第23話 初めての願い事
廃棄弁当をたらふく食べた後、オレは寝床に案内してくれると言うクロさんの後をついていった。
周りがすっかり暗くなっている中、足早に歩いていくクロさんを必死に追っていると、少し先に石段が見えてきた。
「あの石段はちょうど百段ある。ゆっくり上ると逆に疲れるから、一気にいくぞ」
そう言うと、クロさんはとても老猫とは思えないスピードで石段を駆け上がっていった。
「ちょっと待ってくださいよ!」
オレは疲れた体にムチ打ちながら、クロさんの後を懸命に追った。
「はあ、はあ」
死ぬ思いでようやく百段上り切ると、前方に大きな鳥居が見え、その奥には立派な社殿が建っていた。
「あそこの床下が俺の寝床だ」
クロさんが社殿を見ながら言った。
「へえー。なんか豪華ですね」
「まあな。じゃあ行こうぜ」
そのままクロさんの後について床下に潜り込むと、そこには小さなダンボールが一つ置かれていた。
「いつもここで寝てるんですか?」
「ああ。どうだ、なかなかいい所だろ?」
「そうですね。ところで、さっきからずっと気になってたんですけど、クロさんて何歳なんですか?」
「十五歳だ」
「えっ! オレのいた店にも十五歳の猫がいたけど、彼とクロさんは全然違いますよ」
「店?」
「ええ。オレ、猫カフェで働いてたんですよ」
「ふーん。で、その猫とオレはどういう風に違うんだ?」
「その猫シロさんていうんですけど、彼は凄く落ち着いていて、他の猫と争うところなんて一度も見たことありません」
「まあ、それが年相応というものだ。普通俺くらいの年齢になったら、ケンカなんてしないものだからな」
「じゃあ、クロさんはなんで今でもケンカするんですか?」
「生きていくためだ。野良猫の世界では、縄張り争いに負けると、そこから出て行かなくてはいけないからな」
オレはクロさんの体に無数の傷がついていることに今、気付いた。
「野良猫の世界って、思った以上に大変なんですね」
「まあな。どうだ? これでも野良猫になりたいか?」
クロさんが半笑いで聞いてくる。
「正直、今のクロさんの話を聞いて、相当ビビっています。けど、オレはもう野良猫として生きていくことに決めたんです」
「はははっ! ほんと、お前は馬鹿正直なやつだな。まあ虚勢を張るよりは、全然いいけどな」
オレはクロさんが本気で笑うのを初めて見た。
その姿は、今までいくつもの修羅場をくぐり抜けてきたとは思えないほど、無邪気なものだった。
「ところで、クロさんて、いつ野良猫になったんですか?」
「さあな。物心がついた時にはもう野良猫になってたからな」
「ということは、生まれてすぐ飼い主に捨てられたんですか?」
「多分な」
「実はオレもそうなんですよ。ダンボールの中に捨てられていたのを、今の飼い主に拾われたんです」
「ん? 生まれてすぐということは、その時の記憶は残ってないんだろ? なのに、なんでそう言い切れるんだ?」
「飼い主がそう言ったからです。今まで言わなかったけど、実はオレ人間の言葉が分かるんですよ」
「なんだと? それは本当か?」
クロさんが目を丸くしながら聞いてくる。
「ええ。物心がついた頃には、もう分かるようになっていて、それに気付いた飼い主が教えてくれたんです」
「なるほどな。同じ捨て猫でも、俺みたいに誰にも拾われず、野良猫として生きざるを得なかった者もいれば、お前みたいに人間に拾われて、幸せに暮らしている者もいる。ほんと、神様は残酷だよな」
「オレ、そんなに幸せじゃないですよ。現にこうして家出してるんですから」
「俺から見たら、お前は十分幸せだよ。じゃあ、そろそろ寝るぞ」
クロさんはそう言うと、ダンボールの中に入り、早くも寝息を立て始めた。
オレは狭い中をなんとか入り込み、クロさんの寝顔を見ながら、そっと目を閉じた。
翌朝、目を覚ますと、クロさんの姿が消えていた。
(あれっ、クロさん、どこに行ったんだろう? 食料でも調達しに行ったのかな)
そんなことを思いながら、床下から外に出てみると、クロさんが賽銭箱の前で何やらやっていた。
「クロさん、何やってるんですか?」
「ちょっと、お願い事をな」
「何をお願いしてたんですか?」
「まあ、それはいいじゃないか。それより、お前もお願いしろよ」
「オレはお願いしたいことなんてないので、遠慮しときます。ていうか、そもそも賽銭もないのに、お願いなんてできるんですか?」
「俺たちは人間じゃないんだから、賽銭なんて必要ないんだよ。いいから早くお願いしろよ」
「……分かりました」
クロさんがなぜか強く勧めてくるので、オレはとりあえずお願いすることにした。
(さてと、何を願おうかな。……家出したことにはまったく後悔していないけど、その中で唯一心残りがあるとすれば、やはりミーコのことだな。結局、オレは彼女を幸せにしてやれることはできなかったけど、いつか誰かと幸せに暮らしてほしい。神様、どうかミーコを幸せにしてやってください)
クロさんが見守る中、オレは生まれて初めて願い事をした。
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