第2章:ヤマオカ魔術師派遣事務所からの依頼
Episode7: 「なんでこんなところにドラゴンが?」
「社長が給料払わずに消えたのよ!!!」
バンッ!とオンボロ扉を乱暴に開けて飛び込んできた女の子が、事務所のカウンターを乗り越える勢いで叫んだ。
そのカウンターでノンビリと昼寝をしていたミルクティー色の猫は迷惑そうな顔。部屋の隅へとヒョイと逃げていく。
「よ、ようこそ、魔術師労働基準監督署へ」
今日はリゼットが山積みの雑務に追われているから、受付係はトーコだ。
勢いのあるお客様に
「あの、ご相談はどういった」
「もう社長3日も戻ってないし、給料もらえないから食費もカツカツだし!なんとかしてよ!!!」
「あ、あの」
女の子はトーコの言葉を遮り、栗色の巻き髪をバサバサと揺らしながらまくし立てる。顔が近い。ツバが飛ぶ。ちょっと勘弁してほしい。
ここ“魔労基”こと魔術師労働基準監督署の秘書として働き始めたものの、まだまだ就職して日は浅いのだ。困った。こんなイレギュラーな相談者にはどう対処したものやら……。
「ちょっとルイ、困ってるじゃないッスかー」
わあわあと騒ぐ女の子の背後からヒョコっと顔を出したのは、目が細く体も細い、気弱そうな青年。同伴者だろうか。
「リョーガうるさい!黙ってて!給料もらえなきゃ生活できないじゃない!ゴハン買えないじゃない!お腹すくじゃない!!」
困り顔で静止しようとした青年は、怒鳴られてすぐに黙ってしまう。
「あのー……」
困り果てたトーコ。
「まあまあ。アナタ落ち着きなさいな」
そんなトーコの様子を見かねて、奥のデスクから鶴の一声がかかった。
「署長のリゼット・ファウベルです。ご相談は賃金未払いね。詳しく聞きましょう」
世界中の優雅という優雅を結集させたようなとびきり上品な立ち振る舞いで、艶やかに微笑むリゼット。
「うおお、美人……!」
キツネ目の青年は、リゼットのスラリとした立ち姿をキラキラとした眼差しで見つめている。その横っ面を人差し指でガツンと小突きながら、ルイと呼ばれた女の子はなおもわめいた。
「そうよ、これって賃金未払いよね!いつもテキトーな社長だなって思ってたけど、ホント信じらんない!」
「はいはい。アナタがたのお名前と事務所名は?あと、本来の給料日はいつ?」
「それが、支払いはいつもマチマチなんス。あ、こっちはルイ、オレはリョーガって言います。事務所はザクロ町のヤマオカ魔術師派遣事務所ッス」
リョーガと名乗った青年がそんな風に答えながら、魔労基を物珍しげにキョロキョロと見回した。カウンターにポンと置かれていた〈魔術師労働基準監督署署長 リゼット・ファウベル〉と書かれたプレートに目を留めるとヒョイとつまみ上げ、しげしげと眺めている。
どうやらリゼットがお客様の対応をしてくれるようなので、トーコは記録係に回ることにした。依頼を記録するノートを慌てて取り出してきて、事務所名や相談者の名前をメモする。
「給料は突然くれたかと思えば、ずっと支払われないこともあって。思い出したときに渡すって感じッスね。ここ2ヶ月ほど受け取ってないッス」
「酷いでしょ!」
ルイがすかさず口を挟むが、リゼットは平然と続ける。
「社長の名前と、居場所の心当たりは?」
「社長がどこ行ったかなんて分かんないわよ!いっつもフラフラしてるし!……社長の名前?ねえリョーガ、社長の名前なんだっけ」
「新人スカウトでも行ったんスかね。社長の名前はフィリップ・ヤマオカ、ッス」
一瞬の間。
「―――へぇ」
リゼットが、深淵のように低い声で相槌を打つ。それとともに、応接机に座っていたシュレが「くぁぁ」と声を上げて大あくびをした。
リゼットは目元にかかった金髪をバサリと掻き上げて、ちょっと首を振りながら言葉を続ける。
「……あのねアナタたち。うちは労基署であって便利屋じゃないの。人探しは専門外よ。魔労基ができるのは事実関係の調査や勧告よ。社長を探して!だけじゃ話にならないわ。じゃあ……そうね、まずは未払い賃金の詳細をチェックするから、勤務表とかタイムカードの
「ないッス」
「ないわね」
2人の依頼者は即答した。
「過去の給与明細とか、雇用契約書の類」
「ないッス」
「ないわね」
「ああ……」
リゼットは頭を抱えた。「何やってんのよ……」というボソボソとしたつぶやきがトーコの耳に入る。
(……?)
