少年と魔女(後編)
師匠はあまり家に帰ってこなくなってしまいました。
少年はそれでも毎日欠かさず、師匠から言われたことを完ぺきにこなしました。
トレーニング、勉強、家事を一人で毎日していました。
たまにふらりと師匠が帰ってきたとき、少年は歓迎します。
「お帰りなさい!」
「ああ、ただいま。今日は疲れているから、もう寝るとするよ」
「ええと、お風呂もご飯の用意もできていますけど」
「悪いね」
そう言うと師匠は寝室に消えてしまいました。
ですが少年は知っていました。師匠は、ただつかれているから眠りに行ったのではないと。
師匠は、家に帰ってきたとき、必ず怪我をしています。
その怪我が治ると、再びどこかへ出かけていき、そしてまたしばらく家に戻らないのです。
師匠は決してその理由を語ろうとしませんでした。
少年が成長していくにつれ、師匠は明らかに少年を避けているようにも見えます。
そのことが少年を更に焦らせました。
実の母親には、もう何年もあっていません。
学校にも通い続けていますが、あくまで勉学の為だけにです。参観日など、いつもの日々と変わりありません。
学校では、勉強も運動もできて人気者です。
ですが、家に帰るといつも惨めな気持ちになるのです。
師匠もいない家、魔法も使えない自分、その二つが自分にとって大きな圧力がかかっていたのです。
ある日、師匠は夜遅く帰ってきました。
「師匠!」
「……ただいま」
「……!?」
師匠はいつか見たときと同じようにボロボロでした。
それも今回は特にひどく、全身に傷跡があり血がにじんでいました。
師匠が魔法で体を癒せることは知っています。ですが完璧に癒せるわけではありません。
師匠は言っていました。魔法は体力と同じ様なもので、使いすぎると使えなくなると。
だからいくら魔女でも休憩が必要なのです。
ですが師匠は休憩をしていたようには見えません。
「師匠! 早くこちらへ!」
「悪いな」
師匠のベッドまで肩を貸して連れて行きます。
「……そろそろ話さんといけんな」
「え?」
師匠はぼそりとつぶやきました。
話すことと言えば、師匠が毎回負ってくる傷の事でしょう。
少年は支障が落ち着くまで、ずっと見張っていました。
すると師匠は息が整ってから、ゆっくりと話し始めたのです。
「儂が、毎回傷を負って帰ってきているのは知っているだろ? 実はな、この国はまた激しい戦争をしておる。誰が悪いとか、誰を責めるとか、そういう簡単な話じゃない。ただ、儂は自分の正義のために戦っている。子供たちが、大人たちの汚い思想にとらわれず、生きていけるようにな」
「それでは、師匠は正しいことをしています。師匠が正しいのです」
ですが、師匠は首を横に振りました。
「いいか。儂は子供が好きじゃ。だから子供が傷つけられたり、歪められるのが許せん。じゃが逆に考えろ。そうせざるを得ない事情と言う物があるんじゃ。誰が好き好んで自分の子を苦しめるのじゃ。そこには複雑な事情がある。財力が無いのかもしれん。何も持っていないのかもしれん。だから大人は、自分の子供に期待する。それがかなわないと思った時、大人は子供に当たる」
少年は母親のことを思い出しました。
少年の母親は決して褒められた人物ではありません。
ですが、原因があるのも知っています。家が貧しかったからです。
家が裕福で、毎日食べるものにも困らなければ、母親はずっと優しくあれたのでしょう。
「お前も同じだよ。昔よりも、多くのことを考えるようになった。多くの感情を持つようになった。それ自体は良い。じゃが、どんどんそうやって人は他人の存在を疎ましく思う。あるいは自分に」
そうだったのです。
少年はいつの間にか成長していました。師匠の言う事だけが全ての世界には、もう生きていませんでした。
少年はもう自分で考えることを知っています。だから、少年は自分の世界を持ち始めていたのです。
それは色々な経験を持ち合わせて作られていく、その人だけの世界なのです。
「僕は……まだまだです。だから、まだ師匠が必要です」
ここでもまた、師匠は首を横に振りました。
「お前はもう、自分が思っている以上に強くなっている。それは魔法なんか使えなくても十分すぎるほどにな。今ならお前は何だってできる。好きなことをしなさい」
