21. 理想論者との接し方

 オリビアから2つ目の炎上について説明を受けた翌日から本格的な火消し作業が始まった。


 今回の課題の基本ルールとして、1度使った火消し手法は使えない。

 つまり、訴訟によって悪質な行為を行っている者を押さえつける事は出来ないという事だ。

 であれば今回はどうするべきか……。


「今回の炎上騒ぎって、攻撃者が理想論に酔って問題の本質を理解出来ていない事がそもそもの問題なんだよね」


 今回の炎上騒ぎの問題点はたった1つ、炎上を起こしている人達が問題の本質を全く理解出来ていない事。

 炎上の標的にされているドッグトレーナーは、碌に躾けをされる事なく育ってしまい、人に吠えたり噛みついたりと暴れて危険な存在となってしまった犬を専門としたドックトレーナーだ。

 そんな犬達は飼い主の手に余り、このままでは捨てられ殺処分となってしまう。

 

 碌に躾けもされず殺処分の危機に晒されている犬は一匹や二匹ではない。

 詳しく調べてみると、そのドックトレーナーは常に十頭近くの犬達を矯正すべく奮闘しているとの事だった。

 それでもそのトレーナーの訓練待ちをしている犬達が後にズラリと居るとの事……どんだけ甘やかした育て方をする飼い主が多いんだ。


 手に負えない程狂暴になった成犬は予想外に多く、そしてそんな犬達を受け入れてくれるドックトレーナーは数が少ない。

 けれど、このまま手に負えないと手放されてしまえば殺処分。効率を追求してトレーニングをする事は無理からぬ事だろう。

 だが、このような事情を知ってか知らずか、攻撃者は理想論を並べ立ててドッグトレーナーを責め立てている。

 

「じゃあ、その問題点を突き付けてやれば……。理想論には現実論だ」


 基本方針を決めた私は、早速行動を起こした。

 オリビアから一時的に借りている複数のSNSアカウントの中から、今回の件に最適なインフルエンサーアカウントを見繕う。

 今回は料理やペットの話題をメインで投稿している主婦アカウントを使う事にした。

 

 オリビアはバイトを雇い、幅広いジャンルで活用出来るよう実に様々な種類のSNSアカウントを育てている。

 それらはただアカウントを作っているだけではなく、フォロワーを増やし発言力を伸ばすノウハウを使ってじっくり育てて来たアカウント達で、オリビアはそれらアカウントを使って多くの者達を扇動し仕事を熟しているとの事だった。


 私はまずそのアカウントで、現在起きている炎上騒ぎの詳細と、このドッグトレーナーや犬達を取り巻く事情について投稿した。

 その後、私は数日掛けて幾つものアカウントからその投稿を引用投稿する事によって、その炎上騒ぎの問題点を拡散させていった。


 ……


 …………


 ………………


「……全然上手く行かない」


 この炎上騒ぎを収めるべく行動を開始して4日、事態は全く改善していなかった。

 より具体的に言えば全くという事は無いが、殆ど改善していないのだ。


「理想論に浮かされた人達ってなんでこんなにも攻撃的なのよ」


 現在起きている犬達を取り巻く事情を拡散し、今炎上騒ぎを起こしている者達が語る理想論では問題解決にはならない事を広めるが、その効果は薄かった。

 その理想論は理想論でしかなく問題の解決にはならないと伝わった人は更にその投稿を引用投稿したり、その話題について持論を説く者が現れたが、そういう投稿には実に様々な理想論者が噛みつき、悪しざまに罵っていた。

 その現実論VS理想論が更に炎上を大きくし、話題が大きくなったことで更に現実論者と理想論者が増えていったのである。


 ちなみに炎上騒ぎの切っ掛けとなった人も、この件について持論を説いている。


『事情があるからと言って、それが動物虐待を正当化する理由にはならない。身勝手な飼い主の所為で犠牲になっている犬達を叩き従えようとするのは只のエゴだ。人の犠牲となった犬達を助けるには、暴力ではなく愛で救う方法を模索する義務がある』


 とてもそれらしい事を言っているが、今現在起きている問題を解決する方法については一切話していない。

 終始理想論で現実に即しておらず、正に言うは易しという奴だ。

 

 私がその持論を読みながら、どうしたものかと頭を悩ませていると、ここ数日全くのノータッチで傍観に徹していたオリビアがラムネ瓶を2本持ってやってきた。

 

「なかなか手こずっているようだね」

「正直、結構今迷走していますね。あちこちに噛みついている理想論者に今目の前で起きている問題点を突き付けて、現実に即した解決策を言ってみろと怒鳴り散らしたい気分です」


 私はオリビアから1本のラムネ瓶を受け取り、吸い口のビー玉をカツンと落として溢れる泡を慌てて飲み込んだ。

 口の中で弾けるラムネはとても甘く、シュワっとしたのど越しが少しずつ私の苛立を癒していく。


「そんなお疲れの玲子に1つだけアドバイスを上げよう。そもそもの話、現実を直視しない純度100%の理想論者と論じようと考える事自体が間違っているのさ。彼らにとって自分の中の理想論こそが正解であり、それを否定する情報や論理は嘘か間違っている存在なんだからね」

「……論じる事自体が間違い」


 そう、私はそもそも出だしから間違っていた。

 理想論に酔っている者は現実の問題点を加味しないからこそ声高々に理想論を唱え続けているのであって、そこに現実の問題点を突き付けて現実論を唱えた所で意味が無かったのだ。

 彼らは理想を胸に現実の問題と向き合う理想論者ではなく、現実の問題と向き合わないタイプの理想論者なのだから。


「これは論理と論理の戦いじゃなくて……どちらがより扇動出来るかの戦いだったんですね」


 ――だとすると、火消しの為に私が執るべき行動は……。


 その事に気が付いた私は、胸の奥底から湧き上がる感情に突き動かされて自然と笑みが零れた。



  

「……玲子、今の君はとても魅力的だよ」


 オリビアのその小さな呟きが私の耳に届く事は無かった。

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