19. 二つ目の炎上
「おはよう、玲子。今日も良い朝だね」
「……思いっきり曇ってますけど?」
「とても結構なことじゃないか。日の光はジリジリと私を責め立ててきて鬱陶しいから嫌いなんだ」
「オリビアはドラキュラか何かですか」
と言いつつ、実は私もあまり強い日差しは好きではなく、どちらかと言うと少し曇っているぐらいが好きだったりする。
母はそんな私とは真逆で、休日に天気が良いと「今日は天気も良いし、どこかお出かけしましょうか!」と言い出す程のアクティブ全開な人で、私は何度も日の光に焼かれながらそんな母に付き合っていた。
……もしかしたら、日差しが苦手になった要因の一つは母かもしれない。
「まぁ、良い天気とは何かについては置いとくとして。先日オリビアは依頼を幾つか熟して貰うって言ってましたが、次の依頼も決まってるんですか?」
「勿論決まっているよ。なので今日は午後から次の課題の説明をするつもりさ」
「午後からという事は、午前中は何か予定が入ってるんですか?」
「今日は日も出てなくて気分が良いからね。これからチェスでもして遊ぼうじゃないか」
オリビアは本当に自由人だ。その時その時のテンションで好きな様に振る舞う。
……まぁ、学校を休学してそんな自由人なオリビアに付き合っている私も大概だとは思うけれど。
……
…………
………………
「玲子の駒の動かし方には全く子供らしさが無いね」
「ほっといて下さい」
「まぁそれでも、混戦になると少し視野が狭くなる所はあるがね、そこは経験と知識の差かな。精進したまえよ」
「いくら精進しても勝てるイメージが湧かないんですけどね」
オリビアのチェスは魔法の様だった。
盤面全体を見て考えているはずなのに、何時の間にか意識外の所から予想外の動きを見せあれよあれよと言う間に形勢が悪くなってしまう。
激しいぶつかり合いの最中でもコツコツとノータイムで駒を動かして来て、何時の間にか勝負は決しているのだ。
「さて、知識も経験も浅い玲子をコテンパンにして気分も良くなった事だし、仕事の話でもしようか」
「……勝てるイメージは湧きませんが、何時か勝たせて貰う事は決めました」
「それは結構」
こうして私の二つ目の仕事が始まった。
オリビアは何時もの様にパソコンをカタカタと操作し、一件のSNS投稿を表示する。
それはとあるドッグトレーナーに対する批判投稿だった。
『この時代になっても未だに躾けと評する暴力を振るう自称ドッグトレーナー。最新の躾けを学ばずに昔ながらの暴力に訴えるのは只の人間のエゴでしかなく、自称でもドッグトレーナーを名乗るのならもっと犬と寄り添う最新の効率的なトレーニング方法を学ぶべき』
その投稿にはこの投稿者が編集したであろう悪意に満ちた動画が添付投稿されており、そこにはこのドッグトレーナーが暴れる犬を押さえつけたり怒鳴りつけるシーンが詰め込まれていた。
「このドッグトレーナーは碌な躾もされず人に噛みついたり暴れたりする犬を専門とするトレーナーなんだ。ただ甘やかすだけで躾けをせず、そうなってしまった犬の多くは飼い主から捨てられ、里親も見つからず最終的に殺処分される事になる。このトレーナーはそんな犬達を躾けて、殺処分されないようにと活動を開始した人なんだよ」
「そんな人が今回炎上の標的にされてしまったんですね」
「そういう事だね。この投稿者は他にも面白い持論を並べているので読んでみるといい」
オリビアにそう言われ、私はその炎上を起こした人のSNSのタイムラインを追っていく。
そこには”人の子供に対する”褒める躾けの仕方についてや、パブロフの犬という動物実験についての説明、子犬の躾け方について書かれている本の一部を写真投稿していたりした。
「理論武装が凄いですね。……ただ、何と言うか全体的に少しズレているような?」
「流石玲子、よくそこに気が付いたね。この投稿者は問題の本質を見ていないのさ。このドッグトレーナーが相手をしているのは人間の子供でも子犬でもなく、既に価値観が固まってしまっている狂暴な成犬なんだよ。しかも犬一頭を育てるのに掛かるコストも高く、多くの犬を同時に調教している為に、一頭一頭優しく時間を掛けてやる余裕もない」
「そうか、色々理論を並べてはいるんですけど、実現性が無いんですね」
実現性に乏しい理論。けれどその理論に扇動された者達はこのドッグトレーナーを叩き、擁護する者にはこの炎上を起こした者の投稿を引用返信してマウントを取っていた。
この炎上について他にも詳しく調べてみたのだが、元々この炎上の発端はテレビ取材が切っ掛けだったようだ。
それは『殺処分を待つ犬達の最終防衛ライン』という題材での特集で、飼い主に噛みついたり家の物を壊して暴れる犬達が飼い主の手に余るようになり、このままでは飼えなくなってしまった犬達が殺処分される事になってしまう。
そしてそんな犬達を一匹でも助けたいと立ち上がったトレーナーが短期間で犬を調教し、飼い主の元へと返すという内容となっていた。
だが、その特集映像を切り抜いて炎上させる者が出て来たのだ。
現在このドッグトレーナーの元には多くのイタズラ電話や苦情電話が殺到しており、調教施設の周りに張っている柵には誹謗中傷の張り紙が毎日何枚も貼られているらしい。
責める立場に立つと、人は何故こんなにも非情に残酷に暴力的になれるのか……。
「ははっ。玲子、この投稿なんて滑稽で面白くないかい? 『動物に暴力を振るう者はいずれ人を殺す』だそうだよ」
「……飛躍が酷いですね」
「このドッグトレーナーに限らず、警察犬や盲導犬などの躾けは厳しくされているが、この者の中ではそんなトレーナー達はみんな殺人鬼予備軍なのだろうね」
オリビアは本当に可笑しそうにケラケラと笑う。
私はこのあまりに酷い惨状に全く笑う気が起きない。
「さて、玲子。前回の火消し依頼の際は、『人を扇動する為には優越感を与えるのが効率的』である事と優越感を与える為の一つの手法として倫理観について学んだね。今回はこの炎上を起こした者も、例に漏れず優越感に浸っている訳だが、その優越感の正体が分かるかい?」
「一見すると前回と同じ倫理観なような気もしますが、それだけじゃ無いような。……正論に酔っているとかでしょうか?」
その者の投稿をざっと見返し、その文章から受ける人物像のイメージを何とか言語化して答えてみた。
だがオリビアは私の回答に対してニヤリと笑い、首を横に振る。
「惜しいが少し違う。……この者が酔っているのは正論ではなく理想論さ」
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