いつの頃からか、魔女は少年のことをガキと呼ばなくなりました。
それは誰よりも、この魔女が少年のことを見ていたからでしょう。
「でも、師匠と、離れるのは、嫌だよ」
少年は泣きました。
傷を負い、横たわっている師匠の横で泣きました。
その少年の頭を魔女は撫でました。
「安心しろ。いきなりいなくなったりはしない。くよくよするな、みっともない」
ですが魔女にも思うところがあったのでしょう。
その目じりには涙がたまっていました。
魔女は少年が眠りにつくと、こっそりとベッドから抜け出しました。
「儂は、お前が可愛くて仕方ない。見た目は昔の方が良かったがな。今のお前はショタじゃない。男はショタに限ると思っていたが……」
魔女はずっと孤独でした。
国中のほとんどの人間から、魔女だというだけで嫌われていたからです。理由も大したことではありません。
人間は悪いことがあると、誰かにその責任を押し付けます。そうして敵を作り、団結する生き物なのです。
だから、ただの気まぐれでした。
魔女が少年を拾ったのも、何もかもただの偶然で気まぐれでした。
魔女は子供が好きでした。ですが子供はすぐに大人になってしまいます。
その上、魔女は人々から嫌われています。だから遠くから、その様子を眺めているだけでした。
ある日の戦争の帰りのこと。
魔女は怪我を負い、森で一休みしていました。
その時、少年と出会ったのです。ですが魔女はすぐに警戒しました。
戦争で、何人もの少年と戦ってきたからです。
戦争とは残酷なもので、勝つためならどれだけ若く幼くても、兵隊として人殺しを教えらます。
魔女は向かってきた敵兵を、泣く泣く魔法で倒しました。
そんな中での出会いでした。本当は魔女は誰も傷つけたくありません。だから初めは拒絶しようとします。
ですが少年の腕のあざを見て、ああ、この子も被害者なのか。そう思い同情したのです。
「ああ、懐かしい。儂にもまだ懐かしも心があったのだな……。仕方ない、仕方ないことなんじゃ。許してくれ。お前とはもう一緒にはいられない。お前はもう自分の世界を持っているからな。……儂は、お前がどこに居ても、お前のことを思ってる。儂の癖ではなくなってしまった、お前をな」
少年が朝起きたとき、もうそこに魔女の姿はありませんでした。
少年は眠気も吹っ飛び、家の中を探し回りました。
ですがどこにも魔女の姿はありません。
まるで、初めから魔女なんていなかったように。
「お姉さあああああん!」
少年は空っぽになってしまった家を飛び出しました。森を探せば、まだどこかで見つけられると思ったからです。
ですが結局、少年は魔女に会うことはできませんでした。
少年は、また孤独になってしまったのです。
その時、少年は決心しました。かならずあの親切で子供好きな魔女を探し出すと。
そして今度は自分が助ける番だと。
少年はくじけませんでした。魔女のいなくなった家で、少年は必死に自分を磨きました。
魔女が残したたくさんのモノを、少年は決して忘れませんでした。
なぜなら少年は、あの日魔女と出会ったその日から、一緒に暮らしてきた家族だったからです。
ーーー
また一人、数少ない味方が減ってしまいました。
魔女の魔法では、死んでしまった人を生き返らせることはできません。
そもそもこの戦争で、魔女側は相当不利でした。
人数も少なければ、物資も少ない。
国からすれば魔女を庇うのは重罪です。ですから、魔女の味方をすると言う事は、国の反逆者と言う事になってしまうのです。
仲間たちも決して、魔女のことが好きで味方している訳ではありません。
国の政策に反抗するために、仕方なく魔女に味方しているにすぎないのです。
魔女は半ばあきらめていました。
これ以上、多くの人たちが傷つくのなら、この身を敵に売り、味方の命だけでも助けてもらおうとしたのです。
そんなことを考えている内に、敵が目の前まで迫ってきました。
槍や剣で、傷つけあい、人が倒れていきます。
魔女はもう死んでしまおうと思いました。
足も、もう動きません。槍に貫かれて、移動が困難になってしまいました。体力を消費してしまい、魔法で癒すこともできません。
