第3章:北の森
Episode13:「住民台帳……いわゆる戸籍ですな」
午後に来客があった。トーコも知る人物である。
「あっ、こんにちは!ようこそ魔術師労働基準監督署へ」
「あらっ?ネコワタリさん。今日は別に通報案件はなくってよ?」
リゼットがカウンターの向こう、小柄な警察官に声を掛ける。
そのカウンターにはたっぷりのバラの花が飾られていて、オフィスに華やかな香りを漂わせている。
リゼットは彼をフッたものの、花はドサクサでもらったらしい。「花に罪はないもの」と言っていた。ちゃっかりしている。
「いやはや、それは順調そうでなにより」
突然やってきた警察官はリゼットに愛想笑いを返してきた。
そしてカウンター前にピシ、とまっすぐに立って敬礼してからトーコに話しかける。
「今日はですな、あなたから依頼されていた、えー身元の捜査の件でですな、まいったというわけですが」
「私?あぁ……」
少し驚いた。以前、警察は話を聞くだけ聞いてサッサと帰ってしまったから、そのまま何もしてくれないのかと思っていた。
(ちゃんと捜査してくれてたのか)
目の前の警察官を少し見直す。
「最近、署内にコンピュータが導入されましてな。書類を1枚ずつ見なくてもよくなったわけですな。名前を入力して、該当する情報があれば画面に表示されるので、ずいぶん楽になりました」
「あらうらやましいこと。うちのような末端はまだまだ書類仕事よ。というか、お願いしてから結構日にちが経ってますけどね」
リゼットがトゲのある言い方をしても、警察官は動じない。
「まあ、こういうのは次第に世間に導入されていくもんですから、こちらでもそのうち扱えるようになるでしょうな」
「コンピュータ?」
トーコが首をかしげる。
「トーコはコンピュータを知らない?」
「……多分」
記憶をたどってみるが、あいにく自分の記憶は限られている。それがどういったものなのか想像もつかない。
「雰囲気は、タイプライターとテレビが合体したようなものなのだけど」
イメージしてみるが、やはりよく分からない。
「最近じゃ
「そうなんですか」
「電話やテレビみたいな既存の家電にも半導体ってのが入ってるんだけど、魔術師が精度の高い小型半導体を作れるようになってきたから、最近は電化製品の性能もどんどん上がってて」
「はぁ」
話が難しすぎて目が回ってきた。
本当に目を回していたわけではないけれど、リゼットは話についていけていないトーコに気づいたようだ。
ふふ、と少し笑ってから言葉を続ける。
「とにかく、警察の方にはそういう便利なものがあるのよ。入力すれば検索できるってなら、半日もあれば捜査報告ができそうなものだけどね」
また言葉でチクリと刺しながらネコワタリを眺める。
「まあ、コンピュータのあちこちにデータがありましてな。探すにもそれなりに手間がかかるといいますか」
ネコワタリは少しうろたえながら、そんな風に答えた。
本当に手間がかかるのか、それとも職務怠慢なのかは分からない。リゼットはとりあえず、それ以上の追及は止めておくことにした。
「それはよろしくてですな、まず調査したのが住民台帳……いわゆる戸籍ですな」
この国では出生や死亡にあたっての届け出が義務付けられており、その届出は役所で取りまとめられているという。リゼットもそれは分かっていた。
とはいえ、トーコ・ホウライという名前しか情報がない状態で役所に行っても門前払いされてしまうだろうと考え、様子を見ている段階だった。
「妥当ね。それで?」
リゼットが返事を急かす。
「戸籍には該当するトーコ・ホウライという名前があったわけですな」
「えっ!」
驚いた。次第に、心の中に
自分の存在が公的に証明された。これまで何ひとつ自分に関する情報を持っていなかったトーコにとって、それは大きな前進だった。
「じゃあ私は……」
「しかしながら、ですな」
浮き足立ったトーコの声を警察官がさえぎった。
「まあ、ほかにもですな、調べたのが、ええ」
どうにも歯切れが悪い。
「行方不明者といいますか、いわゆる捜索届というのが、警察の方には来るんですな。まあ比較的平和な世の中とはいえ、どこかに出かけたまんま行方不明になる者もいますし、人間関係のいざこざなんかで、人を探してくださいという届けを出す者もいるわけですな」
「まさか、その中に……」
「こちらもコンピュータの方で、情報が調べられますでな」
「……どうだったのよ」
リゼットが少し乾いた小さな声で返す。
「……3年前、にですな」
警察官が言葉を選ぶようにしながら話す。すごく嫌な予感がした。
「…………トーコ・ホウライさんという名前の、失踪者が出ておりました。その特記事項に、死亡の疑いあり、と」
―――場が、しんと静まる。
その静寂はほんの一瞬だったかもしれない。しかし、トーコには長い長い沈黙に感じられた。
「……え」
やっと絞り出した声はかすれて空中に消える。
首の後ろや肩が少し寒いなと感じた瞬間、自分がわずかに震えていることに気がついた。グッと拳を握りしめて、震えを止めようとする。
「…………なんですって……」
リゼットの声も震えていた。
「何よそれ……どういう」
(自分は、死んでいる?)
状況を把握できず、自分に問いかけてみる。
(死んでいるって何……)
「し」
喉から声が漏れた。
「死んでませんけど……」
その言葉に、リゼットが目を見開いた。2人で顔を見合わせて、少し沈黙する。しばらくして、
「……確かにそうね」
リゼットがそう言って、確かめるかのようにトーコの肩に手を置いた。
「あ、よかった、私が生きてることを知ってる人がいる」
そんなふうに答えたら、リゼットは軽く息を吐いた。
「アナタねえ……」
息を吐いたのは単なるため息かと思ったが、どうやら軽く吹き出すように笑ったらしい。その一呼吸で少し楽になったのか、少し力を抜くと警察官の方に向き直って
「トーコは死んでないわよ」
「ええ、ええ。そうでしょうな」
警察官はそれでも、言葉を選ぶようにしながら話している。
「とはいえ記録上は、ですな、3年前に」
「それは分かったわよ……」
自分は生きている。それは厳然たる事実だ。しかし警察官の言い分からして、トーコ・ホウライたる人物に死亡の疑いが出ているのも事実ということになるのだろう。
「うーん……よく分からないけど、考えられる可能性を挙げてみましょうか」
首をかしげているトーコに向かって、リゼットは指を1本立てた。
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