夏を知らない僕たちは

篠崎 時博

夏を知らない僕たちは

 その年、県立在明ありあけ高校の2年4組の学園祭の出し物は『夏』だった。


 🍉


「――今からおよそ50年ほど前、異常な気温上昇に伴い、農作物の品質低下や収量の減少、熱中症患者の増加、大型の台風や豪雨といった自然災害の増加が、より深刻化していた」

 

 午後二つ目の授業。窓辺にはやわらかくてあたたかい陽が当たっている。

 

「えー、そこで政府は2031年、国民環境安全宣言をし、国民の健康と生活の安全を守る対策をとることにした。そして2058年、ついに国内が一年中快適な温度及び湿度を保つことに成功した。これは我が国全体を取り囲む――」

 

 現代社会の担当である柳沢やなぎさわが淡々と説明する中、岡辺おかべはふわぁと大あくびをした。

 

「岡辺!」

 名前を呼ばれた岡辺は体をビクッと震わせた。

「この国を覆っている膜の名前は?」

「……温室膜おんしつまく

「正解だ。……簡単すぎたな」

 柳沢は聞こえるか聞こえないか分からないくらいの舌打ちをした。

 

「この「温室膜」という特殊な膜が国全体の気温や湿度を調整している。えー、そして現在は人工的な温度調整と最低限の太陽光で食物を作れる技術が発展し、国の食料自給率は高まり――」

 そこでチャイムが鳴った。「続きはまた明日」と言い放ち、柳沢は去っていた。


「岡辺~、当たっちまったな」

 岡辺の前の席である芦田あしだがニヤニヤしながら振り向いた。

「うるせぇ。小さい声でブツブツ話す方が悪いんだろうが」

「まぁ、アレは眠くなるわな。でも、答えが温室膜だったのは先生の優しさよ」

「子供の頃からなんべんも聞かせられてるし、流石に知らないヤツいないんじゃない?」

「確かに。俺らが生まれた時には既にあるし」

「……ただ、アレのおかげでこの国は季節がない」

「それな」


 温室膜のおかげでこの国の平均気温は20〜24℃におさまっている。日の長さは一年を通して変わっていくが、基本寒くなることも暑くなることもない。つまり、『冬』や『夏』といった季節がない。


「そういや、今は『夏』なんだっけ」

 黒板の端の方に書かれている日付は7月2日。季節はないが、人々の暮らしに区切りがないと生活はしにくい。そのため、現在はカレンダー上で7月から9月を『夏』として定めている。

「『夏』か……」

「『夏』ね」

「ってか『夏』って何?」

 岡辺が唐突に聞いた。

「知らん。花火と盆踊りをすることしか知らん」

 8月になるとどこもかしこも花火や盆踊りをしている。が、岡辺たちにはなぜその時期に、それを行うのかはイマイチ分かっていない。

「『夏』したいぜ」

「やりな」

「『夏』が何か分からないのに?」

「そっちが言ったんだろうが」

 笑いながら芦田は言った。

 しかし、芦田は良くも悪くも岡辺とのこのくだらない会話が気に入っていた。

 その岡辺がふと、教室に貼られている時間割を見て、目を輝かせた。

「芦田!俺、いいこと思いついた……!」

「うん?」


 その日のホームルームでは学園祭の出し物を決めることになっていた。

「お化け屋敷」「喫茶店」「劇」など定番が挙がる中、岡辺は手を上げてこう発言した。

「『夏』がしたいです!」

 クラスの全員が「?」の表情を浮かべた。

「な、『夏』……?」

 希望を聞いていた学園祭実行委員の岸本きしもとは戸惑った。

「『夏』です」

「はあ。……『夏』」

 ひと呼吸置いてから、岡辺は話し始めた。


「僕は、高校最後の学園祭、他のクラスとは違うもの、誰もやりそうにないもの、自分たちにしかできないことをやりたいと思ってます」

「はあ……」

「今、僕らの世界には温室膜があり、実質季節というものが存在しません。あるのは名前のみ。快適で安全な生活を手に入れた代わりに、僕らは季節を肌で感じなくなりました。『夏』を作ることで、以前の世界がどんな世界だったのかを知り、自然環境について考えるいいきっかけになるかもしれません。……今しかできないこと、今しか学べないこと、僕らにしかできないことやってみたい。僕は学園祭で『夏』を作りたい!みなさん、完璧で最高の『夏』を作りませんか!!」

