Episode4:「アタシがアナタを守るから、大丈夫よ」

「秘書?」


一瞬、何を言われたのか分からなかった。

「秘書って、えっ?秘書?」

「そう、秘書」

秘書とは一体なんだろう?

「わ、わ、私!秘書ってガラじゃない……だって、秘書って言ったら……こう!スラーッと美人で巻き髪で、バッチリメイクに、ビシっとタイトスカートのスーツに……」

リゼットはまた目を丸くして、ワタワタと慌てるトーコをじっと見ている。

「本当におもしろい子ね。自分のことは思い出せないのに、そういうのは知ってるのかしら?……そんなステレオタイプな秘書、イマドキいるのかしらねぇ」


リゼットはオフィスのカウンターの向こうから書類のようなものを取ってきて、ソファに座り直す。

「これ見て。魔術師向けの情報雑誌なんだけど」

「雑誌?」

トーコの目の前の応接机に、リゼットはバサリと一冊の本を置いた。表紙には『月刊魔術師』と書いてある。

「あら、雑誌も知らないかしら」


リゼットはその雑誌をパラパラとめくって、中ほどのページを示す。

驚いた。

目の前にいるリゼットが、雑誌の中の1ページにそのまま収まっている。優雅な笑顔の写真の下には〈魔術師労働基準監督署署長 リゼット・ファウベル〉と書かれていた。

「わあ!署長さんって有名人なんですか?」

「うーん……」

困り顔で天井を仰ぐ。


「そうでもないわよ。魔労基の認知度はまだまだ低くて。近年は国民の人口に占める魔術師の総数も増加傾向にあるけれど、魔術師が所属する事務所の労働環境は適正とは言いがたいのが現状で」

「……魔術師は事務所に所属するんですか?」


トーコが首を傾げると、リゼットは一瞬驚いた顔をした。

「そうね、記憶がないのだったわね。要は、ここは魔術師向けの労働基準監督署なの。事務所に入らずに個人で仕事を探すフリーランスの魔術師もいるけど、ほとんどの魔術師は企業や事務所に所属してる。でも小さな事務所は、従業員である魔術師に対して給料踏み倒したりパワハラしたりってことも多くて」

「魔術師はお給料が出るんですか?」

「当たり前でしょ。魔術師だってタダ働きってわけにいかないのよ。生活があるんだから」

「確かに、そう言われてみればそうか」

納得してしまった。


「昔はモンスターなんてのも多くて、魔術師のほとんどはその討伐に明け暮れていたらしいけど。色々あって、近年はモンスターも絶滅状態に近い。だから公的機関とか研究機関とか、開発分野とか、飲食業とか、工務店とかで働く魔術師も多くて……例えばこの雑誌とかも、魔術師がいる出版社で制作されているの」

リゼットは先程の雑誌をもう一度手で示す。

「魔物を倒す必要がなくなった魔術師たちは科学や工業を急速に発展させたわ。こういうの、昔じゃ考えられないけど今なら印刷も写真も当たり前。コンピュータも乗り物も、電化製品も全部、魔術をもたない人間じゃ作れなかったでしょうね。魔術師がいるから半導体が進化して、機械開発も進んでる。……でも生活に困窮こんきゅうしてる魔術師が多いのが現状ね。ケガしやすい職業なのに、労災が出ないこともあるし」

「魔術師にも労災があるんですか」

「そう。あとは契約書交わさずに魔術師になる人も少なくないし」

「魔術師にも契約書があるんですか」

「トーコ、さっきから当たり前のことばっかり言ってるわね……」

「ええと……」

そう言われても。初めて聞くような話ばかりなのだ。記憶がないから当然といえば当然なのだけど。


「大手の企業や事務所に所属していても、働きに見合った十分な給料を受け取っている魔術師は少ないわ。あとは最低賃金の問題。時間外労働や休日出勤も問題視されてる。深夜帯に働いた魔術師に十分な賃金が出ないケースも多い。それから年齢ね、子供を長時間働かせているような事務所もある。あとはパワハラ、セクハラ、産前産後の保証」


リゼットが次から次へと問題を挙げていくので、話についていくのが精一杯。

思わず目が回りそうになってしまう。


「魔術師の労働環境は現状、苦痛に満ちているわ。ちまたはブラック魔術企業まみれなのよ。この現状は打破されるべきなの。魔術師が直面しているあらゆる問題を解決して、全ての魔術師が幸せに働ける世界を実現するために」

人差し指をピシ、と立てて、

「私がいて、魔術師労働基準監督署があるの」

リゼットは誇らしそうにそう言ったのだった。


(……不思議な人だなあ)

穏やかそうに見えるのに、魔術師や労働基準法のことを夢中で話し始めたら止まらない。

(この人は自分の信じる道に向かって突き進んでいるんだなぁ)

なんだか感心してしまう。


―――記憶を失う前の自分には、そういう信念や目標があったんだろうか。

そんなことを、ふと思ってしまった。

(正直、魔術師とか労働基準がどうとか、よく分からないけれど)

リゼットの話には、引き込まれる不思議な魅力がある。むくむくと興味が湧いてきた。


「あの。秘書になるとしたら、私は一体何をしたら」

リゼットはトーコをまじまじと見つめてから、上品に微笑んだ。

「あら、秘書になってくれるの?」

トーコが「えっと、あの」とつぶやく先から、

「手伝ってもらえたらありがたいわ。とても人手が足りなくてね。上に増員掛け合っても無視されるし、雑務ばっかり山積みだし、魔労基法違反の事務所に立ち入り調査に入れば報復されて仕事がさらに増えるし。アタシ労働基準に関する論文も同時進行で手がけてるからもう手一杯で。魔術師の労働環境改善する前にアタシが過労死しちゃいそう!」

興奮気味にそんなことを言うのだ。

「もし引き受けてくれるならきちんと契約書を交わして取り決めをするし、お給料もちょっと色つけるわ!住所とか何か思い出したら働き続けられなくなるかもしれないけど、そのときはそのときで考えてくれたらいいから」


「えっと」

笑顔でまくしたてられてなにがなんだか分からないけれど、ちょっと気になるワードがあったような…なんだか不穏な……。

不安な点は解消しなければならないだろう。聞いてみることにした。

「あのー、報復っていうのは……」

「ん?魔労基法違反の魔術師事務所に立ち入り調査かけて、それでも改善がみられない事務所は潰すじゃない?そうすると、そこの代表とかいう魔術師がウチにクレームつけにやってきて」

ヒョイと窓を指差す。

「ああやって報復を」


「うわぁ……」

窓ガラスは粉々なのである。


「アタシは世の中を良くしたくて頑張っているのにね。敵は増える一方よ」

頬に手を当てて、物憂ものうげにため息ひとつ。

「……あ」

どうやら自分はドン引きの表情をしてしまっていたらしい。それに気付いたのか、リゼットは慌てたように手をパタパタと振った。

「で、でも心配はいらないわ。アナタが危険な目に遭わないよう最大限配慮する。アタシがアナタを守るから、大丈夫よ」


首をかしげてしまった。なぜこの人は、初対面の自分にそんなことを言えるんだろうか。守るだなんて。なぜ……。


「いいですよ」

思考よりも先に、勝手に口が動いてしまっていた。すごく驚いたけれど、口に出してしまったものは仕方ない。

そのまま自分の思いを言葉にしてみよう。

「私に何が手伝えるのかは分かりませんけれど……秘書、やってみます」

ぱあっと晴れ渡るみたいな顔でリゼットが微笑むから、つられて笑ってしまった。

「私なんかでよかったら、よろしくお願いします」

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