悪役令嬢になる前に、王子と婚約解消するはずが!?

餡子

悪役令嬢になる前に、王子と婚約解消するはずが!


 すっかり夜も更けた寝室で、眠れずにベッドから起き上がった。

 少し部屋の空気を入れ替えよう。

 カーテンを端に寄せて大きく窓を開いた。秋の始まりを告げるひんやりとした空気と共に、大きな満月の明かりが部屋に差し込む。

 振り返って部屋を見渡せば、明日から着る予定の王立魔法学園の制服が月明かりに浮かび上がって見えた。


(とうとう明日、入学式なのね)


 婚約者である第五王子から、入学祝いに贈られた雫石のネックレスを手に取った。月明かりに透かしてみると美しく煌めく。

 いつもならこの輝きを見れば心が落ち着くのに、今日は焦りでざわざわと胸が騒ぐばかり。

 普通なら、明日からの新しい生活に心を躍らせるところ。だけど自分の口からは長い長い溜息が溢れた。


「婚約解消できなかったなんて……!」


 我慢できずに呻き声が漏れてしまった。

 だって本当なら入学式までに、第五王子リオン・ヴァイとの婚約を解消をしてみせる予定だったのに!



   *


 伯爵家の一人娘である私モニカ・ハートは、秘密にしていることがある。

 それは、うっすらと前世らしきものを覚えていること。

 その中で一番覚えているのが、この世界がかつて読んだ恋愛小説の世界に酷似している、ということ。

 更に私が、ヒロインをいじめる悪役令嬢と呼ばれる存在であったこと。

 ……実のところ、ヒロインいじめは個人的にどうでもいい。

 いえ、けして良くはないけれど、いじめる気はないから。それにヒロインをいじめなくても問題があるのだ。

 その問題というのが、爵位の継承。

 私と第五王子との婚約は、彼が我が家に婿入りして伯爵位を継ぐためのもの。

 しかし、しかしである。


 なんと小説の中では、私にニ歳年上の腹違いの兄が現れるのだ!


 何をしてくれてるの、お父様! ぶっ飛ばしますわよ!?

 心の中では父を張り倒せるものの、娘が家長の無責任さを責めることなど出来るわけがない。私の亡き母と結婚する前の話だし。既に異母兄は生まれてしまっている。私に打てる手はなかった。

 異母兄がいたら何が問題なのかというと、我が国の継承権は男子かつ長子優先なため、第五王子は私と婚姻しても伯爵位を継げない。

 王子ならば公爵位を頂けるけど、5人も王子がいると公爵家が乱立することになる。王家としては婿入りさせる方が貴族と繋がりが深くなるから、政略に使いたいというわけである。

 しかし伯爵家を継ぐ兄が出てくるならば、第五王子は私と婚約していてもなんの旨みもなくなる。

 むしろ、私の存在は邪魔……!


(もちろん、今までだって婚約解消できるように努力してきたのよ)


 初めて会った時だって、私は可愛くない態度を取った。


『リオン殿下は、伯爵家を継がれたいから私と婚約なさるのでしょう?』


 とうとうこの日が来てしまった……という恨みがましさいっぱいで言ったのに、リオン様は翡翠色の瞳を驚いて瞬かせた。

 そして気分を害して怒るだろうという予想に反して、ふはっ、と笑った。少年らしく、屈託なく。


『結婚するからには、もちろん君を好きになりたいよ』


 面白そうに目を細めて、なぜか彼は私に好意を示した。


『今みたいに、裏表なくはっきり言ってくれる子は好きだな』


 そんな言葉まで付け加えられて、小首を傾げる様にはつい見惚れてしまった。

 元々、小説でも推していた人だ。実際に動く姿を見たら輝く白金の髪はサラサラだし、瞳は綺麗だし、二歳上でも彼にはまだ幼さも残っていて、控えめに言わなくても天使だった。

 そしてリオン様は、中身も天使だった。

 天使というか、メンタルが鋼だった。

 私が少しでも距離を置くべく、「男性は苦手なのです」と嘯けば、「これでどうかな?」と女性にも見えかねない服装で現れる。

 「王子であられるリオン様のご趣味が料理だなんて、お珍しいですわ」と言えば、「自分でもそう思うよ」と深く頷かれた。更に、臆することなくお菓子まで作って持ってきてくださる。

 それがまた美味しい……っ。って、絆されていてはダメなのよ!

