夏の記憶と約束
玄瀬れい
夏の記憶と約束
佳那が楽しそうに笑っている。それだけで幸せな気分になる。それだけでいい、そう思うようになった。人になんか興味なかったのに。
◇
パラパラパラパラ。
……懐かしい。このアルバムのどの写真を取っても、いくらでも語り明かせるくらい思い出がある。こういうときに、僕たち写真部は人より人を愛し、その思いや出来事を、後世に語り継ぐような、大層な役目を授かっているように感じる。だから一層センチになりやすい。
「うぅっ…うう…先生……」
抑えきれない感情が胸にこみ上げ、喉の奥が詰まるような感覚に襲われる。目が熱くなるのを感じる。
「ふ…ふっ…」
震える声が漏れる。鼻を啜り、何とか気持ちを落ち着けようとするけど、胸の痛みはそう簡単には消えない。
「……情けないな、俺」
自嘲気味に強がりな僕が呟く。亡き先生の面影を心に浮かべると、呟いた情けなさが本心に変わった。
「ごめん、先生。もう切り替えたつもりだったんだけど……」
キィーーキキーー。
金属の軋むような音がして、後ろを振り向くと自転車に乗った佳那がいた。いつものかっこいい服とはまた違った佳那を引き立てる良い服だ。
「あれ、アルバム持ってきたんだ? もう感傷に浸っ照る感じ?」
僕の心を気遣ってくれたんだろう。佳那は小指で僕の目元から涙を拭いそれをペロッと舐めた。
「……そうだよね。橘先生、良い先生だったからね」
佳那はまるで真夏の太陽を見上げるかのように目を細くしながら呟いた。僕も頷きながら答えた。
「授業中はあんなに厳しいのに、部活のときは俺たちに親身になって寄り添ってくれたからな」
佳那は頷きながら私の横に座り、アルバムに手を伸ばした。
「あたしにも見してー」
僕がそれを佳那に渡すと、先生の映る写真ではなく、僕とのツーショットの写真を指でなぞるようにして、手を止めた。
「どうした?」
「あ、いやこれ何の時のだろうと思って」
確かにこれ何の時のだろう。遠征なんてしょっちゅう行ってたけど。佳那が来てる服、今日のにそっくり……。あー!
「これ、お前が入部して一番最初の遠征だよ。このひまわりのロングスカート、覚えてるよ」
「……ほんとだ」
驚いたように言った。
「……そういや今日だったね、ひまわりフェスタ」
僕がそう言うと僕も佳那も一緒に行っていた先生のことを思い出したからだろう。だんまりになって不自然、いや、むしろ自然な間ができた。
この空気をどう拭おうかと考えていると、佳那が口を開いた。
「ところでさ、皐月は先生のお葬式出たの?」
「ああ。他のみんなは呼ばれてなかったみたいだけどな」
誰も来ていなかった。僕が代表するような形に。
「そう……。実はあたしも呼ばれてたの。遠くにいて行けなかったんだけど」
「そうか。俺たちは卒業してからも面倒見てもらってたからかな」
子供がいなかったのもあるんだろうけど、ずっと見守っていてくれた。だからかな。お葬式のとき、おばあちゃんたちも僕が先生の本当の息子かのように近くに座らせてくれた。
違うな。僕たちはおばあちゃんとギリギリ面識があったからか。
「佳那、覚えてるか? 先生の実家に2人で泊まった日のこと」
「え? うん。覚えてるよ。なんでだっけ」
なんでって、あの先生がそういう先生だからだよ。
◇
あの日はなんだかとても気分が悪くて、眠りも浅く早く学校に来たんだ。教室にいてもすることもなくて、部室のソファーでとりあえず目を閉じて横になってたんだ。
そしたらお前がやってきた。
「あれ、先輩。珍しいですね、朝来てるなんて。早起きは苦手って言ってたのに雪でも降りますかねえ?」
一つ下の後輩だったお前は、なぜか俺に対してだけひどく生意気で、そのくせ纏わりつくように俺と一緒にいたがった。
「先輩、僕と二人っきりですね?」
その日も生意気に俺が横たわっていたソファーに、クッションを抱えて入り込み、俺の肩にもたれ掛かってきた。
俺の肩に頭を乗せて一、二分後、こいつは既に俺が朝から抱えていた不快感に気づいていた。
「なんというか、すごくやさぐれた顔してますね。何かあったなら僕話聞きますよ?」
佳那はいつの間に姿勢を変えたのか、はたまた最初からこうだったのか、正座でこちらを見ていた。佳那が俺を心配するときはいつも真剣な顔をして頼りになろうとしてくれてた。俺はそんな佳那が好きだった。
二人きりなのもあってそのとき、佳那が出たいと言っていた山麓写真のコンテストの為の旅行に誘った。実際は、山岳部の富士合宿に参加させて貰うというものだった。当時の僕はまだ知らなかったけど、気管支が強くなかった佳那は登れないということがわかったから、結局すぐに断念した。
その一部始終をどこから聞いていたのか分からないが、先生が突然入ってきて一人で動いていた俺は随分強く怒られた。そして、先生は実家が富士山の見える山梨にあると言いだし、なぜか二人で先生の実家にお邪魔することになったのだ。
◇
「そうだったね。懐かしい。ほうとう、あのとき初めて食べたんだー。美味しかったなー」
「あれは本当に美味かった。地下室も初めて入ったよ」
「まあ、二人ともあんなに応援してくれたのに、コンクール自体は入賞すら出来なかったんだけどね……」
佳那は少し悲しそうに言った。それを聞き僕は悩みながら頭をあのときみたく撫でてあげた。
「酔ってるの?」
あのときのように嬉しそうな顔をするわけではないが、少し照れているのがそれはそれで可愛く見えた。
「残念ながら永遠に佳那の先輩だからな」
ぷーっと頬を膨らませた佳那は、すこししてニヤッとこちらを見た。
「ねー、皐月? ちょっとだけ遊んでかない?」
そういって走って舗装されていない砂浜のところまで、陽々と下りた佳那に、大学の時の、いや高校のときの姿が思い浮かんだ。
◆
「おいで、皐月! 大学のサークルで来たとき、かっこつけて入らなかったの後悔してたでしょ! 足だけ入ろ?」
皐月、動揺してる?