 最後の方は出し物の希望云々ではなく、クラスメイトに向けての呼びかけになっていた。

「岡辺、お前……」

 目立たないわけではないが、普段ここまで主張することもない岡辺に芦田は驚きを感じていた。

「おもしれー」

 クラスのムードメーカー、花巻はなまきが長めの前髪をかき分けながら言った。

「いいじゃん、『夏』。俺はいいと思うよ」

 彼のあとに続いて、「うん、なんか面白そうだし」「確かに違うのやってみたいよねぇ」と、教室内で次々と声が上がった。

「……多数決は取らなくても決まりだね」

 岸本はそんな教室の様子を見て言った。

「2年4組の出し物は、『夏』にしよう。……で、いいですよね?先生」

 岸本は教室の一番後ろで椅子に座っている担任の木兎きずに声をかけた。

「ん、いいんじゃない〜」

 名前に兎が付いているものの、亀のようにのんびりとした話し方をする、通称木兎じいは、相変わらずスローな返事をした。

「じゃあ『夏』に決定です!!」

 拍手が沸いた。呆気あっけに取られていた芦田も思わず拍手をした。

「クラス全員で『夏』やったら絶対面白いじゃん」

 岡辺はニッと笑った。

 

 しばらくして、「ジュースとか出して休みながら、『夏』を堪能してもらおうよ〜」という女子の意見が上がり、最終的に『夏』(飲食あり)に決定した。


 🍉

「まずは、『夏』がなんなのか、情報を集めないとね」

 翌日のホームルームで、もう一人の学園祭実行委員である諸橋もろはしが切り出した。クラス全員がイメージする『夏』が統一してないと、クラスで『夏』は作れないとのこと。

 そうして「取材班」と「資料班」に分かれ、『夏』についての情報を集めることになった。


「取材班」はクラスメイトの親族および地元高齢者へ聞き込みを行った。


「『夏』か……。君たちは変わったものを調べるねぇ」

 ロッキングチェアでゆらゆらくつろぎながら白髪頭の老人は言った。 

「タイオンズマンション ソレイユ館」は学校近くの高級老人ホームである。「取材班」の1人、相沢あいざわの祖父母がいるとのことで、学校帰りに寄ることにしたのだ。

「私が覚えている『夏』はねぇ、蒸し暑くて、外を5分歩いただけで汗まみれ。熱中症警戒アラートなんてものが連日出てね。……いやぁ39℃なんて、頭おかしくなっちゃうよ」

「39℃」と聞いて、相沢の横で聞いていた瀬央せおは思わず「ヒッ」と悲鳴を上げた。

「夜も暑くて寝苦しいし、エアコンがなければありゃ死んでたな」

「『夏』って大分辛いものだったんですね……」

 ボイスレコーダーで音声を録音していた芦田が言った。

「じいちゃん、『夏』でいいことなかったの?」

 これでは『夏』のイメージが悪くなると思い、相沢はすかさず聞いた。

「ないわけではないよ。暑い中キンキンに冷えたビールを飲むのは最高だし、何よりばあさんと出会えたからなぁ〜」

「えっそうなんですね!ちなみにどこで出会ったんですか?」

 西原が聞くと、

「海の家だ。私がばあさんをナンパしてな……」

「こら!」

 隣にいた相沢の祖母がたしなめた。

「ふふふ、ごめんなさいね。えーと、何だったかしら。『夏』についてよね?『夏』はね、暑くて、日中ずっとうるさいほどに蝉が鳴いてて、テレビで戦争の特集やってて、冷たいものが美味しくて、終わると何だかとっても寂しい気持ちになる季節かしら……」

