第5話

 ビビアーナと十鬼、互いの名前だけは取り合えず知った二人ではあったが、それ以外のことは全く知らない。

 いや、それには語弊がある。

 十鬼にはビビアーナについて名前以外に既に知っている事柄が二つある。

 一つはフユイチゴの周りのコンデンスミルクしか口にしなかったこと。

 そして、もう一つは…

 ビビアーナにはおそらく記憶がないにも関わらず、出会ったその時から拘り続けている一点がある。


「のう、ここからは全く陽が見えぬな」


 結露したリビングの窓ガラスをきゅっと一文字に人差し指の先でなぞり、その線から外に目線をやったビビアーナは言う。


「そうだな、今日めっちゃ雪降ってるからな。吹雪じゃ太陽なんて見えやしねーよ」

「これでは、外に出ても意味がないな。夜と同じではないか」

「何だよ、お前そんなに陽に当たりたいのか?」


 知っていたはず、あんなに強烈な出来事であったはずなのに、十鬼はビビアーナが何故あの公園にいたかについて、この短い間にすっぽりと頭から抜け落ちていた。


「論を俟たぬ、我は燃えるのだ、燃えねばならぬのだ。それには陽の前にこの体をさらさねばならん」

「だから、それは何でかって訊いてるんだろうが!」


 思わず語気を荒げてしまったが、そうやって十鬼に詰められようもビビアーナは困惑した表情を浮かべるでもなく、凛とした眼差し、二つの瞳孔の瞳でじっとこちらを見据えてくる。

「それが何故なのか、今の我にはどうにも解らぬ、我自身にも解せぬことなのだ。しかしこれが唯一の正しい道であるのだと、これが我の理であるのだと、我の奥から湧き出てくるのだ」


 そんなビビアーナの様子に、むしろ十鬼が困惑の表情を浮かべ、たじろいでしまった。


「あぁ、あぁ…‥そうかよ。じゃあ勝手にしろよ。でもなぁ、人体発火現象なんて都市伝説みたいなモンだろ。そもそもお前、公園にずっと棒立ちしてたって言うくせにどっこも火傷とかしねぇで今もピンピンしてるじゃねぇかよ。そりゃ、確かにあん時は燃えてるように見えてたけどよ、あれちっとも熱くなかったどころか冷たかったしよ、何かの映像トリックだろ」

「映像…とりっく!?とは…」

「はー、またこれだ。きょとーんとした顔でトボけやがってよ」


 先ほどまでとは打って変わり、小首をかしげてぽかんとしたあどけない顔になるビビアーナ、十鬼にも本当はわかっている。

 彼女のこの反応は決してとぼけているわけでもない、演技などでもない。

 本当に十鬼の言っていることが、何も理解できないのだ。

 そしてあの炎も…あれがトリックなどでもなくプロジェクションマッピングでもなく、ビビアーナが動画配信者でもないのだと、心の奥ではわかっていた。

 自分自身がこの目で見たこと、それは実際に全てが事実であることを。

 けれど、それをそのまま有りのままに受け入れてしまうことを、十鬼の頭が拒否をした。


【オカルトチャンネルじゃあるまいしこんな非現実的なこと絶対にあり得るはずがねぇ…コイツには、あの炎には何かのからくりがあるはずだ、科学的に証明できる何かが…でも俺化学とかちんぷんかんぷんだし、どうやって証明したらいいんだかさっぱりわかんねぇ…】


「我にはそなたが何を言っておるのかさっぱりわかりかねるのだが、そなたには世話になったと言わざるを得ないのかもしれぬ、我からしてみればそなたは折角の炎を打ち消してしまった妨害者であるのだが、そなたは我の命を助けようと親切心でやったことなのであろうからな、一応は礼を言っておかねばならぬな。それとな迷惑がてら、雪がやむまではここに留まらせてくれぬか、この調子では次に陽が出てくるまでいつになるかわからぬのでな。凍ってしまっては、溶けてから燃えるまで余計な時間がかかってしまうだろうからな」


 礼を言わなければならぬと言いながらありがとうの一言も言わないビビアーナ、しかしそんなことよりも、十鬼は彼女が燃えるということだけに執拗にここまで拘ることが気にかかった。


【コイツ、このまま放っておいたらまた公園に立ち続けるんだよな、じーっとただつっ立ってるだけで勝手に発火して燃え上がるなんてのはまぁあり得ねぇんだけど、いくら人通りが少ない元プリンタイヤ公園とはいえ、暗くなると変なトレンチコートに鼻眼鏡姿のおっさんが徘徊して部活帰りの女子高生を脅かしてたなんて話を聞いたことがある。俺がコイツをぽいっとリリースして放置して事件に巻き込まれたとかなったら、ちょっと後味悪ぃしな、あー面倒くせぇなぁ、何かコイツ漫画だかアニメだかラノベだかしんねーけど自分が燃えなきゃなんねぇとかいう妄想だけが記憶の断片としてこびりついちまってるみてぇだし、いっちょここに話を合わせてやっか、あー俺こういう妄想的なヤツ好きじゃねーんだけどな、そりゃたまにオカルトチャンネルは見てっけど、ただのバイトの休憩時間の暇つぶしだし、好きなわけじゃねーし。地味にめんどくせーんだけど、乗り掛かった舟だ、条件反射とはいえコイツを助けちまったのは俺自身なんだからな、仕方ねぇや】


