14 糸目の男、おっさんと剣聖から逃げる



 アベルの兄──ノックス・アラベルトは冷や汗を流していた。


 剣聖に剣を教えたというオルトがその原因だ。

 

 この男と剣聖が木刀を交えて手合わせしていた際は、正直そこまで脅威になるとは思ってもいなかった。


 剣聖が明らかに本気ではなかったからだ。

 あの女が本気を出せば人間なんてただの肉塊だ。


 それにオルトは魔法を使っている様子もなく、試しに『魔導器』で魔力を測定してみたところ、魔力無しという結果が出た。


 魔法が使えない忌み子であるならば、こちらが魔法を使えばなんとかなるとノックスは甘い考えを持っていた。


 だが実際にはどうだ。


 この男が剣を振るえば大気が揺れて衝撃波を生み出し、更には斬撃が飛ぶ始末だ。お陰で30居た仲間が一瞬で全滅してしまった。


 そしてオルトがこちらに剣を構えた時、ノックスは初めてその異質さを理解した。


 隙がないとかそんなレベルじゃない。

 得体の知れない何かと対峙しているような、そんな錯覚を覚えた。


 だから時間を稼ぎ、ボスを呼び寄せたのだが──


──「師匠、遅くなりました。不肖シリカ、只今参戦しますッ!」


 絶対に相手をしてはいけない奴が姿を現わしてしまった。

 

 シリカ・オルキスだ。


「この人、師匠の居る酒場の前で武器構えてたんですよ。だからやっつけてしまいました」

「ず、随分と荒っぽいね。それで、どうだった?」

「雑魚でしたよ。鍛え足りないですね」


 床に倒れているボスを雑魚呼ばわりする剣聖。

 

 さも簡単に言ってくれるが、一度剣聖に壊滅させられた裏社会を今支配しているのはこの男だ。狡猾で豪傑。そこらのチンピラなら顔を合わせるだけで命を諦める男だ。


 それを雑魚と吐き捨てる。

 ノックスは背筋に悪寒を走らせた。


 まともに相手をして良い人間じゃない。

 そもそも人間なのかこいつらは。


「アベル、やれ! 剣聖をだ! いつまでもビクビクしてんじゃねぇ!」


 剣聖は隅で縮こまっていたアベルの存在に気付いていない。だからこそ、これは不意打ちとして成立する。


 それに騎士団の後輩だ。

 天下の剣聖様、それに民衆からの支持も厚くお優しい彼女なら、必ず対応に遅れが出るだろう。


「う、うおおおおッ!」

「なッ!?」


 突然、真横から斬りかかって来たアベルの剣を、剣聖は即座に鞘から剣を引き抜いて受け止めていた。


「アベル!? な、なんで!」

「すみませんシリカさん! でも俺、やるしかないんだ!」

「くッ!」


 騎士団の後輩に剣を向けられて、剣聖はひどく動揺していた。

 不意打ちも相まって鍔競り合いに押されている。


 そしてアベルが今にも泣き出しそうな表情をしているので、お優しい剣聖様もこれには驚いただろう。


「そうだ、騎士団の先輩だろうが関係ない。斬れ、アベル」


 満足そうに笑みを浮かべるノックスの右手の甲が、妖しい光を発している。


 それは騎士の紋章だ。

 

 聖十字騎士団員は生涯にただ一人、主君を定めて忠誠を誓う。


 ノックスの手の甲に刻まれた紋章は、騎士団に入れたアベルに半ば強制させる形で忠誠を誓わせたモノ。


 その効力は主君の危機に最大限の効果を発揮する。

 だからアベルは剣聖に泣きながら斬りかかっている。


「おら行け! アベル!」

「うあああああああッ!!!」


 アベルが腕に魔力を込めて一時的に身体能力を向上させると、剣聖の握る剣が弾かれた。


 そのままアベルが胸元目掛けて剣を振り落とす。


「ははっ、良いぞ!」


 剣聖は全ての敵の一撃で倒してきた。だからこそ、敵に攻勢が回った場合に対応が遅れる。それは既にオルトとの手合わせが証明している。


 剣を弾かれた剣聖にアベルの一撃は防げない。 


「ふんッ!」

「おぎッ!?」


 しかし、剣聖の容赦ない回し蹴りがアベルの顔面に飛び、そのまま床に叩き付けられてしまった。


「な、なに!?」


 アベルが泡を吹いて気絶する。

 目論みが外れたノックスは狼狽した。


 こいつ、既に自身の弱点を克服してやがった。

 

「ちょっとビックリしましたけど、師匠に言い付けられましたから!」


 心を読んだ訳ではないのだろうが、剣聖が驚くノックスに応える。師匠に暴かれた弱点を、たった数日で克服するとはやはり化け物だ。


「あとは君一人みたいだね」

「くそッ!」


 オルトがこちらに剣の切っ先を向けて離さない。

 お陰で先ほどから身動きが取れなかった。


「もうこれしかねぇ!」


 ノックスは腕に魔力を込めて魔法を展開する。

 使用したのは【粉煙魔法】だ。


 瞬間、酒場に煙幕が生じ、剣聖とオルトの視界を封じた。


 ノックスは仲間がぶっ飛ばされた際に生じた壁の穴を利用して酒場から脱出する。そして足に『雷属性』の魔力を込めて【神速魔法】を使用した。


 この魔法は何も剣聖だけの専売特許ではない。

 ある程度、魔法に通じる者ならば誰でも使用出来る。


「畜生……ッ、厄日だ!」


 仲間のみならず、ボスまでやられた。

 アベルも助からないだろう。


 せめて自分だけは助かろうと、ノックスは夜の貧民街を駆け抜く。


「仲間は見捨てて、自分だけ逃げるんですか?」

「──ッッ!?」


 突如として、背後から剣聖の囁きが聞こえた。


 ノックスは自身に【神速魔法】を掛けている。

 剣聖と同じ魔法を使用している筈なのに追い付かれてしまった。


「な、なんでッ!」


 慌てて振り返ったその最中に、ノックスは腕を振り払って魔法を放つ。純粋な魔力の塊を砲弾としてぶつける魔法だ。


 それを、


「随分と弱々しい魔法ですね」


──ボンッ!

 剣聖が剣を振り払うと空気が爆ぜた。


「くそ……ッ!」


 ノックスはその剣技を聞いたことがある。

 剣聖が扱う特殊な剣術──【炎剣】だ。


「何が炎剣だ! もう爆剣じゃねぇか!」


 お陰で魔力の砲弾が簡単に相殺されてしまった。

 

「お痛が過ぎますね。終わらせましょう」


 カチャリ、と剣聖が剣を一度鞘に納める。

 そして構えるは抜刀術の姿勢。神速の居合い斬りがあそこから放たれる。


「くッ!」

 

 対するノックスも剣を引き抜いて、反撃の体勢を整える。

 しかし、ふと気付けば、既に目の前に剣聖の姿はなかった。


 今、背後に居る。


「嘘だろ、早過ぎだろ」


 いつの間にか腹を斬られていた。

 後方で剣を鞘に納める音が聞こえてくる。


 いつ剣を抜いたのかも分からなかった。

 いつ斬られたのかも分からなかった。


 これが剣聖の実力。


「……か、怪物めッ」


 王都のみならず、王国内全土でシリカはこう呼ばれている。

 剣聖──神速のシリカ・オルキスと。


「……怪物ですか。相手したのが私で良かったですね。師匠の実力は、こんなものではないですよ」


 背後で剣聖がクスクスと笑っている。

 ノックスはその場で気を失った。



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