第4話

「ビ、ビビアーナ三世!?なんじゃそりゃ、どういう名前だっつーの」

 むき出しの白目、それも確かにとてつもないインパクトはあったのだが、数時間前までの得体のしれない恐怖のようなものはもう感じなかった。

 三日前から公園で立っていた。

 それは眉唾ものの話ではあるが、少年が見た彼女があてどなくその場所で立っていて、空腹状態だったのは確かな事実だ。

 何らかの事情で行き場がなく、あのような状態になっていたのかもしれない。

 それならば疲労感でいっぱいだったはずだ。

 疲れ果ててへとへとでその上空腹だった少女が、意識を失って倒れてしまうということには何の不思議もない。

 そして、失神時に白目をむいてしまうなんて、これもまたありふれている何の謎もない出来事だ。

 少年なりにそれには納得がいったのだが、それにしても一つだけは気にかかる。

 少女のその見た目から、これがアンナだとか、ヴァネッサだとか、エリーやらとかそんな名前だったら何の疑問も抱かなかっただろう。

 しかし、ビビアーナ、それはいいとして三世とは一体何なんだ。

 確かに、〇〇ジュニアとかの名前はハリウッド俳優やスポーツ選手などで耳にすることは珍しくない。けれど、三世なんて、アニメや歴史上の人物以外で聞くことなんてまずありえないだろう。

 いや、歴史に、特に外国の歴史のことなどまったく知らない少年にとっては、歴史上の人物ですらそんな名前は見たことも聞いたこともなかった。


【うーん、やっぱ俺の予想通り、コイツってオタクなんかな、そんで好きなアニメのキャラとかになり切ってあんなこと言ったとか。でもなぁ、あんな意識失う寸前にそんなことすっかな、いや、ガチオタだったらそれもまたありえんのかな】


 悶々とする少年をよそにソファーに横たえられた少女は、すーすーと規則正しい寝息を立てて平和そうな穏やかな表情で眠りこけている。

「ホント、人騒がせなヤツだよな、あのキャラ付けも天然なのか演技なのかわっけわかんねーし、いくら甘いモンが好きっていっても寒い中折角取ってやったフユイチゴを一口も食わねぇでコンデンスミルクばっか嘗めてんしよ。まぁ俺だから良かったものの、アレを変な趣味のやつの前でやってたらヤバかったかもしれねぇんだぞ…」


 赤く小さな実がまとった白いねっとりとしたコンデンスミルクを白銀の髪の少女が嘗め回す。

 変なフェティズム動画に出てきそうな素材だ。

 そんな趣味など微塵もない少年の首筋が、なにやらぞわぞわもぞもぞして少々頬が熱くなってしまったくらいだ。

 その筋の連中が見たら、垂涎ものかもしれない。


「コイツ、怪しい動画配信者かと思いきやなんかかなりのポンコツっぽいしな、ここがド田舎だから良かったもののさぁー」


 実に平和そうなその寝顔に向かってはぁっとため息を吐くと、まるでそれを察知したかのように少女はぱちりと目を開いた。

 今度は白目ではなく、あの猫のような金色の瞳とともに。


「あぁ、我は眠ってしまっていたのか」

「まぁ、ほんの三十分ってところだけどな、疲れてたんだろ」

「そうか、そういえばまだ先ほどの食事の礼がまだであったな。馳走になった」


 少女はソファーから上体を起こすと、軽く首を下げた。


「あーコンデンスミルク、気に入ったみてぇだな。フユイチゴは一口も食わなかったけど。お前甘いモンが好きなのか?」

「甘い…アレは甘いのか?」

「はぁ、甘い匂いがするとかも言ってたしよ、自分で食ったんだろ、いや、アレは嘗めたっつーのが、正しいのか」

「うむ、甘い、あれは甘いというものなのか…」

「あー、そうだよ、甘いっつーの、激アマだ」


 話が全くかみ合わない。

 けれど少女の口元がうっすらと緩み、微笑んでいるかのように見えて、少年は悪い気分はしなかった。


【コンデンスミルクしか食わねーっつーのもよくねーんだろうけどな、まぁ母ちゃんがカロリーの取り過ぎになるから今日はイチゴにかけるのを我慢とか言ってたくれぇだし、ガリガリのコイツにはちょうどいい食いモンなんかも知れねぇな、この吹雪が収まったら自分の食いモン調達ついでに新しいのでも買ってきてやるか、それと他のコイツが食えそうな甘いモン、菓子パンやらチョコやらな…】