 相沢が祖父母ともう少し話したいということだったので、彼を除く班員はお礼を行ってホームをあとにした。


 一方で「資料班」は、本や雑誌から情報を得る「A班」とネットやAIを使う「B班」に分かれて調べていた。


 A班のたちばな諸橋もろはし城戸きど草津くさつは市で一番大きな図書館に来ていた。

 入り口にある検索機を使用するも、キーワードに『夏』を入力すると膨大な量の本が検索されてしまった。

 迷った挙句、「温室膜が出来る前の『夏』について調べたい」と職員に相談すると、3階の「生活コーナー」に案内された。

「たまに、平成とか令和初期について調べたいって人が来るんですよ〜」

 そう言ってお勧めされた「新編 平成・令和について〜夏〜」とタイトルの本はイラスト付きで夏が解説されていた。

「うわー、野生の蝉がそこら中で鳴いてたんだ。地獄じゃん……」

「夏の風景」というページを見ながら諸橋は言った。

「あー……、今は観賞用だもんね。でもあたし苦手だなぁ。なんか気持ち悪いし、うるさいし……」

 虫が苦手な橘は蝉のイラストを見ずに言った。

「昔の海ってこんなに人がいたんだ……」

「海水浴」のイラストを見た城戸は驚いた。

「足だけならいいけど、全身は入るのちょっと冷たいもんね〜」

「分かる〜」

 本を見ながらアレコレ言ってるうちに小1時間が過ぎていた。

「ヤバっ!これもう借りちゃおっか!」

 受付で背表紙の裏のQRコードを読み取り、データを持参のタブレットに送る。電子媒体が主のこの時代は紙の本は閲覧のみでこの借り方がスタンダードなのである。

 

 そのころB班は、班員の絢瀬の自宅に集まっていた。

aquaアクア、『夏』について教えて」

 絢瀬が黒い端末――、AI音声認識アシスタント「aqua」に話しかけた。

「カシコマリマシタ」

 返事をした後、ものの10秒程度でaquaは映像データを検索し、当時の映像をホログラムで投影し始めた。

「やっぱり最新のaquaはすげ〜」

 同じB班の花巻と岡辺は見入っていた。

「親父がボーナスで買ったんだ」

 aquaが投影した映像には、プールや海で遊ぶカップルや、田舎でスイカを食べる子供、蝉捕りをする親子や汗だくの中通勤するサラリーマンに、音楽フェスに参加するファン、海辺で花火を見る人々がいた。

