雨の日の王子様

くらげれん

第1話

 真夏の太陽を分厚い雲が覆い隠し、暑さを雨が洗い落とす。


 高校三年生の夏休みは、受験勉強と親と先生からの圧力で息苦しい。ザ・夏!という晴天も嫌味っぽくて微妙だが、どんよりと重い雨雲から大粒の雨を落とされるのも気持ちが沈む。


 私は親と勉強よりは雨の方がましだと思い、「散歩!」と言って家を飛び出した。






 近くの公園に来たが、あいにく先客がいた。少し背が高めの男の人だ。大学生くらいに見える。傘を差さずに空を見上げる姿は、恵みの雨を一身に受け止める若葉のように見えた。


 彼は私に気付いたが、すぐに目線を空に戻した。私は思わず声をかけてしまった。


「あの、風邪引いちゃいますよ。」


 彼は何も答えない。次の言葉を言おうとした時、彼は溶けてビチャッという水の音と共に水溜まりの中へ消えてしまった。私には何が起こったのか理解できず、水溜まりの中を探った。だがその中には公園の砂利があるだけで他は何も無い。水溜まりを探る姿ははしゃぐ幼稚園児のように見えただろう。


 すると、水溜まりの中心が隆起し彼の姿が現れた。


「うるさい。」


 そういうとまたすぐにただの水溜まりに戻った。


「あ、ごめん...なさい。」


 と、つぶやくように答えた。そして、よく分からないままとりあえず家に帰ることにした。






 翌日、雨は止んだが水溜まりの様子が気になり公園へ行った。水溜まりは昨日より少し小さくなっていたがまだそこにあった。私は水溜まりに声をかけてみた。


「あの、お兄さん、居ますか?」


 すると昨日の彼がスっと顔を出した。水溜まりが人になるなんて非現実的な事を一晩で納得できた私は疲れているのだろう。非現実的な現象の張本人はどこにでもある普遍的な悩みに対してどう答えるのだろう。


「少し、話を聞いて欲しくて。」


 私は大学受験と将来のこと、親とのすれ違い、勉強のモチベーションなど、今私の心の中のありとあらゆる不安を彼に話した。


 彼は何も言わず、チャポンという音と共に水溜まりに戻ってしまった。そして猫が出てきた。ニャーと鳴くとすぐに水溜まりに戻り、次に小鳥が出てきた。小鳥はぴょんぴょん飛び跳ね、水溜まりに戻った。彼は動物の姿にもなれるのだろうか。


 そして再び彼が出てきて、私は手首を掴まれ水溜まりの中へ引きずり込まれた。そこにはさっき出てきた動物の他に、犬やうさぎもいて、小さなお花も咲いていた。


「この子達は、君を慰めようとしてたんだ。」


「…猫ちゃん、小鳥ちゃん、ありがとう。」


 彼は、この空間についての説明をしてくれた。


「僕は生きてた時幽霊とかが見える体質でね、その時に教えてもらったんだ。この水溜まりは月の満ち欠けの関係で死者の魂を集めてしまう。水面がワープゲートみたいになっていて、ここは魂だけの特別な空間なんだ。だから僕はここでは自由に動けるし自由に喋れる。…さっきは何もいってあげられなくてごめんね。」


 水溜まりの中は、彼の優しさで満たされていた。動物たちの魂は安らいで、まるでアルプスの大草原のようなのどかさがある。雨が降り、月光に照らされ現れた奇跡の空間。私はこの非現実的な空間に心を奪われた。現実世界での不安が浄化された。しかし、私は気づいてしまった。ここがであるなら、太陽が出て水溜まりが干上がってしまえばこの空間は消えてしまうのではないだろうか。


「あの、この水溜まりが消えたら、この空間も動物たちも、お兄さんも消えちゃうんじゃないですか。私、嫌です。さっき慰めてもらって、すごく心が楽になったので、恩返ししないといけないです。だから私毎日ここに水を注ぎに来ます!」


 彼の顔から驚きが消え、俯き後ろを向いた。すると彼の肩が小刻みに震え始めた。私は驚きながら言った。


「あの、私何か言っちゃいけないこと言っちゃったんですか。ごめんなさい、でも私この水溜まり、なくなってほしくないんです!」


 すると彼は呼吸を整えこちらを向いた。


「いや、ごめん。死んでから笑ってなくて久しぶりだったから、笑い方忘れちゃって。泣いてるように見えたかな。ほんとにごめんね。」


 私は彼の笑顔に意表をつかれてしまった。


「まずね、水溜まりが消えてもこの空間が消えるわけじゃないんだ。水溜まりはあくまでも現実世界とこの空間を繋いでるゲートだから。あと、恩返しなんて必要ないよ。僕たちずっとこの中にいたから、新しい人に出会うのは久しぶりで、この子たちも僕も十分楽しませてもらったよ。それから、この空間は雨水じゃないと繋がらないんだよ。雨には清めの力があるからね、神聖な水である雨と月光がこの空間と現実世界を繋ぐ条件なんだ。雨で水溜りができて、そこに月光が当たると繋がる。だから今、君が的外れなことをあんなに真面目に言うから、面白くて。」


 私は恥ずかしくなり顔を赤くした。






 あの後は、動物たちと少し遊んでから家に帰った。曇っていた空から、今は太陽が覗いている。雨の日を待ちわびる少女のペンがスラスラとノートの上で踊る。雨の日にだけ会える彼は、私の王子様。

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