【短編】必要なものは【1400文字以内】

音雪香林

第1話 必要なものは。

 朝、登校して廊下を歩いていると、女子生徒たちが雑談している声が聞こえてきた。


「あの子、最近大人しくなっちゃったね」

「中学校に入る前は、モノマネとか手品で楽しませてくれたのにね」


 残念そうに語らう二人に、


「誰の話?」


 と見当がつかない様子の三人目が問う。


「ああ、あんたは違う小学校だったか。あのね、隣のクラスの」


 俺は内心で『ああ、あいつだろうな』と予想して、


栗原真音くりはらまねくん」


 その名に『やっぱり』と確信する。


 俺は特に雑談に混じることもなく女子生徒たちの横を通りすぎ、自分のクラスの教室に入る。

 俺が朝の挨拶を口にするより早く。


「お、来たな。おっはよう!」


 ニカッと快活な笑みを向けてくるこいつこそ、女子生徒たちが噂していた栗原真音だ。


 ちなみに俺の幼馴染でもある。


 この男は特に表情を作っていないときでも不思議と笑っているような印象を与えてくる得な顔をしていて、またそれが本人のキャラクター性に合っている。


 そう、合っているんだ。


「……っはよ。なぁ、お前さ」


 俺は適当な挨拶のあと、少しためらう気持ちもあったが心にずっと引っかかっているので口にすることにした。


「なんでモノマネや手品やめたの?」


 真音は目と細めて「ん~~」と唸る。

 これは言葉を選んでいる最中の彼独特の鳴き声だ。

 俺はたたみかける。


「他人を笑わせるの好きって言ってたじやん」


 真音は目を開いて


「確かにそうだけど」


 と少し困ったような響きの声を出す。


「ネタが尽きたのか?」


 一番ありそうな予想を口にしたが。「いんや」と否定される。


「ただ……」

「ただ?」


 俺は身を乗り出す。

 重大な内容を話す割には真音はあっさりした口調で、


「勉強が忙しくてな」


 と返してきた。

 俺は納得する。


「そう言えばお前いつも試験結果総合10位以内に入ってたな。隠れガリ勉だったのか」


「そーそー」


 あはは、と真音は笑うが俺は疑問だった。


「なんでそんなに勉強してるんだ?」


「そりゃもちろん出世してがっぽり稼ぎたいからさ。末は博士か大臣かってな!」


 俺は目ん玉ひん向いてびっくりした。


「お前はお笑い芸人目指してるのかと……」


 本気でそう口にしたのだが、真音は「まっさかぁ~」といっそ明るいほどの声で一蹴する。


「他人を笑わせるのは好きだけど、金を稼ぐ手段としては心許無いからな。オレは安定した職業に就きたい」


 それは強がりではなく本気で言っている声音だった。


「そうか……」


 確かにお笑い芸人は不安定な職業だけど、ブレイクすれば下手な職業に就くより稼げる。


 お前ならブレイク確実だし時代を牽引するお笑い界のリーダーになれるはずだけど……。


「勉強頑張れよ!」


 俺が励ますようにサムズアップすると、


「お前もな!」


 とすかさず返される。

 真音よりも成績が悪い俺は「耳が痛い」と返しながらカラカラ笑い声をあげるが……。


(何者かになるのに必要なのは、才能なんかじゃなくて、それに必ずなるんだという決意を持ち続ける強い意志なのかもしれない)


 と残念な気持ちの中で思う。


 成功の約束なんて与えられない俺が無責任に芸人目指せなんて言えない。


 才能ってやつは、多くはこうしてひそやかに埋もれて行くものなんだろう。


 窓の外に視線をやると、俺の胸に宿ったやるせなさを知る由もない空が憎らしいくらいに光輝いていた。




 おわり

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