「クソ暑そうなくせに、よく野外で音楽聴く気になれるよなぁ……」

「コミケってやつもヤベェんだが……」

 暑いのに、なぜ彼らは楽しそうなんだろうかと岡辺が思ったちょうどそのとき、aquaがメッセージを受信した。

「とりあえず月曜のホームルームでみんなのイメージかためるよー」

 岸本からのメッセージだった。


 翌週の月曜、予定通りホームルームで『夏』のイメージを確認することになった。

 各々事前に『夏』のイメージをクラスチャットで集めて、その結果を岸本と諸橋が伝えた。

「暑い」「蝉」「花火」「かき氷」「人混み」「海」などの単語が挙がっていく。

「んー……、数が多いものでいくと、暑くて、蝉がいる。あと、海に行ったり、花火など野外のイベントがあると……」

「ここからどうやって『夏』を作ろうか……」

 諸橋と岸本は頭を抱えた。

「あ、じゃあさ、「海の家」って設定はどう?」

 瀬央が手を挙げて提案した。

「海の家?」

「夏の間、浜辺に出来る施設で、海水浴に行った人が休憩できたり、食事もできたりする場所なんだって」

「あっ、相沢のじいさんが、ばあさんナンパしたとこか!!」

 芦田が思い出して言った。

「そうなん!?」

 花巻が相沢を見る。

「うるせぇわ!」

「……なるほど、確かに「海の家」なら飲食も可能だし、『夏』が再現できそう……!」

 諸橋の意見にクラスの殆どが賛成し、「海の家」設定で『夏』を作ることになった。


 🍉

 夏休み、早速『夏』を再現するため、2年4組は様々な準備に取り掛かっていた。


「部屋を暑くするために、暖房器具を用意しようと思うんだけど、どうしよう……」

「あー……。あんまりないよね。誰か電気ストーブとか持ってない?」

「服はさ、やっぱり水着っしょ!みんなビキニ着よ♡」

「委員長〜、西原君がセクハラしてきます」

「海の家のスタッフ設定なんでしょ?フツーにTシャツでいいじゃん」

「せっかくだしみんなお揃いのTシャツにしよーよー」

「いいね、それ!デザインは誰に頼もう……」

「誰か~、蝉の鳴き声のBGM、ダウンロードして~」


 木兎は廊下でそっと見守っていたが、生徒達の楽しそうな様子に耐えきれなくなり、ついに教室の中に足を踏み入れた。

「皆さん、準備はどうですか〜?はかどってるようですね〜」

「あっ、木兎じい!」

「先生と呼んでくださいな……」

「木兎先生は、かき氷は何味がいい?」

「実はブルーハワイってやつが、前から気になってました……」

「おっしゃ!ブルーハワイは決定!!」

 教室はますます盛り上がる。

「皆さん、くれぐれもケガや事故に気をつけてくださいね」

「「はーい」」


「……随分と楽しそうですね」

 木兎が教室を出ると、たまたま廊下にいた柳沢が声をかけた。

「えぇ、何かに夢中になっている姿は微笑ましいものです。あんなにも純粋に一生懸命楽しんでいる、なんだか羨ましいくらいですよ……」

「木兎先生はほんと甘いですよね。アイツら無茶しないといいですけど」


 柳沢の言葉が本当になってしまったのは、学園祭の1週間前だった。

「先生……!」

 学級委員の草津が泣きそうな顔で職員室の木兎のところまで来た。

「西原君が……」

 木兎は副担任の三井と共に急いで教室へと向かった。

 教室に着いた二人が扉を開けるとムワッとした空気が流れ込んできた。

「うっ、暑っ……!」

 教室の異様な暑さに三井は思わず後ずさった。

 三井たちの目の前には、蒸し暑さと蝉の鳴き声が響く空間があった。

「なんだこれ……」

「教室で飾り付けの作業してたら、ふらついて立てなくなって……」

 草津が案内した先には、壁に寄りかかり、ぐったりと座り込む西原がいた。

「西原君、西原君!大丈夫か……!?」

「うぅ……」

 意識はあるようだが、体が熱い上にぼんやりとしている。

「すぐに保健室に行きましょう……!」

 

「「「熱中症!?」」」

 保健室の那須田が見立てた診断は彼らにとって聞きなれないものだった。

「そ。彼の場合は脱水症状から来るものね」

「これが熱中症なのか……」

 三井は那須田の言葉に困惑した。

「今は製造業の作業員くらいしかならないって聞いてはいたけど……」

「ごめんなさい……。私たちホンモノの『夏』を作りたくて……」

 その場にいた草津たちはこれまでを説明した。試験的にヒーターを付けて、『夏』の環境を作っていたこと。そして、その中で作業もしていたことも。

「……分かった。でも、このことは他の先生方に報告しますからね」

「はい……」


 翌日、岸本、諸橋、岡辺は校長室に呼び出されていた。

「学園祭の準備中に熱中症とは……、君たちは危険認識が乏しい!けしからん!!」

 教頭の星川ほしかわは鬼の形相で岸本たちを叱咤した。

「今回倒れた子は軽度だったけれど、起こったことはとても危ないことだったんだよ」

 星川の言葉をマイルドに変換して校長の湯浅ゆあさは言った。

「いいかい、君たちは人を命の危険にさらしたんだ。これが、学園祭に来た来客者だったらどうする?誰が責任を取る?うちの学校はどうなる?『夏』なんて出し物は禁止だ!禁止!」

「そんな……!」

 星川の言っていることは分かる。けれど、自分達のこれまでを否定されたように感じてしまった岡辺は思わず言い返した。

「なんだ、この期に及んで言い訳か!」

「すみません~」

 そこに丁度、木兎が部屋に入って来た。

「なんだ、君か。君にも大いに責任があるぞ。『夏』なんて禁止するようにクラス全員に早く言ってきたまえ!」

「あ、そのことなんですが~……」

「早く言いたまえ」

 スローな話し方をする木兎に苛立ちを感じながら星川は聞いた。

「もう一度考え直して頂けませんか……?」

「は……?」

「安易に「禁止」するのではなく、「やり方を少し変えてみる」ってのはどうでしょう」

 あとは私に任せなさい、というように木兎は岡辺たちに目配せした。

「今回は、企画から実行まで全て生徒たちに任せてしまった私に責任があります。今度は私も彼らと一緒に考えて、安全を十分に配慮したものに変えますから。どうか……」

「何かあれば全てあなたの責任にしますよ、木兎先生」

「構いません。……私たちはつい、安全を優先して少しでも危険があれば「禁止」や「廃止」にしてしまいがちです。危険なものから生徒たちを守るのは我々の仕事ですから、それは間違ったことではないでしょう。……けれど、彼らがこれまで頑張ってきたものをなかったことにしてしまうのは良いとは言えません」

