心中巡り

@Nanumo

心中巡り

「曾根崎心中」「心中天網島」どちらも近松門左衛門の有名な心中物であり、多くの人が心中をする「心中ブーム」を生み出した作品でもある。そして、僕たちもこれから心中する。

 「隼斗、おはよう」

優しい声に振り向くとこっちに歩いてくる鈴花がいた。

「おはよう」

そう僕は笑顔で返した。今日は初めて鈴花の親御さんへ挨拶をしに行く日だ。鈴花とは付き合って2年ほどになり、1週間前にプロポーズもしてOKをもらっている。あとはお互いの両親に挨拶をして、正式に結婚への準備を進めていくつもりだ。紅葉が彩る山を眺めながら、僕たちはゆったりとした足取りで鈴花の家へと向かった。

 しばらく歩いていくと鈴花が

「そろそろ着くよ」

と言った。家が見えてきたことで緊張が高まってきた。

「おはよう。わざわざ遠くからよく来たね」

鈴花の家に着くと、ご両親が出迎えてくれた。

「おはようございます。本日はわざわざ時間をつくってくださり、ありがとうございます」

「そんな堅苦しくしないで、さあ、中へお入り」

鈴花のお母さんに案内され、家の中に入り席についた。

「こちら、つまらないものですが」

鈴花のご両親が好きだという萩の月を渡した。

「わざわざ、ありがとうね。お茶と一緒に出すからちょっと待っててね」

と言って、キッチンの方に行き、お茶の準備をしてくれた。絶妙な緊張感の中、何も話し出せず待っていると

「お茶どうぞ。和紅茶だけど大丈夫かしら」

「はい、ありがとうございます」

お茶と萩の月を人数分持ってきてくださった。お茶、和菓子、人すべてがテーブルに揃い、いよいよ話が始まった。話し始めたのは意外にも今まで黙っていたお父さんだった。

「隼斗くん」

「はい」

「君は鈴花を幸せにできる自信はあるか」

「もちろんです!!」

「就活の方はうまく言っているのか」

自信満々に答えたが、痛いところを突かれたと思った。実はコロナ禍なこともあり、居酒屋を経営していたのだが度重なる営業制限により廃業してしまい、今はバイトを掛け持ちして食いつなぎながら就活をしていたのだが、なかなか上手くいっていなかったのだ。

「就活はあまり上手くいっていません・・・」

「お父さん!」

言葉に詰まってしまったとき、鈴花が話し始めた。

「隼斗は就活は上手くいってないけど、いつも私のことを一番に考えてくれるし、私にとってかけがえのない人なの」

鈴花はそう言ってくれたが、お父さんには響かず、

「そうは言っても、結婚した後、家族を養っていけるかわからないようなやつとは結婚させ られん」

 正直、お父さんの意見は正しいと思ってしまった。

(確かにお父さんの言うとおりだ。今、自分一人すら生きていくのに苦労しているのに結婚なんてしてしまったら、鈴花だけでなく鈴花のご両親にも苦労をかけてしまう。僕は何を考えていたんだ)

今までプロポーズに成功して浮かれていて考えてこなかった自分の愚かさが頭を埋め尽くした。その後、お母さんからも同じ話をされてしまい、結局何も言うことができなかった。そして結婚の許可は下りることはなく家を後にした。別れろと言われなかっただけでも幸運だったのかもしれない。

「お父さんもお母さんもあんなに言わなくてもいいのにね」

駅まで送ってくれる間、鈴花はそんなことをつぶやいた。

「でも、本当のことだから」

夕日が沈みかけ冷たい風が吹き、枯れ葉が落ちた。しばらく歩いたところで鈴花が不意に問いかけてきた。

「これからどうする」

僕は即答することができなかった。

(就職ができたら、改めて挨拶に行くよ。それまで待っててくれる)

そう答えられたら良かった。だけど、言えなかった。これが僕たちの運命を大きく変えてしまったのかもしれない。

「しゅu」

「心中する?」

「ん?」

(心中?心中ってなんだっけ、あれ死ぬやつのことだよな)

唐突な言葉に理解できず、まじまじと鈴花のことを見てしまった。鈴花はケロッとした顔で冗談を言っているようにも見えたが、

「本気だよ」

と真剣な顔で期待を裏切ることを言った。

「一緒にいるためには心中しかないよ」

と強い口調で返事をせまってきた。なぜかその言葉にとてつもない魅力を感じた。気づくと僕たちは駅ではなく海の灯台に向かって歩きだしていた。そして夜の海へと・・・

 (暗い、寒い、苦し・・くない?海に飛び込んだはずなのに息ができる?そうだ、僕たちは 一緒に海に飛び込んだはず、誰かに助けられたのか?)

目が慣れてきたのか、暗かった視界が明るくなってきた。すると、目に映った景色に衝撃を受けた。周りには見たことがないほどの数の魚、ハゼがいた。もしやと思い、誰かが捨てたであろう鏡に近づき、自分の姿を映し出すとそこには一匹のハゼが映っていた。何を言っているのかわからないと思うが、僕も何が起きているのかわからなかった。突然のことに困惑していると突然一匹のハゼに声をかけられた。

「隼斗なの?」

その声は何度も聞いたことのある鈴花の声だった。

「鈴花、鈴花なのか?」

また、一緒にいられるという安心感と喜びが同時に襲ってきた。

「よかった。やっぱりまた一緒になれた」

鈴花はそう言うと僕にキスをした。突然のことに驚いたが、人間だった頃にキスしたのも初めて会ったときだったなと考えながら幸せな気持ちに包まれていた。そして僕たちはハゼとしての生活を送ることになった。意外にもハゼとしての生活にはすぐに慣れた。僕たちは泳ぐのが苦手みたいで、河口付近の淡水と海水が混ざった汽水域と呼ばれるところの流れが緩やかな場所にいるのがほとんどだ。僕たちは小さい頃はエビ・カニの幼生など水中にういている小さな生き物を食べていたみたいだが、 少し大きくなると砂にもぐっているゴカイや小型のエビ・カニを食べるようになり、さらに大きくなると、アオノリなどの海そうや、小魚も食べるようになる。僕たちは人間だったときとは違った時間に追われることのないゆったりとした世界の中静かだが幸せに生活している。しかし、しばらくハゼとして生きているとある違和感を感じるようになった。それは、人間だったときの記憶が少しずつ薄れてきているような気がするのだ。初めの頃は前日の夕食を覚えていられないのと同じように単純に忘れてしまっただけだと思っていたのだが、最近では自分の親の顔すら思い出せなくなってしまった。鈴花に相談しようとも思ったが、鈴花に無駄な心配をかけたくないと思い、話せずにいた。なにより、鈴花との記憶がなくなってきていることを知られたくなかったのだ。

 ハゼとなってどれくらいたったのだろう。僕の人間だった頃の記憶はほとんどなくなってしまった。唯一残っている記憶は鈴花と一緒に・・・鈴花?鈴花ってなんだ?

(あれ、あっちの方アオノリがいっぱいあるじゃんあの子に教えてあげよう)

そう言って隼斗だったはずのハゼはハゼの群れの方へと泳いでいった。そんな姿を満面の笑みで眺めている一匹のハゼ、鈴花だ。

「ハゼの姿になっても隼斗は可愛いわね」

そう呟いた鈴花は隼斗の方へと泳いでいった。

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