第7話

「いらぬ…」


 しかして、十鬼が往復一時間かけて持ち帰った苺スイーツの数々を、ビビアーナは見向きもせず口にしようとはしなかった。


「おい、俺チャリで朝四時前にこれ買いに行ってたんだぜ!」

「我がそなたにそのようなことを頼んだか?そなたが勝手にしたことではないのか?我は何か間違ったことを言うておるか?のう」


 ビビアーナは不機嫌そうに右の眉をぎっと上げる。


「ぐぐぐ…」


 返す言葉もない。

 確かに押しつけがましかったのかもしれない。

 けれど、十鬼はどうにも納得がいかなかった。

 見たくもないものを見てまで、わざわざ買ってきたのだ。

 それがビビアーナに何の責任も関係もないことなど、分かりきっている。

 このどうにもむしゃくしゃした気持ちは、ただの八つ当たりだ。

 それでも、たった一口でも、いや嘗めるだけであろうとも、何とか口に運んでほしかったのだ。

 もはやコンデンスミルクしか口にしていないビビアーナの体調の心配などではなく、十鬼のただの意地だった。


「でもよぉ、お前昨日はフユイチゴ食ったろ、まぁ正確にはフユイチゴについてたコンデンスミルクを嘗めただけだけどよ。でもフユイチゴ自体が嫌ぇだったら、そんな嘗めることすら嫌なはずだろ。だから、お前はフユイチゴは嫌ぇじゃねぇってことだ」


 意外にも食って掛かってくる十鬼にあきれたのだろうか、ビビアーナは今度は左の眉を上げながら、面倒くさそうに欠伸をしながらぼそぼそと十鬼に返答し始めた。


「ほう、昨日のあの小さな赤い実はフユイチゴといったか」

「そうだよ!昨日ちゃんと言っただろっ!」

「そうか、耳に入っておらんかった」


 ぐでっとソファに肘をついて寝転がってこちらをちらりとも見ずに面倒くさそうに振舞うビビアーナ自体に、十鬼のイライラは徐々に向かっていく。


「あー、もうっ、それでもいいけどよ。お前アレは嫌じゃなかったんだろう。それならパフェとかは無理でもこのフルーツサンドなら食えるんじゃねぇか!お前甘いものが好きなんだろっ」


 目の前ギリギリまでに突き出された苺のフルーツサンドに、ビビアーナはやっと目をやった。


「そなた、我をたばかろうとしていおるな、これは昨日のフユイチゴと大きさがまるで様子が違うではないか、それに周りは赤くはあるが、平らな部分が白いぞ」


 フユイチゴを知らないのは仕方ないのかもしれない、けれどいくら記憶喪失とはいえこの女は苺の存在すら知らないのか?

 そんな人間がこの世に存在するのか?

 一瞬ぽかんとしてしまった十鬼ではあったが、マイナスな意味ではあるが、ビビアーナがこの苺のフルーツサンドに関心を示した今、今がチャンスだと思いなおす。


 食べたくはない、どうしても食べさせたい、少女と少年のかなりどうでもいい意地の張り合いだ。


【ここで、お前こんなことも知らねーの、苺ぐらい誰でも知ってるだろ、とかそんな言葉を発してしまったらダメだ。コイツはへそを曲げてますます意地になって食わねぇだろう。ここは興味を持たせることが肝心だ】


「あぁ、これ切ってあっからな、でもちゃーんとフユイチゴの仲間だぜ、つーか俺んちの庭に生えてる雑草まがいのフユイチゴよりよっぽど上等なんだぜ、苺は春のもんだからな、本来なら冬は食えねぇ、でもハウス栽培でこうやって冬でも立派な大粒の苺が食えるってわけだ。すっげーだろ、まぁ大粒っても切ってあるし挟んであっから全部合わせても一個半くれぇだろうけどな」


 自分がハウス栽培で手塩にかけた苺でもないのに何故か得意げにえへんと胸を張ったときをよそに、ビビアーナはしげしげとフルーツサンドの中の苺をじっと見つめ始めた。


「ほう、本来は春のもの、はうすさいばいとやらで理を曲げた植物か…我と同じではないか…」

「はっ、理、なんのことだ?」

「何も言っていらぬ…」

「はっ、喋ってただろ」

「違う」


 ビビアーナ自身も、何故自分がそのような言葉を発したのかわからなかった。

 けれど、本来の時期のものではないという窮屈そうに白いパンとクリームに押しつぶされているようなその赤と白の果実が、自分と重なって見えて唇から勝手にその言葉が飛び出していたのだった。