「先生……」

 普段はニコニコとして口数が少ない木兎が、ここまで真剣に話す姿を見て岡辺たちは驚いた。

「私は、『夏』に向けて調べて準備をしてきた彼らをずっと見てきました。彼らが彼ららしい方法で、実に一生懸命に、直向きに、ここまで『夏』を作り上げてきたんです。中途半端で終わらせてしまうのではなく、どうか最後までやり切る経験をさせてくださいませんか……?」

 木兎は頭を下げた。

「「お願いします……!!」」

 岡辺たちも続けて頭を下げた。

「知らないからな……。勝手にしてくださいよ!」

 怒りに任せてズシズシと歩きながら星川は去って行った。

「ああ見えて、あとは頼みますよって意味ですよ。きっと」

 湯浅は星川が去って行った扉を見た。

「そうですかねぇ……」


 校長室を出てから、木兎は岡辺たちに言った。

「……さて、『夏』を作り直しましょうか」

「……はい!」


 🍉

 学園祭当日。

「いよいよ、来たな。この時が」

 サングラスにTシャツ、ハーフパンツ姿の芦田が岡辺に言った。

「うん、ついに作り上げた『夏』のお披露目だ」

 お揃いのTシャツを着たクラスメイトを見ながら岡辺が答えた。

「みんなー!最高の『夏』を体験してもらおうー!」

「「おおーー!!」」

 岸本の言葉にみんなが声を上げた。


 あの日、校長室を出た後、木兎は教室でこう言った。

『君たちは非常に本物に近い『夏』を作り上げた。それは君たちの頑張りだ、本当に凄いことだ。けれど、『夏』が同時に危険な季節でもあると気づいたね』

 クラスメイトは全員頷いた。

『来てくれる方々が楽しんでもらえるように作るには、それなりの「安全性」が大事だ。『夏』が暑いものだとあまり知らない方々が来るわけだから、ある程度耐えられる暑さでないといけないし、危険性を事前に知ってもらう必要があるね』


「室温29.5度、湿度60%。……ヨシ!」

 室内の温度と湿度を調整する係。

「『夏』ってご存知ですか〜?」

 入り口や正面玄関で宣伝及び説明を行う係。

「うちわのサービスでーす!パタパタパタ~」

 うちわや扇子、ハンディファンを使用し、風を送る係。


「……いや、うちわサービス必要だったか!?」

 綾瀬が言った。

「西原が「萌が必要!」とかなんとか言ったから……」

「アイツ懲りねーな」

「まぁ、でも室温が30度になったら一旦仰いで涼しくさせるって悪くないよ。ヒーターを調整してもすぐに下がらないし」

 うちわ係の城戸が言った。

「あ、30度だ。絢瀬君、仰ぎます?」

「遠慮しとくわ……」

 綾瀬は苦笑いした。


「海の家」には様々な人が訪れた。

 クラスメイトの家族、友人、他校の生徒、受験希望の中学生。

「ふぅ~。暑い中のかき氷最高~!」

「ばぁちゃんの言ってた『夏』ってこれかぁ~」

「蝉の声がけたたましいわ……」

「懐かしい~。そうよ、『夏』ってこんな感じ。良く再現できたわね……」

 楽しむ人、驚く人、懐かしむ人。来てくれる人々の反応は様々だった。

 ただ、それぞれが『夏』を感じ、『夏』を堪能しているのは確かだった。


 二日間はあっという間だった。

「月曜にはこれ全部片づけないといけないのか……」

 芦田は客もクラスメイトもはけて寂しくなった教室を見た。

「作るのには、あんだけ時間かかったのになぁ~。楽しむのは一瞬ってヤツ?」

「ほんと、それ」

 岡辺と芦田は笑った。

「みんな巻き込んじゃったけど、『夏』やって良かったわ~」

「そうだな。木兎じいにも感謝だな」

「うん……」

 昼間に感じた暑さも蝉の音も今はもうない。

「相沢のばあさんがさ、取材したとき「夏は終わると何だか寂しい」って言ってたんだ」

「うん」

「今ならちょっと分かる気がするよ」

「……うん」


 こうして彼らの『夏』は静かに終わりを告げた。

 けれど二人には、耳にまだ蝉の声が残っている気がした。

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