビビアーナ、さすればあのステッカーに目が留まるのは仕方のないことだ。
「この、女子は天使か…」
「おーお目が高い!やはりそこに目が行きましたか、魔法少女のきらるるきらりん、僕の撃押しの女の子だよ」
「魔法が…そのようなことを公にして平気なのか…」
「うん、彼女も普段は秘密にしているんだ。けれど町の平和を守るために悪との戦いに身を投じる、素晴らしい女の子なんだよ」
こうなると碧の口は止まらない、そのとどめないさっきまでの口調からは三倍速になったとうとうと続くおしゃべりに、口を挟む隙も無い。
魔法少女きらるるきらりん、碧が小学校低学年のころに日曜日の朝に放送していたアニメだ。一瞬で主人公のきらりんにハートを撃ち抜かれた碧は、その後きらりん一筋、ヤンキーになろうが看護師になろうが、きらりんへの愛はずっと変わらなかった。
通勤にもこの痛単車で通うため、患者の幼児の親に不審がられていないだろうかと十鬼は少し心配したが、今でも続編が作られ劇場版にも登場するきらりんは幼女たちに大人気で碧のこの痛単車を見ると喜ぶので、その母親たちには子供好きのイケメン看護師として何故か人気を集めていてネットの病院コメントでも好評だ。
ただのオタクなのに…十鬼はひそかにため息を吐く。
「そうか、魔法を使っていてもこの娘は魔女、悪ではなく善とみなされるのか、天使であるが故か…そして、やはり、悪とされるものもいるのだな」
わーわーと話し続ける自分の横でビビアーナが独り言ちた微かな声に碧も、そしてうんざりしたようにそっぽを向いて腹ばいになったゴンスケの腹を撫でる十鬼も、全く気付かなかった。
「あっ、そういえばさ、君ってお名前なんて言うの?いつまでも君じゃ失礼だよねっ、僕はねーもう知ってるだろうけど碧だよっ、青池碧、そこの銀ちゃんのおじさん、アオちゃんって呼んでくれていいよ。最近銀ちゃんは呼んでくれないけどさ」
「我はビビアーナ三世、十鬼はビビと呼ぶと言っておった」
「そっかービビちゃんか、銀ちゃん命名だねっ。よろしくねっ」
自ら呼ぶと言っておきながら叔父の碧にビビ呼びの先を越されてしまい内心面白くない思いになった十鬼であったが、そんなことも吹っ飛んでしまう言葉が次に続く。
「のう、そち、アオちゃんとやらは十鬼のことを銀ちゃんと呼ぶがそれは何ゆえだ」
「あーそれはね、十鬼っていうのはこの子の苗字、えっとファミリーネームね、そんでフルネームは十鬼銀虎、十の鬼に銀の虎、バトル漫画の主人公みたいで格好いい名前だよねぇ、僕なんてアオアオとかめっちゃ普通、一瞬回文っぽいけどさ、いおあけいおあ、全然上から読んでも下から読んでもじゃないしっ、ぷんっ」
「ちょ、おいっ、勝手にっ人の、なまえっ」
そう、十鬼少年の名前は十鬼銀虎という。
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