「そんなに俺のこと気にしてたのか?」
「ま、まあね」
気にしてたよ。だって、皐月で大学選んだんだもん。担任もママたちにもバレてなかったけど、橘先生だけは見抜いてた。
『佳那、真面目にテスト受けてないだろー? 皐月君?』
何度も先生は私に忠告した。愛なんて絶対に手に入る保証はないけど、学歴を持てば大抵の物は保証されるって。
でも、私がどうしても皐月と好きなんだって伝えたら応援してくれるって。多分実家に連れてってくれたのも皐月は知らないけど、先生の応援だったんだと思ってる。二人で先生に会いに行こうと思ってたのになあ。大学の四年。皐月と重なってたのは三年だけだけど。サークル以外何も出来なかった。
だから、今日決める。気持ちを伝える。先生の死を借りる形だし、不謹慎なのかもだけど、今日この恋を終わらせる。あわよくば天から見てくれている橘先生に私の出来る最高の弔辞を。
「佳那、俺は大学に入ってからよりやっぱり、お前達と夏になると毎週のように来ていた高校のときの方が楽しかったぞ」
え?
「写真部のみんなと、海に入ったり、こうして砂遊びをしたり、たまに夕日やお互いの青春を写真に撮った。撮るのが目的で来てたのにな」
楽しそうに大声で笑っている先輩を久しぶりに見た。大学じゃあんまり笑ってなかった。
「じゃあさ、皐月先輩。私とのツーショット、撮って下さいよ。久しぶりに会ったって、今度先生のお墓参りに持って行くよ」
「……わかった。撮ろう。そしたら最大の笑顔で」
パシャッ。
「先輩、私にデータ送って下さい。あとで印刷するので」
「おう、そうか。わかった」
ピーー。私は手持ちのプリンターで印刷した写真をそっとカバンにしまった。
「先輩、部室行きません?」
「え?」
驚いた先輩はこちらを凝視した。
「先輩、卒業したとき忘れ物してたんですよ。覚えてないと思うけど」
「そうだったか。でも、学校入れるのか?」
「もちろん話はしてあります」
さすがにこの用意周到さは気持ち悪いかな。
それから私は自転車に跨がり、背中に先輩のぬくもりを感じながら学校へ向かった。さすがにふらふらする。
「佳那、やっぱり俺が漕いだ方が良かったんじゃないか?」
そんな言葉は無視してそのまま学校へ向かった。
「本当に入れたな。で、忘れ物って言うのは?」
「……」
ない。確かに残っていた筈の先輩のフィルム。
「佳那、どうしたんだ? 話でもあるんだろ? 今日、他の人を呼ばなかったのは……」
「……」
違う。本当にあったんだよ。
「じゃあ先に、俺から話をしてもいいか?」
「え? うん」
「お前は入部してから、ずっと生意気なやつだった。それと同時にみんなにチームとしての一体感をもたせるリーダーのような、ムードメーカーのような存在でもあった。そんなにしっかりしているのに、なぜか俺の前では妹のような甘えん坊だった。チームの中で見せるお前には何度も助けられたし、信頼をしていた。だけど、甘えてくるお前もなんだかんだ可愛くて好きだった。今日もなんだかあのときの瑞々しさとか、純粋さ、青春を褪せさせないお前に、それを思い出さされた。お前が何度もアプローしてくれてたのも知ってた。だから思い切って伝えるよ。俺はお前が大好きだ。お前のアプローチはしっかり成功していた」
や、やばい。急すぎて、顔が真っ赤で目なんか合わせられない。
「ね、ねぇ、このアルバムって先輩のなんだよね?」
先輩の小さなバックからアルバムを取り出す。
「これ、私達後輩が作ったんだよ?」
私は朝先輩からアルバムを見して貰ったとき気づいたんだ。まだ気づかれてないって。私は必死にめくり、そこの写真に手を掛けた。
ビリッ!!
「ごめん。でも……あ!」
下に現れたのは私が書いた先輩との相合い傘。あれ? 告白かなんかが出てくると思ったんだけど……。
はあ。ムードなんて考えてた私の馬鹿だ。
「ねえ、先輩私はまだ諦めてないよ」
「好きです。付き合って下さい」
先輩は何も言わずに頭を二度撫でた後、抱きしめてくれた。
夏の記憶と約束 玄瀬れい @kaerunouta0312
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