 「私、甘やかされて育ちましたからとてもワガママですの」と言ったこともある。

 けれど、「僕も末っ子で甘やかされてきた側だったから、僕が甘やかしがいがある相手が婚約者で嬉しいよ」と笑って堪えない。


 強敵だった。


 ツンとした態度を極力取り続けているのに、リオン様はいまだに私を嫌いになってくれない。性格の不一致で婚約解消が狙えない。

 リオン様はいつも優しい。なにより料理がとても上手。

 料理は魔法を構築する工程に似ているらしく、魔法の修練や研究も兼ねて作られていると聞いた。転がり込んでくる予定の伯爵位にあぐらをかくことなく、日々精進されているのだと知った時は心から尊敬した。

 そんなリオン様と日々を重ねていけば、距離を置こうとしていた私の心も揺らいでいく。

 特に、私の胃袋はがっつり掴まれてしまっていた。

 だって、リオン様の料理は本当にとても美味しいのよ!

 ただリオン様には、配膳のセンスだけが壊滅的にない。そんな時はかつての私のSNS映えを意識した配膳力を発揮して、テーブルをセッティングすれば完璧。

 私たち、案外相性が良いんじゃないかしら……


(なんて、呑気に思ってる場合じゃないのよ!)


 どうせ私たちは結ばれないのだから、好きになる前に距離を置きたかったのに!

 私が物語に登場するのは、もう明日なのよ!?

 一応、改めて小説の内容をさらってみる。




 ヒロインは、とても珍しい癒しの魔力を持つ孤児院で育った平民の娘。

 ある日、街中で第五王子の護衛騎士を治療する機会があり、そこで魔法の才を見出された。そして、貴族や富豪が主に通う王立魔法学園への入学を許される。

 入学した彼女は、平民なのに稀有な才能を持つことを妬まれる。

 だが優しく気さくな頼れる第五王子や、同じく平民だが強い魔力を持つ、クールだけど面倒見の良い先輩に見守られて、懸命に成長していく。

 ちなみに、ここでいじめるのが悪役令嬢の私。

 真っ黒なストレートの髪に、吊り目の琥珀の瞳が珍しい伯爵令嬢。

 まあ、自分の婚約者にやたらと構われてる娘を見れば、妬ましく思う気持ちもわからなくはないわ……。いじめるのは問題外だけど。

 いじめる暇があるなら、自分を磨くべきよね!

 私感はともかく。

 ヒロインは挫けず、一級魔法士を目指しながら学園生活を送る。そんな中で王子と先輩、二人のヒーローの間で心を揺らがせたりもする。

 どちらのヒーローもそれぞれ魅力があったから、読者としてはどちらを選ぶのか、ハラハラそわそわさせられたものよ。

 私は断然、王子派でしたけど!

 今はそれは置いておいて。私の記憶では王子と先輩、どちらを選んだのかまでは覚えていない。

 一週間前に食べた夕食すら思い出せないのだから、前世で読んだ小説を鮮明に覚えているのは無理な話よね……。

 当然、悪役令嬢の末路も思い出せない。だけど、ろくな結末は迎えなかったことは予想がつく。




 そんなわけで、なんとか覚えていた設定を心に留めてきた。

 そして母が流行病で亡くなってしばらく経ってから、父に欲しいものを聞かれた時。

 まだ第五王子とは婚約しておらず、母を亡くして寂しい気持ちもあり、思い立ったことを父に訴えてみた。


『お父様。私、お兄様が欲しいわ』


 だから隠し子がいるなら、今すぐ我が家に受け入れてほしい!

