Episode6:「署長って、カッコイイですね」


それからの毎日はなかなか忙しかった。


昨夜リゼットがブティックで用意してくれたのは、無難ぶなんなブラウスにチャコールグレーのカーディガン、同じくチャコールグレーの膝丈スカート。

これでは秘書というより事務員といった雰囲気だけど、自分はどうにも小柄で童顔だ。体のラインが出るような秘書らしいスーツなんて似合わないんだから仕方がない。

とはいえ、衣服はおしゃれなリゼットが選んでくれただけあってセンスがいい。ブラウスのえりには繊細なレース飾りがついているし、スカートにはプリーツが入っていて歩くとすそが揺れる。

ステキな服を着たら、なんだか少し気合いが入るような気がした。


初出勤日には早速、警察の現場検証と窓ガラスの修理が入った。

やってきたネコワタリという名の小柄な警察官はどうやら多忙らしい。ササッと現場検証を済ませるとすぐに帰ろうとする。

トーコは彼を慌てて呼び止め、自分の事情を伝えた。


「はぁ、記憶喪失?」

彼は手元の帳面、現場検証の続きの部分に〈トーコ・ホウライ。記憶喪失〉と書き込む。とても汚い字だ。

「あ、でも。ここの署長さんのところに、しばらく置いてもらえることになったんです」

そう伝えると彼は明らかにホッとした顔を見せた。

「ははぁ。ならばまずはよろしいですな」

またも帰ろうとする警察官。


「ネコワタリさん、こういう場合って捜査とかはしてもらえるわけ?」

横からリゼットが口を挟むと、警察官は答えた。

「難しいところですな。警察の方で情報は共有しますから、例えばご家族であるとか、学校や会社関係であるとか、そういった所から問い合わせがあれば身元は判明しますでしょうが。ただ、事件性というところで言うと、まあ事件と呼ぶには、あれですから」

歯切れが悪い。どうやら積極的に調査する気はなさそうに見える。

「ま、あまり期待してなかったけどね」

リゼットがバッサリ言うと、ネコワタリは困ったようにヘラヘラと笑った。

どうやら、警察はあまりアテにならないようだ。


「情報があればお知らせしますよ」

そう言ってネコワタリは帰っていった。そのそっけない態度からして、よほどのことがなければ連絡は来ないだろうと思われた。


◇◇◇


そのあとは、ひたすら仕事を教えてもらった。

来客応対や帳簿への記録。書類の受け取りや仕分け。掃除に整頓。こまごまとしたことばかりだが、やることはかなり多い。


ときにはカンタンなお使いに出る日もあれば、論文のお手伝いをする日もある。リゼットの外出があればお留守番もする。

毎日忙しいけれど、全部の作業に対してこと細かに指示を出してくれるので、困ることはなかった。

トーコは仕事をスタートさせるにあたってリゼットからポケットサイズのメモ帳をもらった。何でもメモを取っておけば、仕事も覚えやすいだろう。


「分からないことはすぐ聞いてね」

そう言ってもらえてホッとした。きっとリゼットはいい上司なのだろう、とトーコは思う。


◇◇◇


「今までひとりでこの量の仕事してたんですか?」

ある日のお昼どき。

甘い卵焼きを頬張りながら、トーコは尋ねた。忙しくても、労働基準法で定められた通りに休憩を取らねばならない。時計の針がてっぺんを指したら一緒にランチを食べるのだ。


色とりどりの具材が食欲をそそるお弁当はリゼットお手製。毎日お弁当まで作ってもらって申し訳ないとは思うけれど、トーコには料理の心得、というか料理の記憶自体が全くないので、今のところはどうしようもない。

「明らかに無理じゃないですか……一人でこんな量……」

「だって上が人員寄越さないんだもの」

お弁当の隣に山積みした書類に目を通しながら、顔も上げずにリゼットが答える。お行儀はあまり良くないけれど、忙しいみたいだから仕方ない。


「上?」

トーコは天井を指す。

「上っていうか、管轄ね。魔術師労働基準監督署は、一般の労働基準監督署の支署のひとつなんだけど。……うーん」

眉間にシワを寄せて読んでいた書類からフッと顔を上げ、

「魔術師労働基準法の成立って、つい2年半ほど前の話なのよね」


リゼットは書類の山の中から、表紙に〈魔術師労働基準法〉と記された冊子を取り出して示す。

「それ以前は魔術師も一般の労働基準法にのっとって働いていたのよ。有り得ないでしょ!魔術師ってね、個々が持ってる魔力を使って働くものなの。魔力が尽きれば過労を起こす。つまり一般人の労働とは全くわけが違うのよ。魔労基法成立以前は、魔術師をこき使って使い潰すような企業ばかりが乱立して、そりゃ酷いものだったわ」

トーコは食事の手を止めて、魔術師労働基準法の冊子をパラパラと眺めてみた。なんだか法律用語が多くて難しい。

目が回ってクラクラしてしまう。


「……今やっと魔労基法は世の中に浸透しつつあるけれど、それでも旧態依然な連中は多くて。昔ながらのブラック魔術企業もたくさんある。一般の労働基準監督署のヤツらの中にも、魔術師労働基準監督署なんて不要だなんてクソみたいな寝言言うヤツがまだまだいるのが現状よ。魔労基に人員回すよう繰り返し催促さいそくしてるけど、連中は無視を決め込んでる。嫌がらせのつもりなのねきっと。アイツら本当、頭が固いんだから!!!」

お箸が折れそうなほどグッと拳を握りしめながら、力の限り熱弁するリゼットだった。


「あれ?」

トーコは〈魔術師労働基準法〉冊子のある部分に目を留める。

「ここに署長の名前が……」


それはおしまいのページだった。なぜか、ページ下部に小さく〈ヤマト・クスダ/リゼット・ファウベル〉と記されているのだった。

「ああそれね。だって魔術師労働基準法作ったのアタシだし」

「作ったんですか!?」

びっくりして思わず立ち上がってしまった。

「そうよ、作ったのよ」

そう言いながら「ふふん」と胸を張る。誇らしげだ。

「へぇー……すごい」

冊子と本人とを見比べて、感嘆のため息をひとつ。食事の途中だったことに気付いて、慌てて座った。


「ま、ほとんどは師匠のヤマさんの力だけどね」

そう、リゼットの名前とともに記されているのは、トーコもお世話になっている住宅の大家、ヤマさんの名前だった。

「アタシ1人で法案成立させるなんてさすがに無理よ。ヤマさんは大学で法学をやってる教授でね。魔術師には独自の労働基準法が必要っていうアタシの訴えを全部聞いてくれて、魔術師の労働環境改善のための法律を草案から一緒に作ってくれて。大学出たてのペーペーのアタシに学会で思いっきり主張する機会を作ってくれたり、なんとかっていう政治家さんに掛け合って法案を通せる土壌を用意してくれたり……ヤマさんの力添えで、アタシはやっとここまで来られたのよ」


ワンセットの応接ソファと小さなカウンター、事務机が3つだけの小さなオフィス。

そうか。ここはリゼットが全てを懸けてやっと手にした大切な拠点なのだ。

「署長って、カッコイイですね」

感動して思わずそんなことをつぶやいたら、リゼットの照れ笑いが返ってきた。



【次:↓第2章「ヤマオカ魔術師派遣事務所からの依頼」へ↓】

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