第39話 ずっと二人で

 夜のバルコニーが、静寂に包まれる。

 アレクシアは緊張しながら彼の言葉を待った。


「仕組まれたものだったというのは、この婚約がブラッドフォード侯爵が立てた計画の一部だったということですよね」


「……ええ」


 彼の傍から離れ、アレクシアはバルコニーの手すりに手をかける。

 やはりレニーは察していたのだと思った。

 いくらアレクシアを取り戻すためとはいえ不自然に吹っ掛けられた決闘、それを許可した侯爵、抗議した辺境伯とクリストファーの結末。

 それら一連の流れを見ていれば、彼も気づくだろうと思っていた。彼は聡いから。


「アレクシア」


「……はい」


「それは、重要なことですか?」


 意外な言葉に、彼を振り返る。

 彼は優しい笑みを浮かべていた。


「アレクシアがここに来た経緯は、俺にとって重要ではありません」


「……騙されていたとは思わないのですか。わたくしがレニーの弱点克服を手伝ったのも、レニーがわたくしに惹かれたのも、すべては策略だったのかもしれない。父の手駒としてあなたを手玉に取る悪女だったのかもしれないと」


「思いません」


「……っ、もしあなたが弱点を克服していなければ、危険な目にあっていたかもしれないのですよ。いいように利用されたと憤る気持ちはないのですか!?」


「ありません。アレクシアのお陰で弱点を克服できてよかったです」


 彼のあまりにのんきな様子に言葉を失う。


「アレクシアはこの婚約に別の目的があったことは知らなかったのでしょう。ご挨拶に行った日、侯爵は「何があっても娘のことだけは信じてやってくれ」と仰っていました」


「お父様が……」


「俺もアレクシアがお父上の思惑を知った上でここに来たとは思っていません。そして、たとえ知っていたとしても、俺はなんとも思いません」


「なぜ……?」


 ふ、とレニーが笑う。その笑みはどこまでも優しくて、アレクシアの胸が痛んだ。


「俺の情けない話を聞いて励ましてくれたことも、フィオナを助けてくれたことも、俺のために姉妹から手紙をもらってきてくれたことも。俺はあなたがしてくれたすべてのことに感謝しています。あなたはいつでも誇り高く真っ直ぐで、そして優しかった。そこに偽りなどなかったと、自信を持って言えます」


 彼の優しい声が、心の奥を温めていく。

 彼の顔を見ていると泣いてしまいそうで、アレクシアは背を向けた。


「レニーはお人よしすぎます」


「それほどあなたに焦がれているのです。たとえ嘘や偽りがあったとしても構わない。それごとあなたを愛します」


 ついにこらえきれず、アレクシアは涙をこぼす。

 なぜこの人はこんなにも自分のすべてを受け入れてくれるのだろうという思いが、アレクシアの心を激しく揺さぶった。

 嗚咽を漏らさないよう静かに涙を流していると、近づいてくる足音が聞こえた。

 振り返る間もなく、後ろからレニーにそっと抱きしめられる。

 冷えた体が大きな体に包み込まれ、じんわりと熱を取り戻していく。

 温かい手が、濡れた頬を優しく拭った。


「あなたといると、わたくしは弱い女になってしまいます」


 泣いていたことを知られたのが恥ずかしくて、そんなことを言う。


「そんなアレクシアを見られるのはおそらく俺だけなので、うれしいです」


「……あなたはわたくしのことをなんでも肯定しすぎではないかしら」


 少しあきれたように言うと、彼はふっと笑った。


「どんなあなたでも、愛おしくてたまらないので」


 耳元で聞こえる低い声に、全身が熱くなる。

 後ろから抱きしめられていることに、急に恥ずかしさを覚えた。

 レニーが腕を解いて、そのまま手すりを掴む。

 背中に感じる温かさは変わらなかった。


「アレクシア。これから秋が深まり、冬になりますね」


「ええ」


「秋は果物が美味い季節です。農園に行って果物狩りをしてみませんか? 馬で丘の上へ行って、葉が赤や黄色に色づいた木々を眺めながらピクニックをするのもきっと楽しいと思います」


「どちらも素敵ですわね。是非そうしたいです」


「冬は王都よりも厳しいですが、時折空から舞い落ちてくる雪はとても美しいです。とはいえ外は寒いですから、室内で過ごすことが多くなります。暖かい室内であなたと一緒に本を読みたいです。ああそうだ、雪が積もったら雪だるまは絶対に作らなくてはなりませんね」


「そうですね、楽しみです」


 ふふ、とアレクシアが笑う。

 ここに来たばかりのころに話した、雪だるまを作った話を憶えていてくれたのだとうれしかった。


「そして春になり、花々が美しく咲いたら――あなたと結婚式を挙げたい。白いドレスを着て、皆に祝福されて幸せそうに笑うあなたを見たい。俺の妻になっていただけますか、アレクシア」


 体ごと後ろを振り返り、彼を見上げる。

 少し緊張した面持ちの彼を見上げていると、一度おさまっていた涙が次々とこぼれてきた。 

 あまりにも幸せすぎて。


「はい、喜んで」


 微笑みながら、涙を流す。

 レニーはそんなアレクシアを、優しく見下ろしていた。


「困ったな」


「?」


「うれしくて抱きしめたいし、涙を拭いてあげたいのに、微笑みながら涙を流すあなたがあまりに美しくて」


「ふふ、レニーったら」


 照れくさくて、自分で涙をぬぐう。

 レニーがアレクシアを抱きしめた。


「愛しています、アレクシア」


「わたくしも愛しています、レニー」


「これから先、巡る季節のすべてをあなたと過ごしたい。互いに年を取って、この日が遠い思い出になっても、ずっと」


「はい……わたくしはレニーとずっと一緒にいます。レニーが受け入れてくれるというのなら、わたくしはもう過去のことで悩みません」


 始まりは奇妙な縁談話だった。

 その話には裏があった。

 だが、今となってはもう、縁談の経緯もその裏にあった人々の思惑も関係ない。

 喜びも悲しみも、すべてを分け合いながら、愛する人と共に生きていく。


 どちらからともなく体を離し、口づけを交わす。

 再び抱きしめあうと、こうして触れ合っていることがとても自然なことのように感じた。


「寒くありませんか、アレクシア」


「……実を言うと、とても寒いです」


 レニーが小さく笑いを漏らす。


「では部屋に入ってメリンダに紅茶を淹れてもらいましょう」


 二人でアレクシアの部屋に入り、ソファに並んで座る。レニーがアレクシアのショールを掛けなおし、温めるように肩を抱いた。

 肩から手を離し、ベルでメリンダを呼ぶ。お茶の準備をして部屋に入ってきたメリンダは、並んで座る二人を見て一瞬だけうれしそうな表情を見せた。


 彼女が淹れてくれた温かい紅茶は、今までで一番美味しかった。


   * * *

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