 ちなみに異母兄は、なんと小説に出てくるもう一人のヒーローである先輩。

 作者は悪役令嬢に何か恨みでもあるの? と言いたくなる設定ね。

 彼は黒髪に琥珀の目で、ある事件で伯爵家特有の風魔法を使う事で、実は伯爵家の血を引いていると発覚する。

 作中で顔立ちも祖父である前伯爵に似ているとも書かれており、間違いなく私の異母兄であった。

 後々に現れてややこしくなるくらいなら、この時から兄だと分かっていれば爵位継承が問題にはならない。私と第五王子が婚約することもなくなる。

 ……はずだったというのに、お父様ときたら。


『お、お兄様は無理だなぁあああ! ごめんよ、モニカ! ああ、私の愛するアイリッシュ……君さえいれば、家族を増やしてあげられたのにっ』


 私を抱きしめ、亡き母の名を呼んで泣き崩れてしまった。

 さすがにそれ以上、父に深く突っ込めなかった。どころか、『ごめんなさい、お父様! 私の家族はお父様だけでいいの!』としか言えなかった。

 だって母と結婚してからは、父は母も私も本当に心から愛してくれていたのはわかっていたから。


 しかし、私はこのとき選択を誤った。


 お父様だけでいい……と言ってしまったからか、お父様は後妻を迎えなかった。そのため、私は13歳まで一人娘のまま。

 このままでは伯爵家に世継ぎがいないことを都合よく思ったらしい王家が、15歳を迎えた第五王子と私を婚約させてしまった。

 ーーそうして私が16歳となった今、未だに婚約は継続している。

 なぜ愛想をつかされないの?

 「私が呼んだらすぐに会いにきてほしい」とか、無茶振りをする重い女を装って困らせたりしてきたつもりよ。リオン様は全然困った感じはなかったけれど。

 リオン様の女性の趣味はどうかされている。

 それとも、次期伯爵の地位はそこまで魅力的なのかしら。

 そんなもの、私にはあげられないのに。

 頭を整理すればするほど、重い溜息が零れ落ちていく。


「どうしましょう、リオン様……」


 このままでは、私の人生は悪役令嬢まっしぐら!


『呼んだかな、モニカ?』

「ぎゃあ!」


 その時、不意に聞き慣れた声が耳に届いて全身が飛び跳ねた。驚いて本気の悲鳴まで上げてしまった。

 慌てて首を巡らせれば、月明かりを透かして床に落ちた光が人の形を取っていく。

 お化けかと怯える私の前で、光はよく見知った人の形を取る。

 半分透けて見えるけど、キラキラの白金の髪。翡翠色の涼やかな眼差し。柔和に微笑む薄い唇。なぜか寝間着を着ているように見える、その人は。


「リオン様!? どうしてこのような時間に……しかも、透けてる!」


 私の頭を悩ませる第五王子、その人だった。

 透けてますけどっ。本当に天使だったりしました!?


『君に呼ばれたからね。研究中の光と風の魔法だよ。モニカに渡したネックレスを通じて、魔法石の光の屈折を利用して僕の姿を写してるんだ。声は風に届けさせてる。どう? うまくいってるかな』

「透けていますが完璧です! 光と風の複合魔法だなんて、すごいことではありませんか!」


 難しい魔法を披露されて、盛大な拍手まで送りかけた。

 もしかしてこの魔法、以前に私が無茶振りしたせいで開発なさったんじゃ……


「はっ! その前に、なぜ私の声が届いているのですか?」


 だが、その前に聞き捨てならない言葉があった。

 私の声、いつから聞こえていたのですか!?


