第3話 潜行の準備
2年次の夏休みの補習授業は、1学期よりも少しだけ遅い時間から始まり、昼前で終わる。
俺はぬるいエアコンの教室で授業を受けているあいだも、午後のダンジョンの事が気になって仕方なかった。
「おい翔吾、まだ腰は無理なのか?」
放課後、同じクラスで野球部の松本が声をかけてきた。1年時からセカンドを守る好打者である。引退した3年に代わって副主将になったみたいだ。
「おぉ、まだ経過観察中だよ。
それに天狗通りの叔父さんに色々あってね…」
天狗通り商店街、叔父の八百屋があった商店街の名前である。
俺は説明したくない感を存分に醸し出して、帰りの準備を始めた。
「……。なんか、出来ることあったら言えよ…」
マツはそう言うと自分の席に戻って行った。さすが副主将、突っ込んで聞いてこないところがみんなに好かれているところなんだよな。
帰り道、俺は商店街の入り口にあるスーパーカツナリに寄った。弁当と飲み物、遭難した時用のカロリーメイト、懐中電灯の替えの電池を買う。
冒険の前だ、俺はレジのお姉さんに美人がいる事を願って会計へと向かった。
「あ、君は隆晴さんの親戚よね?」
叔父の名前を出したレジ係のお姉さんは俺のことを知っていた。軽く自己紹介をする。
ネームプレートには斉木の文字、横には研修中の文字もある。
「あ、叔父さんのところで働いてた……マリさん?」
「惜しい、万理華よ、斉木万理華」
歳は30歳くらいか、シュッとした感じの美人さんである。前より髪の色が暗くなっていたので、雰囲気が違って見えた。
「ココ、髪色に厳しいのよ。ねえ、あなた持ってる?」
持ってる?何の事だろう。実は叔父と彼女のあいだに秘密があって、それを俺に託したと思われていたりして…。
「ポイントカード」
万理華さんがぶっきらぼうに言った。
あ、ポイントカードね。俺はこれからもちょくちょく立ち寄りそうなので、新しく作る事にした。
「新規獲得目標があるから助かったわ」
そう言うと万理華さんは列の次のお客さんへと向かった。
俺は叔父との会話を思い出している。
『この店で一番の収穫は万理華さんだよ。華は無いけど自然に客が寄って来る。彼女が店先に立ち続けたら、まずウチは潰れないだろうな』
まぁ、その青果店【丸森商店】は閉店したのだが……。
アーケードの中は自転車に乗る事が出来ないので、とぼとぼと押しながら歩く。よく見ると、叔父の店と同様にシャッターを閉じたままの店も多い。
本当に叔父の八百屋は順調だったのだろうか。
そしてダンジョンである。
笹本さんと叔父、中年2人で潜るダンジョン。店の雰囲気は良かったはずなのに、何故に万理華さんは誘わなかったのだろうか。
シャッターを開けて中に入る。シャッターは大きな音がするので、通行人が振り返った。
2階に上がりエアコンがついた部屋で弁当を食べた。テレビもラジオも無いので、商店街に流れるテイラースイフトが微かに聞こえてきた。
「部屋が殺風景なのは、ずっと前からダンジョンに潜ってたって事だよな」
独り言が部屋に広がる。
さあ、参りますか。と気合を入れて家族に『今から潜ります』のメッセージを送る。
母との約束でもある。
すぐさま母から返事が来た。
『弁当の容器は軽く洗って、帰る時に必ず持ち帰りなさい』
俺は弁当の容器を持ってキッチンへと向かった。
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