推しと生きる

橘スミレ

第1話

人間崩壊


 朝起きる。推しを見る。

 水を飲む。推しを見る。

 顔を洗う。推しを見る。


 私は推しと共に生きている。


 服を着替える。推しとお揃いのメガネをかける。

 朝食を食べる。同じものを食べている推しに思いを馳せる。

 前髪をとかす。推しをイメージしたエアピンで留める。


 全ての行動に推しがいる。

 つまり私にとって推しとは常にそばにいる存在である。


 推しのキャラソンを聞きながら学校に行き、推しの描かれたクリアファイルin透明クリアファイルからプリントを取り出し、推しの描かれたシャーペンで書き込む。

 お昼には推しの好きなカレーパン(=私の好物)を食べ、放課後には推しが入りそうな部活に行き全力を出し、帰り道に推しのグッズを買って気力と体力を回復させる。

 家に帰ったら買ったグッズを飾ったり、推しの登場シーンを見返したり、推しが頑張っている姿を想像しながら課題を済ましたりする。


 私が朝起きてから寝るまで、いや夢を見ている時も、ずっと推しがいる。

 推しと出会ってから成績は右肩上がり、部活では先輩からも後輩からも好かれる人間になった。

 全ては推しのおかげだ。


 私の推しはとある漫画のキャラクター。強くて、かっこよくて、時々子供っぽい一面を見せる素敵なキャラだ。

 私は漫画を読んでいるときに、彼を見て一目惚れした。あまりにもビジュが良かったのだ。

 そこから彼について調べてみると情報が出るわ出るわ。重い過去やら主人公との意外な関わりやらいっぱい出てくる。もちろんその全ての情報源を読み味わった。

 そうして私は小指の爪ほども残さずに彼に取り込まれた。彼の沼にどっぷり浸かってしまったのだ。

 気がつけば彼と出会ってからの人生の隅から隅まで彼が行き渡っていた。

 もう彼なしでは生きられなくなっていた。


 それなのに、彼は死んだ。


 漫画ではよくあることだ。

 漫画のキャラクターなんて現実の人間よりも死にやすい。

 敵キャラだし、仕方ないかもしれない。


 遺体こそ描写されていないが、これは99.99%死んでいるだろう。

 これで死んでいなかったら驚きのあまり私が死んでしまうかもしれない。


 私は目をつむり、今まで活躍してきた推しに想いを馳せる。

 敵と戦ったとき。人を助けたとき。喧嘩したとき。

 どんなときも彼は魅力的だった。

 それがあんなにあっけなく醜い姿になって死んでしまうなんて。

 本当に信じられない。


 私は雑誌を閉じ、本棚にしまい、枕に顔を押し付けて泣いた。

 胃がひっくりかえりそうになりながら泣いていた。

 これほど泣いたのはいつぶりだろうか。

 彼に出会ってからしばらく泣いていなかった気がする。

 気持ち悪くなるほど泣いて、泣いて、泣き続けて、水分補給をしてからまた泣いて。

 気がすむまで泣いていた。


 もう出ないというほど泣いてから私は彼のグッズを片付けることにした。

 アクリルスタンド、キーホルダー、クリアファイル、シャーペン、フィギュア、ステッカー、トレーディングカード、ブロマイド。

 全てを丁寧にまとめ、一番下の引き出しに入れた。

 彼をイメージしていたものも同じところに入れた。

 雑誌と漫画は全て一番奥の本棚の一番下に入れた。


 全部終わったら、部屋が一気に殺風景になった。

 モノクロで、彩りがない。幸せがいない。物足りない。

 足が一本欠けた椅子のように不安定ですぐ崩れてしまう。


 どうやら私は推しがいないと生きていけなさそうだ。

 今も腕一本動かすだけで推しの動きを思い出し、胸が苦しくなっている。

 今まで寝ても覚めても推しがそばにいた。

 推しは私の一部だった。

 だけれども推しは死んだ。

 だから私も壊れてしまった。

 つらくて苦しくて寂しくて、そんな時でも彼が死ぬときはもっと大変だったのだろうと思ってしまう私がいる。

 もうどうしたらいいのだろう。


 私が悩んでいたって時間は勝手に進んでいく。


 朝起きる。推しを思い出す。

 水を飲む。推しを思い出す。

 顔を洗う。推しを思い出す。


 何をするにしても彼の霊がちらついてしまう。


 朝から晩から寝ている時まで彼は私の頭の中を占拠する。


 カレーパンを食べても味がしなかった。

 部活に行ってもやる気が出なかった。

 自分が生きている気がしなかった。

 時間が経つにつれ自体は悪化し、成績は右肩下がり、先輩にも後輩にも人が変わったと言われた。

 どんなときでも彼を思い出して涙が出そうになる。

 そんな状態だから人に優しくできない。努力もできない。


 ボロボロになって3ヶ月が経った。


 私は懲りずに一縷の望みをかけて雑誌を買っては彼が死んだことを再確認していた。

 この頃には彼に苦しめられることに慣れていた。

 心の痛みは彼が存在している証とまで思った。


 一方で冷静な自分もいて。

 推しなんか作るからいけないんだ。

 推しに頼ってばかりだからこんなふうになるんだ。

 もう二度と推しなんか作るんじゃない。

 そうも思っていた。


 しかし推しの目の前ではどんな思いも無に帰す。


 三ヶ月ぶりに推しが出てきた。

 彼は生きていた。

 彼はやはり強かった。

 彼はいつもと変わらず魅力的だった。

 やはり彼は最強だった。

 やっぱり私は彼が好きだった。


 どうやら私はこんなに苦しもうとも彼中心の生活を辞められないみたいだ。

 今の私は嬉々として封印していた彼のグッズを取り出し飾っているのだもの。

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