『ネックレスを渡した時に、何かあったらネックレスを光に翳して呼びかけてくれと言っておいたじゃないか』

「仰られてましたか……?」

『ネックレスに見惚れてたから聞いてないかな、とは思ったよ』


 少し呆れて苦笑される。

 思い返してみれば、ネックレスが嬉しくて感動したものの、婚約解消する予定の私が頂いてしまっていいのかと悶々と頭を悩ませていた記憶がある。

 きっと、その時に説明されていたのね。


『ただこの魔法、まだ未完成でね。僕からモニカは見えないんだ。でもこんな夜中に呼ばれれば、慌てて飛んでくるのは当然だろ。何かあった? 怖い夢でも見た? 興奮して眠れない? お腹が空いたかな』


 こちらが見えていないのが信じられないほど、まっすぐ私を見つめて言ってくれる。気遣う言葉をかけてくれる。ちょっと一部、からかわれてる気もするけれど。

 でもそんな軽口すら、気持ちを和ませようとしているのだと感じられた。嬉しい。ぎゅっと胸が苦しくなったのは気のせいじゃない。

 最初に爵位目当てだなんて失礼なことを言った私に、真摯に接し続けてくれた人。

 よくうっかり本音を溢してしまう間抜けな私を、裏表なく話す様が好ましいと言ってくれる人。


(やっぱり、リオン様が好き……!)


 こんな人、好きにならないわけがない。どれほど小説のヒーローなんだから、好きにならないようにと言い聞かせてきたって。

 爵位もあげられない私じゃ、邪魔にしかならないのに。

 だから好きになる前に、離れてしまいたかった。別れる時に傷つきたくない、そんな自分の弱さから突っぱねようとしていたのに。

 何もかもが、とっくに手遅れ。

 今までずっと一人でなんとかしようとしてきたけど、明日からの不安が胸に膨れ上がる。そんな時にリオン様が会いにきてくれたから、我慢していたものが崩れてしまった。


「ごめんなさい、リオン様……私では、きっとあなたが欲しいものをあげられません」

『モニカ?』


 ヒロインは健気で頑張り屋で可愛いし、リオン様も心惹かれるかもしれない。異母兄は優秀だし、私の存在は間違いなく邪魔になる。

 ヒロインをいじめる気なんてなかったけど、もしこの先、本当にリオン様が彼女を好きになったらどうしよう。

 きっとすごくすごく、胸が苦しくなる。想像するだけでこんなにも泣きたくなってくる。

 それに彼女を好きにならなくても、私は彼が望む地位をあげることもできない。私は重荷でしかない。

 そんな悪役令嬢になんてなりたくないから、嫌われる前に離れてしまいたかったのに。


「実は私にはお兄様がいるので、リオン様は伯爵にはなれないのです! ごめんなさい! だから、この婚約もなくなります! 今までありがとうございました!」


 膨れ上がった不安が、ついに口を突いて出てしまっていた。


『モニカ、それは……』


 何かを言いかけたリオン様の失望を、まだ受け入れたくはない。

 卑怯にも、ぎゅっと掌に雫石を握り込んだ。光を遮り、勢いよく窓も閉めて風も止めてしまえば、それまでそこにいたリオン様の姿も声も掻き消えていた。


(言ってしまった……!)


 鼻の奥がツンと染みる。

 勝手に騒いで、わけのわからないことを言って、今頃リオン様は理解できなくて混乱されているだろう。けれど時がくれば、私が言ったことを理解せざるをえない日が来る。

 早いか遅いかの違いだけで。

 でも、異母兄がいると私が知っていたことを問い詰められたらどうしよう。

 街で偶然、若かりし頃の祖父の肖像画そっくりな人を見かけたことにしてしまおうか。無理がある気もするけど、彼が異母兄なのは事実。

 もっとはやく、お父様にそれとなく異母兄の存在を伝えておくべきだった。

 言えなかったのは、婚約者のままでいたかったのは、本当は私の方だから。

 気にかけてもらえて、私だから大事にしてもらえているように感じて、浮かれてしまっていた。馬鹿みたいに。身の程知らずに。

 その事実が、嫌というほど胸を締め付ける。

 こんなことなら、このまま明日なんて来なければいいのに……。

 そんな無茶なことを願った。




   *


 自分勝手な感情に浸りながら眠り、目を覚ました時にはベッドの上でのたうち回りたい気分だった。深夜のセンチメンタルなテンションはいけない。やらかしてしまった!