「……いいわ」
リゼットは、机の上で丸くなってウトウトしているミルクティー色の猫の首を掴み上げ、カウンターに乗せた。猫は「ニャ」とイヤそうな声を上げる。
「シュレ、聞いてたでしょ。この人たちの社長探してやって」
猫はしばらく憮然とした表情を見せたあと、ニャゴニャゴと口の中で小さく鳴きながらカウンターをトントンと叩く。猫の目の前に半透明のスクリーンのようなものが浮かび上がった。
「おおっ、
リョーガが感嘆の声を上げる。
ゆらゆらと空中に揺れるスクリーンは、両手を広げたほどの大きさ。4人が覗き込む小さな画面の中には、街や路地、川や海などさまざまな景色が浮かんでは消える。
しばらくして画面内の景色が固定された。そこには、薄暗い森のような風景が投影されていた。
「どこよここ」
リゼットが猫の方を見る。映っているのは
「針葉樹が多いなら北の方かな?マタタビも生えてるし……夢幻の森ッスかねえ」
リョーガが分析した。
(あれ?ここ……)
トーコはその映像を見てドキリとした。
この深い森の風景をどこかで見たことがあるような気がしたのだ。画面を食い入るように見つめる。
そのうちに、頭の奥に何かチリチリとしたイヤな痛みが襲ってきた。クラリとめまいを感じ、トーコは慌てて頭を押さえる。
「あ、吊り橋」
ルイが指差す。画面の隅に橋のようなものが映り込んだ。橋の上に誰かいる。
陽光を受けてキラリと反射する銀色のスーツを着た、派手で大柄な男性だった。でも、こんな
「あー、これ社長ッスね。夢幻の森なら、ヤミタキ川の奥瀬の吊り橋かなあ。なんでこんな物騒なところにいるんスかね」
「……ねえ、奥のさ、この赤いのって何?」
ルイが画面の端を指差す。画面を見つめている全員が息を呑んだ。
「……ドラゴン?」
画面の中に映り込んだのは、赤黒い皮膚のモンスター。それも、やたらデカい。
労働基準監督署長と依頼者は、顔を見合わせる。
「なんでこんなところにドラゴンが?」
「社長追われてるッスね」
その大柄なモンスターは人間の姿に気付くと、その巨体からは到底想像できないような素早い動きで走り出した。
大きな竜に追われ、慌てて駆け出す長身の男性。
追い込まれてそのまま吊り橋を駆けていく。モンスターも男性に続いて橋に踏み込む。
頼りない吊り橋は、大柄なモンスターが生み出すハイパワーな脚力を受け、ぐわんぐわんと大きくたわむ。
あまりの揺れに男性はゴミくずのようにあっけなく吊り橋の外側に投げ出され、そのまま落下していった。
「えぇ……」
「うわぁ……」
衝撃映像を見てしまった。
「社長死んだかな?」
「死んだッスかね……?」
依頼者2人は顔を見合わせる。
「……こういうタイプの人間は殺しても死なないから大丈夫よ」
リゼットが急に、血も涙もないことをサラッと言った。
猫が作ったスクリーンには今は、無人の静かな森だけが映っている。
画面の中の衝撃映像に気を取られ、しばらくは誰もその異変に気付かなかった。
(頭が痛い……)
トーコは割れるような頭の痛みによろけて数歩、後ろに下がる。映像を見ているうちに、どんどん痛みが増していった。
叫び出しそうなほどの激痛に思わず頭を抱え、おかっぱの黒髪を鷲掴みにする。
最初にその異変に気付いたのはリゼットだった。
「……トーコ?どうしたの?」
声をかけたその瞬間。
「あ……あ……」
かすかな呻き。
あとは音もなく、トーコの姿がかき消えてしまった。
「!!」
リゼットは慌てて、トーコがいたはずの場所に駆け寄る。そこには既に何もない。伸ばした手は空中をスッと掻いただけだった。
「……え、何で」
「消えちゃった?」
来訪者たちの瞳にも驚きの色。
「なん……なんで人間が消えるのよ……」
真っ青な顔色のままつぶやき、勢いよく振り向くリゼット。
「……シュレ!トーコ探せる?」
「ここにょも」
猫がモゴモゴした声で即答した。リゼットは慌ててスクリーンを見る。
映像はさっきの深い森に固定されたままだった。
鬱蒼とした森。
その森でひときわ大きな木の根元に、小柄な秘書が倒れていた。
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