倫理上の強者だと思い込んで暴走した結果、死ななくてもいいはずの人を巻き込んでしまった例として、雲仙普賢岳の火砕流の事件を思い出します。
雲仙普賢岳の火山活動の迫力のある映像を撮影しようと、危険度の高まる区域に集まるマスコミ各社。危険だからと避難勧告が出ているにも関わらず、『この映像を撮影しなければならないといけない義務がある』との思い込み(実際はこれで自分を売りたいと思う自己中心的な意識も多かったと思う)それを無視し続けることに。
更に空き家に勝手に入り込む等した為に、危険な区域を巡回しなければならなくなった地元の消防団や警察関係者も。そして突如、危険区域を襲った火砕流に、本来なら犠牲になる事もなかった人々が多数犠牲となる事に。これで反省したかどうかは、今のマスコミを見ればわかりますね。
冷静な判断力が必要とは言いますが、実際に自分が突然に災害や事件に巻き込まれたら冷静にいられるのだろうかとは思います。自分を含めて、パニックになるのでしょう。そういう時ほど、周りをしっかり観察して状況を判断出来るようにはしたいものです。
確認をお願いします。
倫理観に狂った者達の行動によって環境が動いてしまった場合、それによって将来自分の身が危険に晒される事なったらきっとその者達は自分達の事を棚に上げて誰かを責め立てるだろう。と言いながら、オリビアは薄ら笑いを浮かべた。
自分の身が危険に晒される事となったら ですかね。
作者からの返信
何時もコメント頂きありがとうございます^^
日本のマスコミの救いようの無さは例に事欠きませんね(汗
恐らく政府組織の抜本的改革が成されない限りどうにもならないと思います(・∀・; )
自然災害や事件への備えは、どんなにやっても完璧に備える事など出来ないので『人事を尽くして天命を待つ』の精神で思い付限りの事はやるようにして、後は仕事や日常生活に打ち込んでいますね!
ですがやはり、何事も起きず平凡な日常が続くのが一番です><
脱字報告頂きありがとうございます!
何時も本当に助かっております><
社会正義(倫理強者)・・「マイノリティの権利を守れ!」は、確かに反対しにくい。
一方「俗情との結託」という「マイノリティは、必ずしも善ではない!」と指摘する言葉もある。
言葉には、対抗する言葉でぶつかるしかない。だからこそ、情報の分析や語彙力の鍛錬は欠かせない。
本文中の「反撃されるリスクがない場所から、一方的に攻撃する(と思い込む)人たち」について。
まあ、叩いた対象が自殺しようものなら、その連中は「垢を消して逃亡」するだろう。
一方、反撃リスクを恐れずに突っ込んでくる「狂戦士」もいる。見かけたら、マトモに相手しないことが賢明。
狂戦士1「無敵の人(拡大自殺者)」
・反撃されると、普通はダメージを受けて、信頼を失うだろう。
だが信頼ゼロなら、失うものがないので、攻撃をノーリスク(本人基準)で出来る。
「どうせ死ぬなら、他者も道連れだ。俺も死ぬが、死因が『自殺』『反撃されて死ぬ』の違いがあるだけだ!」
狂戦士2「宗教的な殉教者(俺も含む)」
・別に宗教信者に、限った話ではなくて。「自分の命よりも、大事な価値の為に死ぬのが、最大級の栄誉だ」という考え方全般。
宗教の場合は「戦って、敵を倒すのは良いことだ。勝てば、生きながら名誉が得られる。反撃されて死んでも、宗教的名誉が得られる(天国に行ける)。
どちらでもいいさ、俺に損などない(本人基準)」。
スーパーや通販の買い物も同じ。(個人の)損か得かは「自分のモノサシ」で決めればいいことだ。
作者からの返信
何時もコメント頂きありがとうございます^^
>>だからこそ、情報の分析や語彙力の鍛錬は欠かせない。
私もそう思います。
個人による扇動する者は勿論、メディアや政府が誤情報やイメージによる戦略に打って出た時、一人一人がしっかりと情報を分析する力があれば、簡単に倫理観で扇動されなくなると思います><
ただ、どうすればそうなっていくのかが全然思いつかないんですよね……。
そこが思いつかない限りそれは只の理想論でしかないので、解決には何の貢献もしないという現実。
『どうすればその理想論を現実化出来るのか』という問題にぶち当たる度に「誰か答えを教えてください!」って気持ちになります(๑′-﹏-๑)
優越感を与える要素は複数あり、『一方的に殴れる』がその内の要素の1つでしか無いのは確かですね。
※優越感に浸っている人は全てそう思っているではなく、それによって優越感を覚えている人が居るって感じですね
WEB上で誹謗中傷を繰り返す人の内の多くがこのパターンかなので対処は結構簡単だったりします。
そしてそれ以外にも色んな優越感が存在するので、炎上騒ぎを止める為にはそれぞれのパターンに合わせて対処していかないといけません><
実利や論理を無視して倫理だけで判断すると、将来自分の首を絞める事になる可能性がありますので、殉教様が言われている様に『スーパーや通販の買い物も同じ。(個人の)損か得かは「自分のモノサシ」で決めればいいことだ。』
というしっかりと実利と論理で考える事は素晴らしい事だと思います。
一番最悪なのは、倫理観や優越感に酔って行動してしまい、思考も働かず自分が今何をやっているのかも分からず行動されている人達ですね。
ゾンビかどうかの違いは、『真面に思考する事が出来るか』ですから。
巧みに補正され盲信された論理(倫理?)にディベートで勝てるか? 理不尽な主張と対決することは予想以上にハードルが高い心理戦です。対抗上調べる事、考える事は不可欠ですが、加えて重要なのは戦略を持って臨むこと、そして不屈の精神です。つまり訴え続ける事だと思います。グレタ・トゥーンベリでは無いですが、それが正しい主張ならば、たった一人でも道が開けることがあります。
七瀬様! 素晴らしい作品をありがとうございます!