 しかし、そんな私の気持ちをひっくり返さんばかりに早朝から寝室の扉がやや乱暴に開けられた。


「お嬢様! 急いで起きられてください、お嬢様!」


 飛び込んできた馴染みのメイドの顔は蒼白だ。更に、屋敷がやたら騒がしさに包まれている。

 一人娘の入学準備にしても、ちょっと慌ただしすぎじゃない?


「どうしたの。何かあったの?」

「リオン殿下と、大旦那様によく似ておられる若い男性がいらしてます!」

「リオン様と……お祖父様に似てる人!?」


 どういうことなの。リオン様はともかく、なぜいきなりそんな人まで我が家に現れるの?

 というか、それってもしかしなくても異母兄じゃない!?


「とにかく旦那様がお呼びです。はやくお支度を!」


 驚く私をベッドから引き摺り出し、メイドは手早く用意されていた制服を着付けていく。

 リオン様のことだから、昨夜あんな会話をしたので朝からいらっしゃったのだと思われる。どんな弁明をしようかと考えたいけど、いきなり現れた男性とやらが気になってうまく頭が回らない。

 たぶん異母兄だと思うけど、なぜ、今!? どうしてここに!?

 訳もわからず準備されるがまま、髪をハーフアップに結い終わると早々に自室から追い出された。

 客人を通してあるという応接間に入ってすぐ、私を強く抱きしめたのは。


「隠していてごめんよっ、モニカぁああ!」


 半泣きのお父様だった。

 え、ええ……普通、こういう時はリオン様じゃないのかしら……いえ、今はそれどころじゃないけれど。

 困惑しつつ父越しに部屋を見渡せば、困った顔で笑っている制服姿のリオン様。それと若かりし頃の祖父によく似た、同じく制服姿の青年が立っていた。

 やっぱりこの人は、きっともう一人のヒーローでもある異母兄!


「あの、お父様……これは一体どういうことなのでしょう?」


 焦りと動揺で尻込みしつつ、涙目で鼻を啜り上げる父を見上げる。外では冷然とした父なのに、私の前では台無しだ。


「そうだね、正式に紹介しよう。彼はコンラート・バス。モニカの従兄妹だよ」


 一瞬、告げられた言葉が理解できなかった。

 ぽかんと父を見上げる。次に従兄妹と言われた相手を見れば、肯定を示して深く頷かれた。


「従兄妹、なのですか? お兄様ではなく!?」

「正真正銘、従兄妹だよ。誓って父様の家族は、モニカとアイリッシュだけだ。……それと将来的に、リオン殿下」


 リオン様の名前だけ、悔しそうに唇を噛み締めて言うのはやめてください。


「実は、家の恥になると言われて黙っていたが……父様には兄さんがいたんだ。だけど平民の女性と恋に落ちて、継承権を捨てて家を飛び出してね。祖父に勘当されて、今は我が家と縁がないことになっていたんだ」


 唖然とする私に父が丁寧に説明してくれる。


「幼い頃、モニカはお兄様が欲しいと言っただろう? モニカはたまに勘が良い子だったから、もしかして、と思って兄さんを探してみたんだ。そうしたら、息子が生まれていたと聞いてね。それから密かに才能のある彼を支援していたんだよ」


 説明されれば、彼の存在は理解できた。祖父とよく似ていることも説明がつく。

 でもなぜこんな朝早くに、いきなり彼とリオン様がやって来たのか。

 事態についていけなくてまだ呆然とする私を見て、お父様は鎮痛な顔をする。


「きっとモニカは、父様の部屋にあった彼を支援する資料を見てしまったんだね。まさか兄だと誤解するなんて思わなくて、不安にさせてしまってすまない」


 いえ、違いますけど。ただの前世のあやふやな記憶です。

 なんて言える訳もない。父は都合よく誤解してくれているようなので、コクコクと頷くに留めておく。


「どうもモニカが誤解して思い詰めているようだと、今朝リオン殿下が慌ててコンラートを連れてきてくれてね」


 二人は友人なんだよ、と父が教えてくれる。

 ということは、まさか。


「リオン様は、この方が従兄妹だと知ってらしたのですか……?」


 なんとか声を絞り出すと、リオン様は困ったように眉尻を下げた。申し訳なさそうに頷かれる。


「婚約する前にハート伯爵家の事は調べさせてもらっていたから、知っていたよ」


 つまり、これは……私だけが知らずに空回りしていたの!?

