わたし

さざなみさざんか

わたし

人は何を持ってして自分を「じぶん」だと認識しているのだろうか。

例えば、人は人生の中で体細胞が入れ替わり続ける。その体細胞が入れ替わった後の自分は、本当に元の「じぶん」なのだろうか。

また、ドッペルゲンガーという話がある。ドッペルゲンガーは自分と全く同じ姿をしているという。しかし大多数の人は、それを「じぶん」だとは認識しないだろう。

ならば「じぶん」を決めるのは魂だとかなんだとか言う見えないものなのだろうか。


「おはよう。」

朝の日差しといつもの声で私は目覚める。ぼやけた視界をこすり、寝癖で絡まった髪を手で梳かしながらリビングルームに向かい、用意されていたパンをかじった。バターがしっとりと染み込んだ熱々のパンは、いつだって私の心を癒やしてくれる。私の小学生の時からの幼馴染、鹿島優は朝早くだというのにカツカレーを食べている。

「ゆう、こんな朝っぱらからカツカレーなんて胃もたれしないの?」

私はパンをちぎりながら聞く。

「わかってないな、ゆめは。”朝”だからこそ美味しいんじゃないか。」

優はそう言いながらカツをこちらの口に無理やり押し込んでくる。

油を処理するための準備をしていなかった私の胃の悲鳴など聞こえていないかのように、私の口は押し込まれたカツを堪能している。

「ゆうとは十数年の付き合いのはずなのに、まだあなたの感性には慣れないわ。」

「カツが美味しいのは認めてあげるけど。」

優はまるで私がそう言うことをわかっていたかのようにこちらを見つめている。

「僕はもうゆめの感性に慣れてるけどね。」

優はそう言って微笑んだ。

「なにそれ、告白?」

「わたしはあなたのそういう掴みどころが無い性格が慣れないのよ。」

私がそう言ってため息をつくと、

「だって僕がゆめの事を理解していなかったら、毎日ゆめが起きる前に、その日ゆめが食べたいものを用意しておけるわけないじゃないか。」

優は少し呆れたような顔をして言う。

「毎日料理しているのは僕だからね。」

「感謝しなよ?ほらかんしゃかんしゃ〜。」

優はニヤニヤしながらこちらの様子を伺う。

「...うぅ、それを言われたら何も言い返せないでしょうが...。」

「まあ、いつもありがとう。」

それを聞いた優は、口角をいつもよりも上げながら話を続ける。

「それに告白でもないさ。ゆめとは恋人なんかより今の関係の方がいいな。」

「結構気に入っているんだよね、今の関係。」

それには私も同感だ。世の中にありふれている、「恋人」だったり「親友」とかの型にはまった関係なんかより、互いに相手を大切に思い、それが当たり前になっている。それでいて何と言葉で表したら良いかわからないような、掴みどころのないこの関係が、私達には居心地が良いのだ。

そんな他愛もない話をしていると、いつの間にか私達が食べていたパンとカツカレーは無くなっている。皿を片付けようとすると、優が、

「皿洗いは僕がやってくるから、ゆめは顔を洗ってきなよ。」

と私を洗面台へと促した。

そういえば起きてから全く気にしていなかった気がする。もしかしたらひどい顔になっているかもしれない。

「わかった、ありがとう。」と言い、私は洗面台へと足を進める。

洗顔用洗剤をてきとうに取り、元の場所に戻す。あ、キャップが半開きだ。

まあいいか。洗剤でしみる目で鏡を見ると、そこには私の顔が歪んで写っていた。

寝不足かな。そう思った次の瞬間、激しい頭痛に襲われる。

”頭が割れるような”ひどい頭痛だ。

「い...。」

そのまま私の意識は暗い底へと落ちていく。


気がつくとベッドの上で横になっていた。優が運んでくれたのだろうか。

「ありがとう、運んでくれて。」

そう言葉を発した瞬間、違和感に気づく。人の気配がしない。

いや、それよりも、こんな場所知らない。

自分が今いるベッドも、天井から吊り下がっている古臭い蛍光灯も、ベットの横にある落書きがされた机も。

「どこ?」

得体の知れない場所に私は立っているというのに、不思議と私は落ち着いていた。

とりあえず今いる部屋を出て、ここがどこか知らなければ。

扉を抜けるとそこはリビングのようだった。薄暗く、机と椅子と棚だけがある、簡素な部屋だ。棚の上には額縁に入れられた賞状やトロフィーなどが飾られている。それら全ては埃を被っており、名前の部分は歪んでいて読み取ることができない。

頭が割れるような痛みに襲われる。

「また...。」

私はすぐにそこから目をそらす。そらした視線の先には、写真立てが飾られていた。

写真立てには二人の子供が並んでいる。場所は幼稚園の正門だろうか。

横に目線を移動させるにつれて二人の子供が成長しているのがわかる。

しかし小学校の正門前で取ったであろう写真には、

”一人の子供しかいなかった。”