作者からの返信
何時もコメント頂きありがとうございます^^
ディベートとは正にどちらがより多く扇動出来るかの勝負になりますね。
実の所、ディベートという行為自体を研究した論文も幾つか出ており、心理的分析と感情的アピールによって相手の認識バイアスを歪めつつ論理ではなく感情によって人を扇動する戦略が確立されていたりします。
そして三杉令様が例に出していたグレタ・トゥーンベリこそ、その実例だったりしますね(・∀・; )
彼女に多くの人が扇動されたのは、その主張が正しかったからでも訴え続けたからでもなく、各国の思惑による所がとても強かったのです。
現在世界では科学的根拠の無いCO2悪論が推し進められており、日本も含め複数の国のメディアがそれに関連する情報を流し、そして複数の国の政府が脱炭素を謳っておりました。
その為、その旗頭として彼女を担ぎ、メディアで報道し、複数の国でスピーチの機会を与えていたのです。
これは第2章で話した『作られた常識』『レッテル貼り』による情報戦略ですね。
ですが、『環境汚染』というイメージを背景とした倫理観によって碌に調べて考える事なく多くの人が扇動されてしまいましたが、CO2やよくメディアで言われている地球温暖化についてしっかりと情報収集をしていくと、グレタ氏や政府が言っている脱炭素ついての見え方がガラッと変わります。
相手が倫理による主張をしている時こそ、しっかりと調べて、そして自分の頭で考え、論理によって答えを出さないと将来自分の首を絞める事になるという実例でもありますね。
そういう意味では、内容こそ違いますが『人里に降りた熊を殺すな』と似ているかもしれません。
編集済
正義を貫くのは立派なのですが、それを貫くには相手が必要なんですよね。その相手がたとえ「悪」だとしても、それをメディアやSNSを使い当事者以外の大勢で叩くことは、はたして正義なのか……。
過度の「正しさ」に溺れることは人間社会の衰退に繋がると感じますね。
犯罪者に襲われるのが自分だったら、熊に襲われたのが自分の身内だったら、大勢に誹謗中傷されるのが自分自身だったら……。そう考えると、相手の立場になって考えることが重要だと思いました。
「考える」ことは難しいことですが、同時に楽しさはありますね。この物語は、考えさせられることが多いので、まさに脳で楽しむアトラクションです。ハハッ!
これからも更新を楽しみにしております!
作者からの返信
何時もコメント頂きありがとうございます^^
>>相手の立場になって考えることが重要だと思いました
正にその通りだと思います。
炎上騒ぎの多くは部外者が自分勝手に騒いでいるだけで、その多くの人が相手の立場になって考える事が出来ていないんですよね(汗
綺麗事や理想論は部外者の立場で言っていれば実害なく気持ちいいだけなのですが、いざ自分事になった時になってやっと自分達が何を言って何をやってきたのか分かるんですよねぇ……。
考える切っ掛けは大切ですよね><
私も過去に何度もそんな切っ掛けに遭遇しては、それ以降同じような事が起きるとその経験から安易な行動はせずに考える様になったりしています。
本作も『そういえばあの小説でもこんな話してたな~』なんて思い出して、安易に情報を鵜呑みにしたり悪魔に扇動されないようになる切っ掛けになってくれたら嬉しいですね♪