第17話 深夜のイタリア料理店

 レジ終わりの3人の協議の結果、明日の昼の1時に八百屋の前に集合することになった。仕事が休みの万里華さんも来るらしい。


 店を出た俺と瑠奈は、天狗通りを俺が押す自転車を挟んで歩く。


「その……望んだ野菜が採れるわけではないですからね。まだ、採れたのは4種類だけですし……」


「わかってるって、私も今から明日の下ごしらえの時間を休む為の説得をしなくちゃいけないの。ほら、君のその鞄の野菜を持って帰れれば簡単なんだけど……」


 ハンドルを握る俺の右手にそっと手を添えてきて俺はドキリとする。

 魔性の誘惑には負けないぞ。


「ごめんなさい、コレは頼まれ物なんです」


 俺は少しだけ早足になった。

 理由を聞かれないので、ありがたかった。同級生の女子に渡すとは言いにくい。


「私の家ここだから」


 瑠奈が足を止めて指差す。小さいけれど品の良さそうなイタリア料理店【パトレーゼ】がそこにあった。店舗前の黒板にはアスパラとベーコンのパスタなんて文字や営業時間などが書いてある。


「いい感じの店ですね」


 ありがとうと返す彼女が準備中の札が掛かるドアを開く。ニンニクとオリーブオイルの匂いがした。


「あの、どうでもいい事だけど、ココって住居付きの店舗?」


 俺の質問に、瑠奈は軽く頭を傾げたあと


「そう、うちの親が買った家。絶賛ローン返済中」


 そう言うと「また明日」とお互い言い合って別れた。



 家に帰り母に生らっきょうと鷹の爪を渡す。


「時期ハズレだけど上手く漬かるかしら」


 などと言いつつ、母は嬉しそうだ。

 ついでに母にピクルスのレシピを聞く。理由を聞かれたので正直に話すと


「作って持っていってあげればいいじゃない。料理が出来る男はモテるのよ」


 と言う。「うるせえ」と手を振りながら自室へ戻る俺を、母はニヤニヤしながら見ているんだろう。


 シャワーを浴びて部屋でぼーっとする。

 そして今夜の企みを思うと、ニヤけが止まらない。

 今夜、瑠奈の家に忍び込む。店の営業時間は22時まで。後片付けまで終わったあとの無防備な彼女や、運が良けりゃお風呂シーンまで見れるかもしれん。

 落ち着け俺、と深呼吸を繰り返した。


 晩御飯のあと、宿題をして脳と目を疲れさせる。眠る為の勉強は全く頭には入って来ないが、順調に瞼が重くなってきた。

 よし、この波を逃すまいとベッドへと向かう。体の重さに任せて倒れ込んだ俺は、眠りの世界へ旅立った。

 眠るのが上手くなった気がする。


「成功だ」


 部屋の時計は11:27を刺している。

 まだ眠っている体を残して、幽体になった俺は、部屋を出て玄関のドアをすり抜けた。

 半透明な足元は裸足でも全く気にならず、歩くスピードは生身の時と全く変わらない。ちょっと走ってみる。やっぱり息が切れた。都合よく物語は進まない。


 たぶん15分くらいだろうか、瑠奈の家に着いた。ブラインドが降ろされた店には入り口のドアの隅にセコムのシールが貼ってあって、ちょっとだけ緊張する。


 扉をすり抜けて入った店内は薄暗いが、店の奥に小さな灯りが見える。

 奥の厨房に1人瑠奈がいた。長めのボブの髪を後ろにまとめていて、半袖のコック服がよく似合う。いくつかの皿にドレッシングの試作品が並んでいて、味見をしている。


「ドレッシングは採ってこれるニンジンとセロリの味次第か……。父さんを驚かせてみせねば」


 などとひとりごとを言いながら、ドレッシングの後片付けをし始めた。


 健気に鍋や皿を流しで洗う彼女と、彼女の私生活を覗きに来た俺。ご機嫌な瑠奈が鼻歌で歌う『高嶺の花子さん』を聴きながら、俺の心に罪の意識が生まれた事に気付いた。

 そして、この日の残りの時間、俺はそこに突っ立ったままだった。


 0時を過ぎて自宅の俺の本体に戻る。


 いくら可愛いからって、知り合いの裸を覗きに行くのは止そう。俺はそう決めたのだった。

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