 実際には中学生時代からオカルトチャンネルにはまって抜け出せない迷路の恐怖物件シリーズなどを見続けている十鬼なのではあるが、家族にも秘密にしており、自分自身でもオカルト好きな自分を認めていない。

 恥ずかしいということもあるのかもしれないが、十鬼は自分が好きなものを好きだとはっきり口に出せないどころが、誰にはばかることもない、心の中で認めることですら苦手だった。

 そんな実はオカルト好きの十鬼が、このような怪奇現象に胸躍らせぬわけもない。

 実際に対面してみると、動画を観るのとは違って若干の恐怖も覚えていたところもあるが、目の前のビビアーナが不思議ではあるが自分に害をなさない存在であるらしいとわかった今となっては、知らず知らずに心が浮き立たずにはいられないのだ。


「あのよぉ、お前陽の光で燃えるとか言ってたけどよ、三日やっても無理だったんだろ。一体何日やれば燃えるんだよ」


 まずはビビアーナが執着しているその部分に切り込んでみる。


「ふむ、先ずはこの体の表面が発火するまでが五時間弱、そうして陽が沈んでからはその熱気を逃さず体の芯までじっくりと熱が伝わるように常に手足を動かし続ける。そしてまた陽が昇ってからは直に陽の光を15時間浴び続ける、そうすれば我は黒焦げになり塵となることが出来るのだ」


【じっくりこんがり人間ローストクッキングかよ!しっかし15時間ってなげぇなぁ、おい】


「お前、そんな情報どっから持ってきたんだよ」

「わからぬ、しかし、頭の奥から囁く声がするのだ。こうすれば燃えるのだと」


 頭の奥の声、それはビビアーナが生前好きだった創作物の記憶なのだろう。

 よほど好きだったからそれだけは忘れられず、自分自身のことと混同してしまっているのだろう。十鬼はそう思いこむことにして、ビビアーナに調子を合わせつつ自分の考えを付け加えビビアーナがすぐに公園へと行かない様に誘導しようと試みる。


「そうかよ、でも昨日発火するまでには三日もかかったんだろ?」

「ふむ、にわか雨や雲が太陽を時折隠してしまったからな、そうなったら灯はすっかり消えてしまいまた一からやり直しなのだ」


【そういえば一昨日ってにわか雨がザーッと来てめっちゃ寒かったよな。コイツあの雨ん中でも突っ立ってたのか、びしょぬれで】


「そうしてやっとあそこまで炎が大きくなったところで、そなたが邪魔を…」

「わー、そうかそうか、でもどっちみちあんなふうに突っ立ってても無駄だったぜ」


 頬を膨らませて不満を言いかけるビビアーナの言葉を、バツの悪い十鬼は慌てて遮る。


【あーもう、人助けのつもりが文句言われるとか俺ってホント持ってねぇなぁ、まぁそれより何よりコイツの話が本当だと仮定したとしても今は無理だっつーのは科学のできねぇ俺にも簡単にわかる】


「何故だ。雪が降ってないのならば、可能であろうが」


 ビビアーナは余計に頬を膨らませ唇を尖らせた。


「いや、無理だ。だって今は冬だぜ、冬の日照時間はみじけーんだ、いくら天気のいい雲一つねぇ時だって、十五時間も陽がさしてるなんてことはねぇ。お前の言ってるような状況を作るには真夏のカンカン照りの時じゃねぇと無理だな!ほらな、俺はお前を邪魔したわけじゃねぇ、むしろ無駄な時間をこれ以上費やさねぇようにしてやったんだぜ、むしろ感謝されるべきだよなっ!」


 ツンと鼻先を天井に向けフンっと得意げに鼻息を漏らした十鬼の前で、ビビアーナは今にも涙をこぼしそうに瞳を濡らし、しょんぼりとまゆげを下げ、尖っていた唇は悲し気にへの字に曲がった。


「そうか、そうなのか、では我はどうすればよいというのだ」

「あ、あぁ、泣くこたぁねぇだろ、夏なんかいつか来るんだからよ」

「しかし、それまで何を、どこにいろというのだ。我にはこれしかないというのに」

「じゃあよ!夏までここにいりゃぁいいだろ!どうせうちの親しばらく帰ってこねぇしよ!それで解決だ!」


 ビビアーナの悲しげな顔を見てぎゅっと胸の奥を掴まれたようになった十鬼の口からは、自分でも思いもよらぬ言葉が飛び出していた。


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