ですが、最後に思い出したのは、あの少年の事でした。
あの少年は、きっと今でも自分の帰りを待っているに違いありません。
もう会うことは無いでしょうが、それでも心配になりました。
最後に、もう一度だけ。あと一目だけ見たい。
その時、突然目の前に敵兵が現れました。
魔女は魔法を発動させる構えをとっていません。
敵兵は素早く魔女の首をはねようと、剣を振りかぶりました。
もはやこれまで。魔女は目をぎゅっとつむりました。
少年が、のびのびと自由に生きていけるように願って。
魔女は死を覚悟します。
ですが、いつまでたっても痛みを感じませんでした。
魔女は考えました。これが死なのだと。敵兵は、最後の情けで痛みを感じさせる間もなく、自分を葬ってくれたのだ。
そう、思ったのです。
しかし、突然体が持ち上げられる感覚がしました。
足がだらりとぶら下がり、腕に抱え込まれているような気がします。
魔女はゆっくりと目を開けてみました。すると見知らぬ男が、自分をお姫様抱っこのように抱いているのが分かりました。
敵兵は近くに倒れていました。
恐らく味方が、すんでのところで助けてくれたのでしょう。
「は、離せ! 助けてくれたのは礼を言うが、儂は人間が嫌いじゃ!」
「違いますよ、やっと助けられました」
しかしその男は、決して魔女を離そうとしませんでした。
魔女も初めて会う男のはずなのに、なぜか懐かしさがこみ上げてきました。
そしてすぐに男の袖をめくります。そこには見たことのある痣が残っていました。
「お、お前は……」
「僕、結局魔法は使えるようになりませんでした。でもいいんです。優しい師匠の事ですから、きっと色々考えてくれていたのでしょう。それに、こうして僕の大切な人を助けることができましたから」
男はにこりと笑いました。
男は知っていました。本当は自分に魔法を教える気が無いということを。
魔法を使えるようになって、特別な暮らしをするよりも、普通の人間として生きていって欲しい。
そういう願いを感じ取っていたのです。
「ふ、ふんっ! 多少力が強くなった程度で偉そうにするな」
「でも、僕は支障を助けられて本当にうれしいです。帰りましょう、もう戦争なんてどうでもいい。誰と誰が争っていても関係ない。僕はあなたと一緒に暮らしていきたい」
「……儂を口説くなら、せめてもう少しかわいげのある顔で言ってくれ」
「ははっ、じゃあ逃げましょう!」
男は、いえ少年は、魔女を抱きながら、戦場から逃げ出しました。
そのあまりに突然の出来事に、引き留める者は出てきませんでした。
その後、魔女にとっては懐かしい、森にたどり着きました。
怪我が少しマシになった魔女は、その懐かしい感覚を踏みしめました。
長い年月が経っていたものの、森の様子はほとんど変わっていませんでした。
あの家が見えてきました。少年がしっかりと管理していたからなのか、とてもきれいでした。
少年は、玄関の扉を開けます。
「おかえりなさい、お姉さん」
お姉さんはその声が聞きたくて仕方なかったのです。
戦争をしている時も、家に帰った時のことを考えられずにはいられないほどでした。
それが今、再び叶いつつあるのです。
「男はショタに限ると、思っていたのになあ……」
「え?」
「いや、何でもない」
するとお姉さんは素敵な笑顔を咲かせました。
「ただいま」
こうして、かつて少年だった男と、かつて魔女と呼ばれたお姉さんは、ずっと仲睦まじく暮らしましたとさ。
めでたしめでたし。
これで話はおしまい。
ほら、紙芝居は終わったぞ。さっさと帰れ、親が心配するぞ。
ん? お姉さんは幸せになったのかって? ショタじゃなくて良かったのかじゃと?
愚問じゃな。幸せに決まってる。
こうやってガキんちょどもに、紙芝居を楽しく話せているからな。
ああ、そろそろ帰る。
じゃあな、ガキんちょども。
儂にもお迎えが来た。幸せいっぱいのな。
親から見捨てられた少年は、ショタコン魔女の弟子になります。 響キョー @hibikikyo
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