Episode10:「雑に仕事してるからそういうことになるのよ!」
「わ、私は、魔術師労働基準監督署の秘書です!」
トーコは体に力を込め、努めて大きな声を出した。
「うーん、労基に何か言われるようなことはしていないさ。お金は払っているよ」
「受け取ってないっ!」
すかさずルイがわめく。
「あー、前に渡してからちょっと時間が経ってしまったかな。大丈夫さ、近々渡すよ、それで問題ないだろう?」
やれやれ、といった表情を見せるヤマオカ氏。
トーコの体に肩にふわり、と何かが触れたのはそのときだった。
(……?)
慌てて振り返る。見れば、トーコの肩にはピンク色のバラがたっぷりと描かれた品の良いストールがかけられていた。
「あ、署長……」
どうやらリゼットがストールを掛けてくれたらしい。水術で体を冷やしてしまったことへの配慮だろうか。
次にリゼットはヤマオカ氏の腕をパンと叩き、ひるんだ隙にトーコの肩を抱き寄せて、彼からバッと引き剥がす。
トーコはリゼットの方をちらりと仰ぎ見てみた。その怒りの
「アタシの秘書に気安く触ってんじゃないわよ!」
(あー!署長!そんなドスの利いた声!)
フィリップ・ヤマオカ氏は、驚きに目を見開き……
「リズ!リズなのかい!ああ!これも神の思し召しか!!!!」
突然渓谷中に響き渡る大声を出した。
「魔術師労働基準法第一章第十五条。魔術師を雇用する者は、魔術師に対し賃金・労働時間・その他労働条件を明示しなければならない。第三章第二十四条。賃金は毎月一回以上、一定の期日を定め支払わなければならない。」
怒りの形相のまま、リゼットは淡々とまくし立てていく。
「ああ、給料は払っているさ。それにしてもキミは相変わらず美しい!まるで砂漠に咲く一輪の花の」
今にも涙しそうな歓喜の表情で朗々と語り続けるフィリップ・ヤマオカ氏。
その派手なスーツの襟元を、リゼットは鋭い
バシッ!!!!
渾身の平手打ちを食らわした。
「ひぇ……」
思わず後ずさってしまうトーコ。
「うっわ……」
「社長吹っ飛んだ。えげつな……」
さっきまで狂ったように
リゼットはスーッと大きく息を吸い込む。そして……
「マトモな経営もできずに元カノ口説いてんじゃないわよ!!!」
ドスのきいた絶叫が、紅葉麗しい秋の渓谷に響き渡った。
「元カノ」
「元カノ」
「元カノ」
トーコとルイとリョーガは、思わず首をすくめながらお互いの顔を見合わせる。
リゼットに平手でブン殴られ、ルイが魔術で作り上げた深い水たまりに顔から突っ込んだヤマオカ社長。コントのような見事な突っ込み方である。それでも数秒後には、バネの付いた人形のようにすっくと立ち上がり、
「あっ!なっ殴ったな!」
なぜかニヤニヤと嬉しそうな表情で怒鳴り始めた。お高そうな銀のスーツは既に泥まみれである。
「な、なんで嬉しそうなのあの人……」
トーコが頬を引きつらせる。
「キっ、キミ、こんなことしたらタダでは済まな……」
「なによ、訴訟でもする気?痴情のもつれで通すから訴えたってムダよ!!」
「痴情!」
両頬に手を当て、ニヤニヤ顔で叫ぶヤマオカ氏。
(あー、この人ホントに嬉しそうだよー!署長大丈夫かなあ……)
「アナタ、あの頃アタシの話、ちゃんと聞いてたのかしら」
まるで頭痛をおさえるかのようにこめかみに手を当てて、リゼットが問いかけた。
「あの頃!そうだなあ、あの頃のキミは本当にあどけなくてキュートだった。まさに荒野に咲く可憐な花のようだった」
デレデレと微笑むヤマオカ氏。
「……花はいいのよ、花は。アタシはね、魔術師の労働環境を改善するんだと、それがアタシの使命だと、アタシは繰り返しアナタに夢を語ったのよ!アナタとお付き合いしながらも、アタシは研究室や学会を必死で駆けずり回って、アタシは
呆れ顔でため息をひとつ。手を広げて訴える。
「全ての魔術師を幸せにする。アタシの夢はあの頃のままよ。もしもアナタが世の魔術師を不幸にする存在ならば、ただじゃおかない」
キッと睨むリゼットに気圧され、ヤマオカ氏はこくこくと頷く。
「……ああ。ああ、分かった」
「アナタあの頃何聞いてたのよ。……ホント何してんのよ。ちゃんとしなさいよ、頼むから」
「……分かったよ。すまなかった」
意外にも素直に謝られて、リゼットは少しだけ表情を崩した。
「次にアナタのところの魔術師がウチに相談に訪れたら、今度は容赦しないわよ。アナタにはアナタの夢や目的があって行動してるんでしょうけれど、魔術師の労働環境に甚だしく問題があると判明したら、アタシは容赦なく潰しに行くから」
「わ、分かったって。そんな日が来ないよう努力するさ。キミの
苦笑いするしかないといった困り顔で、ヤマオカ氏はそう答えた。
リゼットはフンと鼻を鳴らして言う。
「そうしてちょうだい」
◇◇◇
「ところで社長はなんで無事なんスか?橋から落ちましたよね?社長って
いつの間にかリョーガが川べりに焚き火を作ってくれていた。
魔術の炎は大きく温かい。水術の余波を受けて冷えてしまった体に炎のあたたかさが沁みる。
魔術って便利だな、とトーコは素直に思う。
「ああ、落下の途中、水面に向かって思いきり
「魚焼いてる場合じゃないのよ……」
リゼットはなおも怒っている。
「大切な従業員ほったらかして、そんなキンキラスーツ着て山奥歩いてるって一体どういう状況?」
「それがなあ。妙な依頼があってなあ。事務所に突然電話がかかってきて、最近夢幻の森に大型のモンスターが大量に出現していると言うんだ。討伐できるような強い魔術師がいるのなら派遣しろと。それで、依頼者が一度会って話したいと言ってこの森の奥の吊り橋を指定してきたから、ここまでやってきた」
「なによその意味の分からない話。……依頼者の名前や社名は尋ねて記録したんでしょうね?」
ヤマオカ氏はしばらく押し黙ったあと、警戒しながら小声で答える。
「……いや」
リゼットはまたヤマオカ氏の襟元をグイと掴み上げた。
「雑に仕事してるからそういうことになるのよ!」
「あ、ああ……」
困惑の声色。しかし、トーコがその様子をちらりと見てみると……
(ああ、怒られてまたニヤけてるし……なんなのかなあ、この人……)
「ちなみに
リョーガはどさくさまぎれに、生焼けだった魚を炎の中に突っ込みながら言った。魚がちりちり焼ける香ばしい匂いが広がる。
リゼットは呆れ切った声で答えた。
「ああそう。どうでもいいわ……」
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