 今のビビアーナには自分が一体なんであるのか、それが全く分からない。

 何故この地に降り立ったのかも。どのようにしてあの場所に来たのかも。

 ただ頭を占めているのは、燃えてしまわなければいけない、何の痕跡も残さずにこの世界から消えてしまわなければいけない、そんな使命のような想いだった。


 燃えて消える、それだけ、自分にはそれしかないはずなのに、白に押しつぶされた苺の向こうで百面相をしている少年を見ていると、時々それを忘れてしまうような気がする。

 それがビビアーナにはなんとも不可思議だった。


「のうそなた、十鬼よ、我がこれを食そうが、食すまいが、十鬼にはなんの関りもないことであろう、それだというのに、何故そなたはそのように目をむいてムキになって我に食させようとするのだ」


 ビビアーナには疑問でならなかった。

 一昨日自分の前に唐突に現れたこの十鬼という少年は、ビビアーナの燃えるという使命を邪魔し、自分の家へと連れ帰った。

 ビビアーナが燃えるのが気に入らずに邪魔をしているのかと思いきや、きちんと燃えるには今の時期は不適当だと助言をして手助けをしているような素振りもある。

 一体何が目的なのか、さっぱり見当がつかないのだ。


「それは…俺わざわざ早起きして往復十キロ、一時間もかけて買い物に…」

「であるから、何故わざわざそんなことをしたのだ」

「そりゃ、お前が青白くてガリガリだから…腹減ってないっつーけど、昨日ぎゅるぎゅる腹鳴らしてたし、でもお前偏食でフユイチゴについたコンデンスミルクしか食わねーし、だったら甘いものなら、苺関係なら食えるかなって…」


 気まずそうに俯きもごもごと答える十鬼、先ほどの勢いはどこへやらだ。


【そうか、この十鬼は我が腹を空かせていると感じ、いてもたってもいられなくなったということか…何の裏もなく、ただの親切心で動いたというわけだな、これまでの様子から見ておそらく見ず知らずであろう我のために、押しつけがましい言動がいささか気にはなるが、まぁ変わった童だ】


「そうか、ではこれも試してみるとするか」


 ビビアーナのその一言に十鬼は家の中でも深々と被ったフードの隙間から細い目をカッと見開き、パーッと輝かせる。

 心なしか、頬も紅潮しているようだ。


【我がこれを口にしたとして己の腹がふくれるわけでもあるまいに、なぜあのように嬉し気な顔をする。ほんに奇妙キテレツなヤツじゃ…】


 フルーツサンドのビニールをはぎ取り、その中からクリームまみれの苺を取り出したビビアーナではあったが、くんくんと鼻を動かしてから首をひねりぴくりとも動かなくなった。


「おい、試してみるんじゃねーのかよっ!」

「いや、この白きもの、昨日のものとは触り心地も香りも全く違うではないか」

「そりゃそうだろ、あっちはコンデンスミルク、こっちはクリームだぜ、でもどっちも乳製品だから同じようなモンだろ、甘ぇーし」

「いや、しかし、これは…その、こんでんすみるくとやらはもうないのか?」

「冷蔵庫にまだあっけど」

「それなら…」

「なんだよ、苺にかけてほしいのか」

「うむ、世話をかけるな」

「ったく、手間のかかるヤツだなぁ」


 口ではそんなことを言いながら、十鬼の声は弾んでいる。

 ビビアーナが苺だけとはいえ、口にしてくれる気になってくれたからだ。

 それが嬉しいという気持ちだということを、十鬼自身は決して認めようとはしないだろうが。


 そしてクリームを洗い流しコンデンスミルクをたっぷりとまとった苺に、ビビアーナはまたしても歯を立てず、周りのコンデンスミルクだけを嘗めとった。

 そのことを薄々予想していた十鬼は、何も言わずに残った苺を水洗いし、昨日のフユイチゴの皿へとそっと入れた。

【あー、今度スーパー行ってコンデンスミルク箱買いしなきゃな、いやネット通販のがいーのかな…面倒くせぇ】

 そんなことを思いつつ。


 こうして、食う、食わない騒動には一応の決着をつけた少年と少女ではあったが、食後にまたごろりとソファに寝転がったビビアーナがふいにその体を起こし、そわそわと体を揺らし始めた。


「お、おい、どうしたんだよ。コンデンスミルク、変な味がしたか?腹いてぇか、賞味期限ぎりぎりだったけど、冷蔵庫にはってたっつーのに」

「いや、奇妙な音がするのだ。何やらふぁん、ふぁんというような…聞いたこともないような奇天烈な音が」

「へっ、何もしねぇけどな」


 しかし、ビビアーナの言葉の数分後、十鬼の耳にもその「フォンフォンフォン」という音が入ってきた。

 奇妙な音、その正体はバイクのエンジン音だったのだ。


「よっすー銀ちゃーん、銀ちゃんーいるかい?いるよなー入るよー!」


 がちゃりと玄関の鍵が開き、明るく大きな声が飛び込んでくる。


「うわっ、やべっ、ゴンスケが家に帰ってくんの今日だったか!すっかり忘れてたっ!」

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