 あああああ! いますぐ! 穴を掘って地中にのめり込んでしまいたい!

 勘違いしていた自分が恥ずかしくなってくる。じわじわと頬も耳も熱を帯びた。

 ふるふると羞恥に震える私を見て、リオン様が手を差し出してくる。


「少し、モニカと二人だけで話をさせていただいても?」


 父に許可を取り、恥ずかしさでふらふらの私はリオン様に手を引かれるまま中庭へと連れ出された。

 こんな時なのに空は抜けるような青空。対比して、自分の間抜けさとの落差に肩が落ちる。


「……誤解して空回って、ごめんなさい」


 二人きりになったところで、なんとか謝罪を口にした。

 恥ずかしい。申し訳ない。今すぐ首まで土に埋まる罰を受けても仕方ない。


「まだ爵位狙いだなんて思われていたのは、さすがに傷ついたなぁ」

「ごめんなさい!」


 今度は素直に勢いよく頭を下げて謝った。


「でも、リオン様にはまだこれから、私より素敵な人に出会うんじゃないかって……たとえば、前に街で会ったという癒し手の女の子とか」

「いやに具体的だね」


 リオン様は歩いていた足を止め、やっと私を振り向いた。

 怒っているかと思ったけど、伸びてきた手は私の頬の肉をやんわり引っ張っただけ。苦笑いして、それもすぐに離される。


「あの子は確かにすごいから将来が楽しみだけど、そんな目で見た事はないよ。だいたい、彼女は僕の護衛騎士しか見てないからね」

「そうなのですか!?」


 そんな展開、小説にはなかったのに!


「僕のことは、メインディッシュに付け合わされたパセリだと思われてる」

「パセリも大事な彩りですよ! 栄養もあります! そう教えてくださったのはリオン様ではありませんかっ」


 咄嗟に拳を握って力説すれば、ふはっと少年みたいに笑われた。


「モニカのそういうところがね、僕は好きなんだ」

「!」


 はっきりと告げられた言葉に、ドクリと心臓が大きく跳び跳ねた。


「料理が趣味だと言った僕を笑わなかったのは、モニカだけだよ」

「変わったご趣味だとは言ってしまいました……」

「それはただの事実だろ。でも料理をしてる理由を言ったら、嗤うどころか地道に精進することは素晴らしいと言ってくれたね」

「実際に、とても素晴らしいことではありませんか」

「そういうところだよ」


 リオン様がくすぐったそうに笑った。目を細めて、嬉しそうに。


「それに初めて会った時。泣きそうな顔で、どうせ爵位が目当てだと言って責めただろう? あれってつまり、爵位じゃなくて自分を愛してほしいってことだよね」


 いたずらっぽく目を細めて覗き込まれ、息が止まる。


「そこまで言われたら、男としては受けて立つべきだろう」


 至近距離で挑戦的に翡翠の瞳を輝かせる様は、今まで見たどんなリオン様よりもかっこよかった。

 おかげでドクドクと心音が加速して、身体中の血が沸騰したみたい。

 きっと今、私の顔は林檎より赤い。


「あのね、モニカ。もし僕が爵位を継げなかったとしても、宮廷魔法士の職にはつけるし、いざとなったら料理人にもなれるからね。その時は街で飲食店でも開こう。ただそんな僕でも、ついてきてくれるかな」

「私、配膳しか自信はありませんが!」


 そんな私でもよければ、ぜひ!


 迷わずリオン様の手を両手で掴まえて頷いた。あなたとなら、どこへだって。

 するとリオン様は初めて出会った時のように屈託なく。私の好きな少年らしさを滲ませた顔で、嬉しそうに笑った。



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