Episode12:「署長ってなんかすごく、乙女」

「……アタシが大学生の頃、ちょっとね」

帰宅してやっと一息つけたディナータイム。ヤマさんは昨日からしばらく出張だそうで、今夜は2人+猫1匹で過ごしている。


リゼットは白ワインを何度か口に運んでから、言葉を選ぶようにして教えてくれた。

「アイツに口説かれて、コロッとその気になっちゃって」

リゼットは、ワイングラスを明かりに透かしながら、照れくさそうに「ふふ」と笑った。トーコは黙って聞き役に徹することにする。


「あの人、昔と全然変わらないのね。何をするにも適当だし、頼りないし。無駄に行動力だけはあるくせに、すぐに迷走して行き詰まるし。それに、あの頃も言ってたのよ、アレ。キミはナントカの一輪の花だ!」

急にキリッとした声で全く似ていないモノマネをするリゼットに、トーコは思わず吹き出しそうになってしまう。でも、リゼットの名誉のためにかろうじてこらえた。

「あんな口説き文句でコロッといっちゃうんだもの……私もウブだったのよ」

頬に手を当てて、ため息をつくリゼット。


「署長ってなんかすごく、乙女」

ニコニコとしながら、ちょっと上目遣いでトーコがつぶやく。リゼットの耳が赤いのはお酒のせいだけじゃないはずだ。

「だいたい花にしか例えないのよ、あの人!半年ぐらい付き合って、ある日突然そこに気付いたら、なんだかスーッと冷めちゃって」

照れ隠しのように大きな声でまくし立てる。

「あはは、半年気付かなかったんですか。ねえ、署長は可愛いですね」

「!」

顔を真っ赤に赤らめるリゼット。シュレが床に丸く転がったまま、横目でちらりと2人を見る。

トーコはお構いなしに、「乙女ですねえ」と満足げにつぶやいた。


「そ、そんなことよりもねえ」

落ち着かない素振りでワインを飲みながらリゼットが言う。分かりやすすぎる話の逸らし方だ。

「例の瞬間移動らしき現象のことだけど……」


「うーん……」

耐え難いあの頭痛を思い出して、少し顔をしかめてしまった。

「やっぱり……魔術なのかしら」

そう言ったリゼットの顔がどういうわけか、少し憂鬱そうに見えた。なんと返事をしたものか、迷ってしまう。

「……でも、私は魔術なんて使えないと思う」

昼間ルイやリョーガがやっていたみたいに、手のひらを目の前にかざしてみた。リョーガが作った焚き火のイメージを思い浮かべながら、念じてみる。

(魔法よ、出てこい)


しかし、その手のひらの上には何の気配も現れなかった。


◇◇◇


自室のベッドに転がり、トーコは慌ただしい今日一日のことを思い返してみる。

不思議なことがいくつも起きた。

はるか遠くまで一瞬で移動してしまったのはなぜだろう。

水面で一瞬だけ体が止まったのはなぜだろう。

自分の理解が及ばない力が働いているようで、なんだか怖い。


それに……

「混沌魔術……」

リョーガはそう言っていた。その言葉に聞き覚えがあるように思う。

もしかすると有益な手がかりかもしれない。


けれど。

(なんか怖い)

混沌魔術という言葉を脳裏に思い浮かべると、背すじが冷えるようなイヤな感じがするのだ。底知れない不気味さ。恐ろしさ。

なぜ自分がそのように感じてしまうのかは分からない。けれど、とにかくゾッとする。

まして、森の奥にはドラゴンをはじめ多くの魔物がむという。

(せっかくの手がかりだけど……)

今日たった一体のドラゴンに翻弄ほんろうされてしまった自分が、記憶を突き止めるためとはいえあんな怖い森の奥へ行けるとは思えない。

(こんなことで、記憶を取り戻せる日は来るのかな)