 少年は一時的に保護しただけのつもりだったこの少女の次の食事の心配までしている自分に、全く疑問を感じていなかった。

 再び顔を合わせるまであんなに恐怖を感じていたこの少女が、自宅に、この場所にいることに全く違和感を感じなくなっていたのだ。

 あの暑い昨日の出来事、まるでそのずっと前からそこにいたかのように、少女がこの場所にいることが、実に自然なように思えてきていたのだ。

 悪いヤツではなさそうな気がする。

 直感が鋭いだとか、そんな言葉とは全く縁のない少年ではあったが、このイレギュラーすぎる状況の中で、少年はただ自分が感じたままの感情に自然と従っていた。


【そういえば、あのアイツの名前みてぇなやつ…】


 そして、少年は少女が気絶する前に口にしたあのことについて、何気なく触れてみた。


「そういやさ、お前ビビアーナ三世っていうのか?倒れる前にそんなこと言ってただろ」

「我、我の名はビビアーナ三世なのか?」


 少女はまた小首をかしげる。


「はぁ、自分で言ったんだろ。覚えてねぇのかよ…」

「いや、覚えておらぬことはないのだが…」

「じゃあ、俺に聞くなよ…本当か嘘かなんてそんなの言った本人にしかわかんねぇだろうがよ」

「ふむ、だがあの時、我の口が、声が、勝手に動いてあの言葉が飛び出していったのだ」


 眉間にしわを寄せ、考え込む少女、その姿は少年の目には嘘をついているようには到底見えなかった。


【うーん、あれこれ怪しい部分はあるっちゃーあるけど、どうやらコイツが自分のことを何も覚えていない記憶喪失という部分だけは、おそらく間違いなさそうだ。】


「そうか、お前の頭ん中でごちゃごちゃしちまってる記憶の断片が、何かのきっかけで出てきたのかも知れねぇな、まぁ、名無しのままでもメンドいし、いいや、お前はビビアーナ三世(仮)ってことにしとこーぜ!」

「ふむ、ビビアーナ三世かっこかり…か」

「いや、(仮)まで名前にすんのかよ!長ぇーな、おい!」

「それは、そなたが言っておったのだろう」

「そりゃそうだけどよぉー普通そこまで入れねぇだろ」

「普通とは何じゃ」

「ハハハ…ヤベぇ、話通じねぇ」

「我はそなたの言うことがわからぬ!」


 ぷぅっと頬を膨らませた少女の様子が餌を頬袋にパンパンに詰め込んだリスのように見えてきてどうにも可笑しくて、少年は他人の前で実に久しぶりに笑った。

 後ろを向いて、手の甲で口を隠してではあったが。


「あー、でもよ、ビビアーナ三世だけでもやっぱちょっと長ぇな、呼びづれーわ、じゃあよ、縮めて三世でいっか、よっ、三世」

「それは、何となしにいやじゃ。何が嫌なのかはわからぬが、兎に角嫌じゃ、拒否する」


 少女は頬を余計に膨らませる。リスから河豚のようになったその頬を見て思わず吹き出してしまいそうになった笑いをかみ殺しつつ、少年は必死でぎゅっと頬に力を込めて真面目な顔を作りつつ、眉を左右に上下させ、苦虫をかみ殺すようなはたまた失敗した福笑いのような微妙な表情で妥協案を提示する。


「じゃあよ、ビビはどうだ?これなら呼びやすくて短いだろ」

「ふむ、まぁ良いじゃろう」


 自分自身も定かではない名前、特に思い入れもないのか少女改めビビアーナはその愛称にすぐに同意した。


「しかし、我にばかり名を訊くが、一体そなたの名は何なのじゃ」


 ビビアーナからの問いかけに、少年の顔からはさっきまで百面相のようだった表情がスッと消え、能面のような無の顔でボソリとつぶやいた。


「トキ」

「ほう、トキか、短くて呼びやすいな」


 十の鬼、十鬼と書いてトキ、これは勿論ながら少年のフルネームではない。

 苗字のみだ。

 それにはこれまた十鬼、彼なりの理由があるのだが、ビビアーナはまだその事情を知らない。



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