その子供は先程の写真と変わらない笑顔を見せているが、気安く触れてしまえば崩れてしまいそうな、どこか欠けたような姿をしていると感じた。

そして私はその子供を知っていた。それは。

再び激しい頭痛に襲われる。

「ぐっ。」

今度は明確に頭が割れているような、そんな経験をしたことがなくても確信が持てるような痛みに襲われる。

ああ、口の中に鉄の味が広がる。視界が、真紅に染まる。とっさに頭を抑えると、

ぬめぬめとしたもので手が覆われる。そして、ぼやけた視界の端で文章の羅列を認識する。それは机の上においてあった新聞の見出しのようだった。

【暴走車、玩具店に猛スピードで衝突 二人死傷】

その文章がとどめを刺したかのように、強い衝撃に襲われ、意識が飛ぶ。


辺りに規則的な電子音が響く。目の前には白衣を着た男性が立っている。

服だけではなく、部屋全体が白で統一されている。

どうやら私は横になっているようだ。

「目が覚めましたか。」

「昏睡状態になってから数日が経っています。気分はどうですか。」

「鹿島 優さん」

鹿島優。それは私の名前じゃない。あいつの名前だ。

「私は、佐倉 夢です。」

「鹿島優は私の幼馴染の...。」

そう言いかけた私の言葉を遮り、白衣の男性は横にあった鏡を私の前に置く。

そこには、鹿島優がいた。私の大切な人。

ここにいたんだね、そう声をかけようとした瞬間、再び激しい頭痛に襲われる。

まるで私の脳がすべてを理解したかのように、思い出したかのように、

私の目に映像を見せる。


そこはオレンジ色に照らされた道。私の手には髪飾りが握られている。

おそらく親に手伝ってもらって用意したのだろう。

しかしその髪飾りの色ははっきりとせず、様々な色に移り変わっている。

カラスの鳴き声に混じって女の子が店の中から僕を呼んでいる。

何を言っているのかはくぐもっていてよく聞こえないが、とにかく私を呼んでいることだけはわかる。その声に導かれて店の中に入ると、叫び声、そして私を引っ張る力を感じる。私の意識を轟音が突き破った。


気がつくと私は床に突っ伏していた。視界が真紅に染まる。足も腕も動かない。

異常な状況であるということだけが認識できた。

辺りを見渡すと、握られていたはずの髪飾りはラッピングと一緒に砕けていた。

はっきりしなかった色も真紅に染まっている。

その奥には手足の生えた肉塊があった。

首であっただろう場所の先にはタイヤ痕がくっきりと付いており、

真紅に染まっている視界であっても、そこからこぼれている固体と液体が赤色であることが容易に想像できた。頭の奥に突き刺さるような鉄の匂いと、ガソリンの匂いが充満した部屋で、無意識のうちに私は這おうとしていた。しかし体は応答しない。

手を伸ばそうとしても、声をかけようとしても、結果は同じであった。

ここで起きた状況を理解したその瞬間、私の。

いや、僕の喉は叫び声をあげた。そして、視界が暗転する。


先ほどと同じ電子音が響く部屋で、私は目を覚ます。

すべてを理解したその頭は、ひどく落ち着いていた。白衣の男はあの後、

私。つまり佐倉夢について調べたのだと言う。記憶と男の話から、

私は12年前にすでに死んでいること。そしてこの体は鹿島優のものだということ。

この私の人格も、ショックから鹿島優が作り出した紛い物だということ。

そしてこの12年間、鹿島優は佐倉夢の幻想と暮らしていたこと。

それらすべてを理解した。張り詰めた糸が切れたように、私の意識は暗い底へと落ちていく。


気がつくと私はあいつと向かい合わせで椅子に座っていた。

辺りは薄暗い簡素な部屋だ。棚には額縁に入った賞状やトロフィーが飾られている。

ここは鹿島邸。鹿島優が作り出した私の人格は、あいつの中に深く根付いている。

最近意識を失うことが多かったのは、おそらく脳が二人の人生を処理しきれなくなったからだろう。もう幻想に浸かってはいられない。お別れの時間だ。

「私は、ゆうが作り出した幻想だったんだね。」

「私は何なんだろう。」

「本物の佐倉夢でもなく、鹿島優でもない。」

「脳が生み出したバグとでも言うのだろうか。」

「でも”わたし”は生きている。」

「意思を持って考えることができる。嬉しんだり、悲しんだりできる。」

頬を冷たい何かが伝う。

それが机に落ちた時、優は口を開く。

「僕にはわからない。」

「けれど、それが佐倉夢でなくても鹿島優でなくても、ゆめは僕の大切な人だ。」

「幻想だろうとバグだろうと、壊れた心に寄り添ってくれる一人の人間だよ」

「一人の体に二人も入っていたんだ。そりゃ、近すぎる。」

「かけがえのない人になってしまったんだよ。」

「失いたくない。消えないでくれ。」

「また一人にしないでくれ。」

そういった優の顔はどこか子供の頃のようだった。

迷わないうちに私は口を開く。

「人間はいつか死ぬ。優が私を人間にしてくれたんだ。」

「ゆうなら一人でも大丈夫だよ、わたしが見守ってるからさ。」

「ありがとう」

二人の声が重なった。

薄れゆく意識の中で最後に聞こえたのは、いつもの声だ。

「おやすみ」

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わたし さざなみさざんか @Abekou

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