永遠

@junsasa

永遠

暗い森の中にひっそりと立つ古びた屋敷。その一角に置かれた一台のピアノは、月明かりに照らされながらも、その黒い塗装にはどこか不吉な光が宿っていた。このピアノはただの楽器ではなかった。それは、かつてこの屋敷に住んでいた天才音楽家・永末律動が、自らの業によって変わり果てた姿だった。

律動は、若くして天才と称される作曲家であり、ピアニストでもあった。その技術と表現力は類まれなもので、彼の演奏を聞いた者は皆、その圧倒的な才能に打ち震えた。しかし、その輝かしい才能の裏には、彼の異常なまでの完璧主義と自己愛が隠されていた。律動は常に自分の演奏が最高でなければ気が済まなかった。些細なミスすら許さず、他者からの批判を受けることなど考えもせず、彼は孤高の存在となった。彼にとって音楽は美と狂気の両極であり、そのどちらかが欠けても意味をなさなかった。そんな彼の心の奥底には、常に「自分は他者よりも優れている」という思いが根付いていた。

しかし、時が経つにつれて、律動の心は次第に蝕まれていった。彼の音楽に対する執着は狂気へと変わり、彼自身をも蝕む呪いのようなものになっていった。

ある晩、彼は満月の下で最後のコンサートを開くことを決意した。彼はその夜、最高の演奏を披露し、自らの音楽に永遠の命を吹き込むつもりだった。だが、その演奏は彼自身をも破滅へと導いた。

コンサートの夜、律動はこれまでにないほど完璧な演奏を披露した。聴衆は息を呑み、その音楽の美しさに酔いしれた。だが、その美しさの裏には、律動の狂気が隠されていた。彼は自らの音楽に命を与えることを夢見ていたが、その代償として自らが音楽そのものに取り込まれることを理解していなかった。演奏が終わり、聴衆が拍手喝采を送る中、律動は突然、苦しみ始めた。彼の体は次第に固まり、動かなくなっていった。まるで彼の魂が音楽と共に引き裂かれるかのように、彼の体は冷たく、硬直していく。そして、その瞬間、律動の肉体は光に包まれ、彼はピアノへと変貌を遂げた。観客たちは恐怖に駆られ、その場を逃げ出した。誰もが律動がピアノに変わる瞬間を目撃したが、それを現実のものとして受け入れることができなかった。しかし、その夜以来、屋敷のピアノには誰も近づこうとしなかった。

律動がピアノへと変わり果ててから、何年もの時が過ぎた。屋敷は荒れ果て、誰も住む者のいない廃墟となった。しかし、そのピアノだけは、月明かりが差し込むたびに、まるで生きているかのように冷たく光を放っていた。

ある夜、一人の若い女性がその屋敷を訪れた。彼女は音楽学校の生徒であり、律動の伝説的なピアノを探し求めていた。彼女は律動の音楽に憧れ、その演奏に命をかけるつもりだった。

屋敷の中に足を踏み入れた彼女は、埃に覆われたピアノを見つけると、何かに導かれるようにその前に座り、鍵盤に触れた。その瞬間、彼女の心に響く声が聞こえた。


「助けてくれ…」


それは律動の声だった。彼の魂はピアノに囚われ、永遠に苦しみ続けていた。彼は自らの音楽への執着と、他者を見下す心が生んだ呪いによって、この姿に変えられてしまったのだった。彼女はその声に怯えながらも、ピアノを弾き続けた。彼女が弾くたびに、律動の苦痛が伝わってくる。しかし、彼女は演奏を止めることができなかった。何かに取り憑かれたように、彼女は律動の魂を解放しようと必死に弾き続けた。だが、その努力は無駄だった。律動の魂は永遠にこのピアノに囚われている。それが彼の業だったのだ。

夜が明け、彼女はピアノの前で倒れていた。彼女の髪は白く変わり果て、その目には狂気が宿っていた。彼女は律動の苦しみを共有し、彼と同じ運命を辿ることになった。それ以来、その屋敷には近づく者はいなくなった。ピアノの音が夜ごとに響き渡り、誰もいないはずの屋敷からは、狂気に満ちた演奏が聞こえてくると言われている。

律動の魂は今もなお、月明かりの下でピアノに囚われ、永遠に苦しみ続けている。そして、その音楽を聞いた者は皆、彼の狂気に取り込まれてしまうのだ。それは、決して終わることのない呪いであり、音楽家が音楽に命を与えようとした代償だった。

彼の音楽は永遠となった。しかし、それは決して幸福な永遠ではなく、終わりなき狂気の中での永遠の苦しみだった。

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