不安がドッと押し寄せてきて、涙ぐんでしまった。


「大丈夫」

枕に顔を押し付けて、口の中で唱える。

「大丈夫」

もう一度。

とりあえず自分には仕事もあるし住む場所もある。守ってくれる人がいる。まずはそれでいい。大丈夫だ。大丈夫。

そうやって自分に言い聞かせているうちに、ゆっくりと睡魔が襲ってきた。


◇◇◇


「リズ!おはよう!今日はキミに話があるんだ!」

翌朝、魔労基のオープンとともにやってきたのは背の高すぎるキザ男だった。光沢のあるブルーグレーのスーツに真っ赤なバラの花束を抱え、片手を広げるオーバーアクション。


一瞬いかにもイヤそうに思いっきり顔を歪ませたリゼット。目をそらし、

「賃金の件はどうなりましたか」わざとそっけなく尋ねる。

「ああ、それは昨日のうちに。賃金を持って従業員の家を回って、今後の支払いは月末に統一と伝えたさ。それで問題ないだろう?」

「そう。危うく営業停止を免れたわね。あとは従業員と契約書を交わすこと。タイムカード等で勤怠管理をすること。給与明細も発行なさい」

目を閉じてスラスラと答えるリゼット。

「あー、分かったよ。まあ、それはいいんだが」

「今後も従業員を大切になさってください。当職からの忠告は以上になります」

ヤマオカ氏はそのにべもない態度に、思わず苦笑いしてしまう。

「あ、ああ。分かった。それで、話があるんだが」

「アタシはないわ。ごきげんよう」

顔を上げて彼に向き直り、鋭い瞳で毅然きぜんと言い放つ。


「キツいなあ」

目元にかかる髪をバサリと掻き上げながら、彼は困ったような微笑みを浮かべた。

「キミは相変わらずだ」

沈黙が、場を支配した。


―――折れたのは、リゼットだった。

「トーコ、ごめんなさい、ちょっと席外すわね。この書類のココのこれ、上から順に確認しておいてくれる?」

秋色タータンチェックのストールをバサリとはおりながら、リゼットはトーコに声をかけた。

「分かりました……いってらっしゃい」

スッと外へ出ていこうとするリゼット。ヤマオカ氏は慌てて扉を開けた。リゼットはそんなエスコートすら当然といったツンとした態度で扉をくぐる。


立ち去る2人の後ろ姿。スラリと背の高いリゼットと、それよりさらに背の高いフィリップ・ヤマオカ氏。

(立ち姿だけなら本当に絵になる2人なんだけどなあ)

リゼットはきっと怒るだろうけど、トーコはついついそんな風に思ってしまう。


扉がパタリと閉まり、静けさが残った。


◇◇◇


魔労基署の外、並木道の大きなメタセコイアの木の下。冷たい風が、ヒュッと音を立てて通り過ぎた。2人の髪を、服のすそを揺らして。

「リズ、聞いてくれないか」

黙って目をそらすリゼット。

「僕にはやっぱりキミしか見えないんだ。昨日会えて気持ちを再確認したよ」


しばしの沈黙。ヒュウ、と音を立てて風が吹いた。空は晴れて高いけれど、風の強い寒い日だった。

「ゆっくりでもいいから考えてくれ。もう一度、やり直そう」

そう言って彼は、ひと抱えもあるバラの花束を差し出した。


「……ごめんなさい。アナタの気持ちには答えられない」

風がリゼットのお気に入りのストールをひらひらと巻き上げて過ぎていく。

「……今のアタシには大切な人がいるの」

「キミ!まさか結婚したのかい?」

ショックで硬直するヤマオカ氏。

「いいえ」

答えながら少しだけ笑ってしまう。仕事仕事で過ぎていく激動の毎日。結婚だなんて考えたこともなかった。

「……でも、アタシの気持ちは、アナタのもとにはもう戻らないわ」

「……」

「じゃあね」


リゼットはバラを受け取るときびすを返し、後ろ手にひらひらと手を振り歩き出す。小さな魔労基の建物へ。

風の強い寒い日だった。秋風は、心に沁み入るほどに冷たかった。



【次:↓第3章「北の森」へ↓】

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