Episode3:「ここで出会ったのも何かの縁じゃない?」
「あのウサギは魔法を使えるんですか?」
「は?」
トーコがポスターを指さす。
「ああ、あれはクリスチーナちゃん。魔術師の強い味方よ」
「?」
リゼットは、オフィスのカウンターにヒョイと腰掛ける。
「……あら。記憶喪失で、魔術のことも覚えてないのかしら?」
「魔術……?」
「アナタ、
「ふゆ……?」
「空を飛んでいて、失敗して落ちてきたんだと思ったんだけど」
「人は空を飛べるんですか?」
トーコは目を丸くした。
「誰でも飛べるわけじゃないわよ、飛べる人と飛べない人がいるわ。スズメは飛べるけどニワトリは飛べないでしょう?それと一緒よ。例えばアタシは飛べない。でもアナタは空から落ちてきたんだから、きっと飛べるんでしょう」
トーコはそれを聞くやいなや、ソファを蹴るみたいに勢いよく立ち上がった。
(飛べ)
強く念じてみる。
……何も起こらなかった。
「あ、あの!魔術には呪文とかがいるんですか?」
「オリジナルの呪文を唱える魔術師も多いけど、詠唱なしで魔術を放つ人もいるわよ。人それぞれ、個々の自由ってところかしら」
「は、はぁ。じゃあとりあえず唱えてみます。うーん?と、飛べー!」
声に出して念じてみる。
……何も起こらなかった。
「飛べ!」
片腕を上げて振ってみる。
「飛べ、飛べろー!」
その場で思いっきりジャンプしてみる。
「……署長さん!私は飛べません!!」
珍しいものでも見るようにしげしげとトーコを眺めていたリゼットは、やがてクスクスと笑い出した。
「アナタおもしろいわね」
「いいえおもしろくないです必死です!」
「ふぅん。そうねぇ……急な記憶喪失で突然魔術を忘れて、それで落ちちゃったのかしらね」
そうなのだろうか?
リゼットに抱き留められる前、私は空を飛んでいたのだろうか?
必死に思い出そうとしてみるが、モヤモヤと濃い霧に包まれたように記憶がはっきりしない。
◇◇◇
「魔術にも色々あるんだけど。定番の炎とか、氷とか、雷とか。それから浮遊とか、回復とか」
リゼットがお茶のおかわりとビスケットを出してくれたので、いただくことにした。目の前に食べ物を並べられたら、なんだかすごくお腹が空いていることに急に気付いてしまった。あまり食べ過ぎたら恥ずかしいかな……なんて思いながらも、ついついビスケットに手が伸びてしまう。
「ああ、例えばね、そこの窓は
割られたとはまた、穏やかでない。
「……どなたにですか」
「……おいおい話すわ」
なんだかドッと疲れた顔で答える。どうやらあまり楽しい話ではなさそうだ。
「それで、窓は明日現場検証と修理が入るけど、今夜そのままにしておくわけにもいかないから……まあ見てなさいな」
リゼットは立ち上がると、そのガラ
(背の高い人だなあ)
トーコはそのスラリとした立ち姿にしばし見惚れてしまう。
スタイルがいいのか、裾の長い秋色ロングスカートがよく似合っているのだ。一本に三つ編みした金の髪も、光に透けて艶めいていてとても綺麗だと思った。
リゼットは右手をまっすぐ窓の方に向けて、口の中でモゴモゴと何か唱えている。
しばらく時間をかけてなにか唱えるうちに、リゼットの額に汗が浮かび始めた。息があがっている。……というか、ゼェゼェとすごく苦しそうだ。
「で、できたわよ、これ、ね、透明な、壁みたいな」
「な、なんかすごく疲れてません?」
足をもつれさせながら、ソファにバタリと突っ伏すリゼット。
「……ガラス?」
さっきまで枠だけだった窓に、つやりと光る透明なガラスのようなものが見える。
「
「なんだか大変ですね……でもすごい!魔術って初めて見た!のかな?」
なにぶん記憶がないので、魔術を見るのが初めてなのかどうかも分からないのだ。
「……シュレ、回復術かけて……」
リゼットは青白い顔のままか細い声で猫に声をかけるが、猫は窓辺に丸くなってタヌキ寝入りを決め込んでいる。どうやら応じる気はないらしい。
「……なんて……ひどい猫……」
ソファに突っ伏しながら、リゼットが嘆いた。
◇◇◇
「それにしても、記憶喪失ねぇ……」
リゼットはジャスミンティーの残りをぐいと飲み干しながら言う。お茶を飲んだら少しだけ顔色も回復したようだった。
「おうちも分からないんじゃ困るわよね。迷子ですって警察に相談したほうがいいのかしら。一応明日なら警察官がガラスの現場検証に来るんだけど……これから警察に行くのなら付き合うわ。でも警察に何か言ったからって記憶が戻るわけじゃないものね」
「警察か、うーん……」
考え込んでしまった。住所も何も分からず、所持品もない。困ったことだ。
「トーコ、アナタはどうしたい?警察に相談してもいい。でも、警察に頼ったって手がかりは何もないかもしれない」
このままでは、自分は今日から路頭に迷ってしまうのかもしれない。
(ホームレスはちょっと寒そうだな……)
秋の陽も暮れかけてちょっと寒そうな窓の外を見つめる。キンと冷える屋外でひっそり野宿する自分の姿を思い浮かべてみた。
(ちょっとつらいなぁ……)
そんなことを考えていたら、リゼットは驚くべきことを言ったのだった。
「―――ねえ、ここで出会ったのも何かの縁じゃない?とりあえず今日のところはうちに泊まればいいわ。っていうかアタシも
トーコは思わず目を丸くする。
「見ず知らずの私にずいぶん甘いですね!」
リゼットがキョトンとしたあと、フッと吹き出したので、トーコは少し焦ってしまった。
(また笑われるようなことを言ってしまったんだろうか?)
少し考えるように間をあけて、リゼットは状況を整理しながら話を続ける。
「そうね。うん。行く場所がないのなら、アタシが一時的にアナタの身元を引き受けてもいいわ。―――その代わり。アナタに折り入って相談があるんだけど」
リゼットはソファから立ち上がると、王子様みたいにトーコの目の前に優雅にひざまずいて、片手を差し伸べて、こんなことを言ったのだった。
「アタシの秘書になってくれない?」
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